コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

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今崎さんをしのぶ

「晴3」 今崎さんをしのぶ

みやざきコープ、かながわコープ、ちばコープ。大学生協などそれぞれのの生協の現場を著作にした今崎暁巳さんがなくなられて しばし経過しこのほど偲ぶ会がひらかれることになった。求めにおおじて偲ぶ集に600字ほど書いておくった。

善意にかけた人生”  
どこまで行っても善良な今崎さん。目に浮かびます。貴方は広島で被爆者岩佐先生があの日さまよった跡を学生達とたどったり、震災後の神戸やヒロシマや、郷里の三瓶山のほとりで合唱劇 象列車にご一緒したり、千葉県各地の生産地と暮らしの現場を何年もかけて取材したり、生協で働く障がい者一人ひとりを記録したり、時には直接お母さん達の食卓をのぞき、組合員の手による開発の生協商品を追跡したり・・・30年余、貴方は生協の私達と共にありました。私が従事した生協のことで貴方の戦友「柳沢さん」の好意で、“ごいっしょに” の本になりその売り上げは1万部を超えました。私の理念「一人ひとり」を現場で見出していただきました。貴方は作家として人びとの痛みや喜びを現場で追いながら、変革への“希望”を見出すべく、その一生を費やしました。 貴方の心を糧に仲間とともに、大地震、津波、人災原発事故下の日本でたたかうことを魂の前に誓います。だから安らかにお眠り下さい。 ありがとうございました。


原発事故はいよいよ深刻になっている。近く南相馬に仲間と行く。報告は偲ぶ会でふれたい。  

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ご紹介

[少老朋友]

東日本大震災支援活動の一つとして、福島県双葉町からの避難者への支援に取り組んでいる、埼玉の「生協OBの会」のブログが開設されていますので、ご紹介させていただきます。
  URLは次の通りです。   http://67819762.at.webry.info/
このページの左側のサイドバーの一番下の方、リンクの欄の5行目「東日本大震災支援生協OBの会埼玉」の文字をクリックしていただくと、リンクしてその画面が表示されます。

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追悼    陸前高田 震災犠牲者の方々の御霊に  20日、26日

[晴3]

 20日 早朝 8時に 出会った事を語りたい。
 場所は千葉市斎場。千葉市緑区平山町。
 この日 36人の方が荼毘にふされた。陸前高田の震災犠牲者であった。
 私は たまたま知りあいからの知らせでたち会わせていただいた。

         その日、朝の荼毘
 火葬入り口回廊に横付けの大きな車2台が遠くに見えた。
 その車からご遺体の御棺が一体 一体と降ろされ台車に載せられて廊下を横切り、私たちの視界から消えていく。 
 ご遺体が廊下に見えるたびに10人に満たない人たちがご遺体にむかって手を合わせた。そこは立ち入り禁止の簡易柵の外側であった。ご遺体から60~70mもはなれていただろうか。花が3束手向けのために用意されていた。

 前に荼毘に付されていたお骨がおなじ台車で 再び車の中に安置された。終了を待って車2台が私たちの横をとおって視界から遠ざかっていった。後を岩手ナンバーの乗用車1台、目礼してすぎていった。そのとき斎場から離れたところには自発的に立ち会った10人の和尚さんの読経が静かに流れていた。 早く岩手にかえってなつかしい陸前高田にめぐり合ってほしい、そんな思いで手を合わせた。御骨は400キロ以上離れた陸前高田にむかっていった。

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大震災による二つの重大事故に思う

[大友弘巳]

1、 福島第一原発の重大事故
<事故の収束の工程表を見て> 
福島第一原発の重大事故が発生から5週間余が過ぎた4月17日、東京電力は事故収束に向けての工程表を発表しました。ステップ1に3ヵ月、ステップ2に3~6ヵ月、合計6~9ヵ月かかるとされており、やはり最低でもそのくらいはかかるのかと思うと共に、ぜひそのくらいの期間内に収束してほしいとも切に願うものですが、大きな余震が続いているもとで本当にその通りできるのだろうかとの疑問は打ち消せません。
 既に、4月4日には放射能汚染水を大量に海へ放出して世界の人々から批判を受け、12日にはついに、事故評価尺度をチェルノブイリ原発事故と同じ「レベル7」へと引き上げることを発表するに至りました。
 原発から30km以上離れている飯舘村などでも、放射能汚染が高濃度化しているため避難しなければならなくなってきており、収束の見通しが立つまでの間に、今後もさらに広がっていくことが懸念されます。
 夏場の電力不足が予測されていること、自粛ムードが日本経済の不況・低迷をさらに深めるといわれていること、被災地の復興のための財源として消費税率アップが検討されていること、食料品の放射能汚染や風評被害にどう対処すればよいか、などなど、国民一人ひとりが情報を正確に理解して、的確に判断し、行動していくことが大事になっていることを感じますが、そのことの難しさも痛感しています。
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生協OB達のささやかな震災支援活動

募金活動
斎藤嘉璋
 東日本大震災の未曽有の被害は福島原発の放射能問題など、今だに現地はもちろん全国の皆さんに苦難と不安を与えています。阪神淡路震災では数日後には現地に行き全国の生協の仲間と支援に携わったものとして「何かやれないか」と考えました。しかし、現地の生協はじめ日生協などには具体的に役立つ提案も力もなく電話することも迷惑をかけるだけと思いとどまり、同じ思いのOB仲間に生協のホームページやメール連絡で知った情報を交換するといったことだけで、テレビの情報にイライラ落ち着かない日々でした。
 そんななかで埼玉の生協OB仲間が被災者支援の活動に取り組み始めたことを知り、東京都生協連のコープボランティアネットワークの皆さんが3月末から始めたJR中野駅での支援募金と応援メッセージの活動に協力することにしました。東協連友の会の会長として独断でしたが、会員の皆さんに協力を呼びかけ、そのような行動が無理な方には切手による募金協力をお願いしまた。
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みやぎ生協大震災対策本部ニュース   No19のご紹介

[管理人 少老朋友]

みやぎ生協大震災対策本部ニュースNo19の抜粋をご紹介します。
対策本部ニュースとしてはこれが最終号となり、今後は随時「対策ニュース」が発行されるそうです。
店舗は随分復旧が進んだとのことですが、石巻市内の店舗がまだ大変な状況のようです。

みやぎ生協大震災対策本部ニュース№192011年4月1日 災害対策本部発行

職員の皆さんへ

アクアクララみやぎ生協は、地震の翌朝に避難所へ約800本のボトル水をお届けしました。工場は、断水により製造が出来ないことから、山形から毎日運ぶことで、震災後も休業することなくボトル水を届け続けました。
水事業の職員の中には帰る自宅が無い中でも「命の水を届けるんだ」という強い使命感を持って勤務し、そんな積み重ねがあって、たくさんの利用者から感謝の声をいただくことができています。未だに水道が出ない地域も多数あります。今後も一軒一軒大切に「命の水」を届けることで、今できる安心を精一杯届けています。少しずつですが、確実に前進していることが実感できる毎日に感謝し、ともに頑張りましょう
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改正生協法と組合員主権

[斎藤嘉璋]

コープあいちの合併の取り組み

もう1年近くまえのことになりますが、このブログに田辺準也さんが「改正生協法では合併は総会事項から総代会事項になったがそれでいいのか?合併で組合員の出資金が移動することになるが本人の承認なしに移動できるのか?」という疑問を投げかけ、皆さんに見解を問いました。私も同様の疑問をもっていますが、このブログにはこの件でどなたも発言がなく残念に思っています。一方、今回の生協法改正にあたっては「5年以内の見直し」がうたわれており、今年は日生協の場でもその論議が始まると聞いています。
ということもあり、法律問題で見識と言えるものを持っているわけではありませんが感じていることを書いてみます。なお、組合員主権の立場から改正生協法を考えると役員選挙が「選任」でもいいことになったことも大きな問題と思いますが、それは別の機会に述べたいと思います。
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新年を迎えて ご挨拶とご報告

[管理人 少老朋友]

明けましておめでとうございます。

IMG_1146-2.jpg
     写真は、荒川の河川敷内からの眺望。元旦早朝、初日が映えた富士山です。
           望遠レンズで撮っていますので、目で見たより大きく写っています。

 このブログに投稿または寄稿してくださっている皆様、コメントをお寄せいただいている皆様、そして、記事をお読みくださっている多くの皆様方に、厚く御礼申し上げますと共に、新年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
 生協OBの有志9人によるこの共同のブログ「コラボ・コープOB」がスタートした2008年9月から、早くも2年と3ヶ月ほどが過ぎました。
 当初は僅かなアクセス数でしたが徐々に増え、2010年に入ってからは急激に増えて、「FC2カウンー」(ページの左下の方、「天気図」の上にあります)に表示されています通り、12月にはスタート以来延べ2万件に到達しました。
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生協総研の研究集会に参加して

斎藤嘉璋

助け合い・協同の喪失社会でーー

 先月、生協総研の全国研究集会「経済危機とくらしー生協の理念と地域社会との協働」に参加した。そこで印象に残ったことを少し書かせていただく。一つは日本社会の現状認識についてであり、2つは理念と実践に関してである。
 日本の現状については3人の講師(神野直彦東大名誉教授、宮本太郎北大教授、橘川武郎東大教授)ともある種の危機にあるとの認識では共通しており、その克服の道をそれぞれが語られた。神野教授は「奪い合い」戦略のもとでの「市場拡大」から「分かち合い」戦略のもとでの「社会拡大」へ、税・財政問題をふくむ「希望の構想」を述べられた。「分かち合いで危機の克服」を主張する神野教授は「人々は競争ではなく協同するのが原点」とし協同組合への期待も述べた。(教授は現政権の税制調査会の専門委員会委員長であり「強い財政、強い社会保障、強い経済」の考えや専門委員会の「論議の中間的な整理」も示されたが、ここではそれへの感想は省略。)
 宮本教授は現在の日本を「総合的危機」にあるとし、その克服のための「参加とアクティベーション」について述べられた。総合的危機の内容として①制度解体(日本型経営の衰退―雇用、生活保障の解体、金融優位型資本主義の行き詰まり、雇用者報酬の実質減など)、②社会・人口変容(生産年齢人口、出産年齢女性の減少、共働きと家族の変容、失業、未婚などと「無縁社会」化、貧困化)、③政治麻痺(行政・政治不信、財政危機など)が挙げられた。印象的だったのは職に就けない若者の増、結婚できない(しない)、婚期の遅れといった「無縁社会」化が「貧困化」と並行して進行しているという指摘。もっとショックだったのは、そのような状況のもとで日本人の「助け合い」の精神は諸外国にくらべ非常に劣っているという指摘だった。
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生協の歴史と明日とー2

斎藤嘉璋
「連帯問題を中心に」-事業連合にについて

 現在、日本の生協の連帯組織は都道府県連と事業連合が基本になっています。かって指導連絡調整も事業も都道府県連が担い、日本生協連の第1号会員は都道府県連でした。全国事業生協連が設立されて都道府県連は事業活動をしないことになり、その後、その商品事業は日本生協連のもとで大きく発展しました。
 その商品を中心とする連帯活動は90年代から各地に設立された事業連合が担うことになります。その事業連合の機能は商品連帯から会員生協の事業諸機能の統一へと進み「実質合併だ」といわれる状況に近いものになっています。「“実質合併”に近いものになったのだから、正式に組織合併するのは自然だ」という一見論理的で、実は論理的でない論議が現在進んでいます。ということで、事業連合の歴史を少しさかのぼって、考えてみます。
今回のテーマではありませんが、地域生協の県域越えのさまざまな動きや日本生協連から独立した医療福祉生協連の発足といったことなど総合的な地域連帯組織の都道府県連の在り方も論議を深めるべき時期にあると考えます。

大学生協の教訓
 大学生協連の法人化50周年思い出集「大学生協の歴史と未来」では多くの方が歴史と教訓を語り、書いていますが、和田専務はなかでも「無私の連帯」の伝統を学び、大切にしたいと述べています。50年まえ、私は大学生協連常務理事として東京地連管内での未組織校対策―生協設立支援に大半のエネルギーを注いでいました。生協が設立されるとまず必要なのは専従者であり、商品です。当時、その供給元は東大生協でしたが、それにも限界が感じられる中で、既存生協が連帯して「人、モノ、金」の面倒をみられる組織をどう構築するか、議論がはじまりました。
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生協の歴史と明日とー

連帯問題を中心に
「斎藤嘉璋」

 この間、大学生協連の50周年、同東京事業連合の40周年、東京都生協連60周年に関連し、その歴史について語ったり書いたりすることが続いていました。その余波で29日には日生協職員有志がやっている協同組合塾でも生協の歴史について語りました。この塾は賀川豊彦献身100年を契機に賀川に関する学習からはじめ、協同組合理念や歴史などを学ぼうとしています。
 私の話は別として、終わってからの参加者の交流で皆さんが生協に関する歴史や理念に強い関心をもっていること、そして議論好きだということに久しぶりに感心しました。最近の生協の職場では(日本生協連をふくめ)、生協の在り方などをめぐり若い人が議論しあうといったことが少ないと感じていたので喜ばしかった。その集まりには賀川記念館館長の賀川督明・一枝夫妻なども参加されていたが、そのような外部の人からも生協の現状についての感想もだされました。
 その一つで良く考えなければと思ったのは「最近、東京から山梨に移り山梨の生協で総代などで生協活動に参加しているが、東京の場合と違い生協も小さいせいか身近だが、産直の農家との関係などを含め地域での交流が身近でたのしい」という発言でした。この組合員が感じる「身近さ」は組合員同士でも職員との関係でも生協の「絆・信頼」のもとになるもので、大東京の100万人を超える組織ではすでに希薄になっているようです。
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日生協総会の感想など

「齋藤嘉璋」
*日生協総会を傍聴して
このブログに「月に1回位は投稿させていただく」と言いながら、ご無沙汰しています。日生協総会は傍聴するので感想文は書くと約束したが、期待したようないい話はなく、またしても心配ごとの繰りごとになりそうです。
 会長挨拶では11次中計の基調は「信頼再形成」であり、それは単に商品問題でなく組織全体への信頼であるとし、餃子問題などにふれ危機対応での社会的な説明責任の大切さが強調された。その説明責任は県域を超える合併問題など戦略的連帯などの問題に関しても大切と述べたのが印象的だった。
そのあとの厚労省の局長挨拶では、改正生協法の隣接県での組合員利便への貢献にふれ、地域コミニティの陥っている困難ー買い物難民などーに生協が持つ物流インフラ、宅配機能など活かされることへの期待が述べられた。また、食の安全に関し「一部生協での食材の不適切な扱い」に触れ、生協の一層の注意と努力を促した。
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なぜ、「3生協合併」に賛成しないか、   ~その2

[大友弘巳]

2、組合員からの信頼と支持を回復することこそが根本課題
―― 合併は、それをより困難にする


①後退を続けている出資・利用・運営参加

<90年代から始まっていた後退>

 生協が他の企業との競争の中でも発展を続けるためには、「組合員の力」、「役職員の力」、そして「連帯の力」の三つがそれぞれ強まることが必要ですが、とりわけ他の企業には真似できないのが組合員の力であり、生協の事業や活動に賛同して組合員自ら協力共同しあうのが生協にとっての生命力であることは、ロッチデールの先駆者以来の伝統です。
 日本の生協の強みは、組合員の出資、利用、運営参加の三位一体の活動が積み上げられてきたことによる「組合員の力」の強さにありました。
 近年のヨーロッパの生協と比較してみると、日本の生協がここまで発展する上で、いかに組合員の三位一体の協同の力に支えられてきたかを強く感じます。
 しかし、組合員が増え、生協への加入率が高まってきた中で、組合員の中に組合員意識が薄い人たちも増え、生協の理事会や役職員の側でもそのことに慣れっこになったり、生協が多数者の組織になる中では組合員の力が薄まるのは仕方がないと言う考えに陥ったり、考えはそうではないにしても、実践的には組合員からの生協への理解や信頼を高める努力をおろそかにしている傾向が広がってきたように思われます。
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寄稿 「井上ひさしを偲んで」

[高木三男」

 井上ひさしが亡くなりました。
 9条の会のよびかけ人が次々と亡くなっていくのは残念です。比較するのはおかしなことですが、小田実や加藤周一のときよりも井上ひさしの方がぐっと身近に残念だと感じられます。
 生まれが私の出身の米沢市の隣町の小松町(現在は川西町)で、中学、高校と仙台にいましたたからわれらが郷里の人間という身近さでしょう。小松は私の母方の祖母の出身地でもあります。
 井上ひさしは、故郷小松町を大事にし、87年8月に蔵書10万冊を寄贈して遅筆堂文庫を開設、翌年8月には農業や社会問題を考える「生活者大学校」を開校し、ほぼ毎年開催し、郷里の人材育成に貢献しました。

 河北新報(宮城県でNo.1のシェアをもつ地方紙)は4/12付夕刊1面トップで井上ひさしの死去を報道しましたが、その記事の中で、「少年時代は生活困窮のため、母親と離れ15歳で仙台市内の児童養護施設『光ヶ丘天使園(現ラサールホーム)』に入り、東仙台中、仙台一高に通った」と報じています。同様のことは朝日新聞4/13付でも報じていますし、ネットの百科辞典『ウィキペディア』にも後述のように載っていますから、これが定説なのかもしれません。私も児童養護施設という言葉から連想して、家が貧しくて苦労したんだなぁとズーッと思っておりました。
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8月15日だから 

「晴3」   私の戦争体験  1945年7月10日、仙台空襲 米軍進駐

戦争で辛酸をなめた人々が国民の多数者だったころ、幼少時の私の戦争体験などは取るに足らないものと思っていました。事実辛酸をなめた多くの方と比べるべきもないのですが、あえてつたない体験を述ることにしたい。なぜならいまや戦争を実感し得ない世代が圧倒的な多数者になりました。戦争のむごさを人々が忘れるとき戦争(準備)への道を為政者は容易に進めるからです。
爆撃下、7歳時の私の記憶は朦朧としていて断片的なのですが、そのいくつかの場面(シーン)は強烈によみがえってきます。 
1945年7月9日も空襲警戒警報があり、それがやっと解除され家族はほっとしたようです。そんな矢先、真夜中の0時を機に134機による突然の爆弾、焼夷弾投下が始まり2時間続き1060人の犠牲者と市街地の大半を焼け野原にしました。
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28日10時の東京高裁判決とその後の政府の言明に注目をしてくださいませんか。


[晴3]
こんばんは。既におやりの方には恐縮です。釈迦にせっぽうのきらいがありますがコラボに入れます。被爆者のことです。少しかかわった程度ですが刺激が大きかったので参考に発信します。今日のことです。

28日10時の東京高裁判決とその後の政府の言明に注目をしてくださいませんか。被団協被爆者にとって命をかけた最後の戦いです。またもしも司法で17連敗の政府が控訴するならオバマ言明にみられる世界の新しい流れを日本は理解せず、逆らっていることを内外に示すことになります。

被爆者の平均年齢は78歳、残された時間はない。原爆や戦争を実感として持ち得ない国民が多数となる中、 生き証人の使命として、原爆症の酷さ、非人間性を政府が認め、核廃絶の確固たる道を歩んでほしい。
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斎藤さんの「よりよき生活と平和を巡って」を読みました。刺激を受けて

[晴3]
斎藤さんの「よりよき生活と平和を巡って」を読みました。

私はかって責任者として東大生協25年史編集 執筆に関わりましたが  その由来はスローガンをつくった当時「国際学連」が「平和とよりよき生活のために」を掲げていて、学生役員だった飯尾要氏(新聞記者を経て生協職員のち大学教員)が 「 生協は生活だから逆転させて生活を先に出し「よりよき生活と平和のために」を日生協に提案したと聞いています。戦争の灰燼から生まれた戦後生協にとって大切なことでした。

さてそも「平和が先か」「生活が先か」ということですが  経緯や由来はひとまずおくとして生命そのものを消滅させてしまっては 生活も人生も 信条も思想も競い合う場も失う訳で 平和はすべての前提なことは自明なことです。これが原則です。
現在一発で広島型の千倍の威力を持つ27000発の核兵器があり 核兵器を呼び込む戦争の火種は消えず  米国の新自由主義と軍拡に追随している日本にあって 、また命を脅かす地球環境破壊(戦争と戦争経済がもたらす地球環境破壊は環境破壊のさいたるもの)がある中で今を生きる すべての個人、あらゆる団体が自らの立場から「命」を守るために積極的行動やコミットメントがなければ人類の未来は失われることになる時代です。

そのことを前提に、私は生協にあってはこれまで掲げてきた「生活と平和のために」がいいと考えています。

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生協の反核平和の取り組みー歴史断片2

「斎藤嘉璋」

”平和とよりよき生活のために”をめぐって
<平和>が先か<生活>が先か
 日本生協連は創立宣言で<平和とよりよい生活のために>をうたってから、それは長らく基本スローガンとされたが、大学生協では<よりよい生活と平和のために>と生活を先にするスローガンを使う例が多かった。
 調べてみると東大生協が1950年6月の第5回通常総代会のスローガンに<よりよき生活と平和のために>と<学消の歴史を繰り返すな>を掲げており、その年に各学部自治会の支援のもとに全学的に展開した“協組防衛闘争”でもこの二つのスローガンが使われている。(「よりよい生活」は当初「よりよき生活」だったようであるが、ここでの既述は正確に原典に当たったものではない。)
 私は1957年から大学生協にかかわったが、大学生協ではそのスローガンに<よりよき生活と平和のために>が使っていたように思うが、「平和が先か生活が先か」といった論議があった記憶はない。しかし、60年に日生協に就職すると「平和が先だ」と教えられた。
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つづき 今日は憲法記念日

[晴3]
ミサイル

次はこの日公開した広報史料館。
かねてみたいと思っていたので年1回のこの機会にのぞいてみる事にした。広報史料館は入り口の「高射学校の使命」の掲示に次いで「高射学校の教育訓練訓コ-ナー、郷土コーナー(四街道にあった戦前の陸軍野砲学校)  鉄道連隊コーナーおよび佐倉連隊コーナー(57連隊)など6セクションがありいずれも興味深かった。写真撮影は禁止で説明要員もいない、約1時間半みたが2~3脳裏に焼き付いた掲示説明文を紹介しよう。
「高射学校の教育訓練訓コ-ナー」では自走ミサイル、地対空ミサイル、等の訓練状況とレーダーでは敵機の高度、速度、距離 、方向を測定する訓練が示され、「防空のメッカ高射高射学校へようこそ」の文が目にとまった。
 
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沢内病院元院長の増田進さんを追っ掛けた話   寄稿 高木三男

 今年の2月28日のNHKで「アーカイブス 老人医療費の無料化から49年」をたまたま見ました。沢内村のことで、なんと1時間20分でした。過去2回のNHKの特集番組(とくに92年放送分が主)と直近の状況までを報告したもので、報道姿勢もしっかりしておりなかなかいい番組でした。この番組で、院長の増田進さんという方を初めて知り、人間的な魅力を感じました。この人はホンモノだという感想です。私は、『村長ありき~沢内村深沢晟雄の生涯』(新潮社、現在はれんが書房新社から復刊)を出版当時に読み、深沢、太田の2代の村長のことは知っておりましたが、増田さんはノーマークでした。このテレビは、92年当時の村長の太田さんと院長の増田さんが主役ですから、増田さんの露出度が高く、人柄、考え方がよく伝わりました。深沢村長の理念を医療現場で実現していく方というか、いや増田さんそれ自身が医療についての深い哲学、信念を持って、揺るぐことなく実践していく方という印象を持ちました。冷静沈着で、いつも笑みをたたえ、患者にやさしく接するその姿に感銘を受けました。もっとくわしく知りたいという思いを起こさせる人物です。しかし、92年当時の放送から17年経っていますからお元気でおられるのかどうか、いまどうしておられるのかわかりません。加藤善正さんのことが直ぐに頭に浮かびました。
 
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名古屋、南京文化交流企画について、お礼とご報告、

[田辺準也]
先日、表記の件でお願いしたところ、沢山の賛同、協力を頂きありがとうございました。
おかげで、今回の企画は、右翼の妨害や名古屋市の後援取り消しなどの障害を克服して、3月24日から29日の南京虐殺事件の真相を知る写真展には、1220名、28~29日の音楽文化交流会には、400名、日中囲碁交流会には40名、李小白氏の絵画講習会には30名、ボランテイア要員延べ260名、賛同者707名、賛同団体29、心配した赤字もなく、画期的な成功を収めたと自負しております。
右翼も街宣車パレードを行い、展示会にも何度もやってきましたが、写真の出所を精選したことで、ケチをつけることも出来ませんでした。地元中日新聞も三度も取り上げ,最終盤は夕刊一面トップで扱ったこともあり、大きな反響をよびました。28日のシンポジュウムには、南京大虐殺記念館副館長王さん、立命館大学平和ミュージアム名誉館長安斉育郎先生にも参加してもらいました。29日の音楽交流には、南京総工会からの代表も参加しました。
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春の来ない冬はないと言うけれど・・・・・・

米原 俊夫

明けましておめでとうございます。
しかし、簡単におめでとうと言える社会状況ではないですね。
100年に一度の危機といわれておりますが、何よりも「政治の無策」を痛感します。
この寒空に仕事を失い、寝るところも無く、食べることすらできない人々が何百人いや何千人と生まれることが分かっているのに、なんの手だても打つことができない現状。自己責任で、なんとかしろと言う事でしょうか?。実際に多くの方々が、「派遣村」に殺到しています。
このまま進んでいけば、日本という国はどんな社会になっていくのか、不安がますます広がってきます。
アメリカでは、新しいリーダーが誕生しました。日本も選挙の年といわれています。少しでも明るい日差しが感じられるような社会になるよう努力していきたいと思います。
今年もよろしくお願いいたします。

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2009年という年は ?

[少老朋友]
メディアの情報を集約してみると、以下のようなことがあげられています。
 世界同時不況。
 アメリカ合衆国でオバマ新大統領就任(1月)。
 日本では総選挙(時期?)。
 裁判員制度スタート(5月)。
 世界恐慌から80周年(10月24日)。
 中国建国から60周年(10月1日)。
 インターネットの前身アーパネット運用開始から40周年(10月)。
 ベルリンの壁崩壊(11月9日)、東西冷戦終結(12月3日)から20周年。
 ユーロ誕生(1月1日)10周年。
 世界天文年。
 奄美大島、屋久島などで6分超の皆既日食(7月22日)。
ほかにもたくさんあげられており、大事な1年、さまざまな節目の年となりそうです。

コラボ・コープOBの運営メンバーの皆さんにとってはどんな年になりそうでしょうか。
そして、このブログを見ていてくださっている皆さんにとってはどんな年になりそうですか。

「コラボ・コープOB」にとってはまだ1年目の途中です。より充実したブログページになっていくよう、管理人としても努めますので、どうぞ、投稿、寄稿、コメント等、奮ってお寄せ下さい。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
 

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生協には夢があった。

[晴3]
生協には夢があった。 古来 先駆者たちは、協同の夢を掲げて戦ってきた。そして世界に、日本にひろがっていった。

未来はすぐにはico_niji1.gif
実現が出来ない事を十分認識した上で、なおかつ「未来は必ずや我らのものである」という不動の立場を固めることが、地道な不屈の努力を生み出すのである」(福武直  賀川豊彦に寄せて) 戦争にひた走る気息奄々の時代に「みらいは我らのものなり」といってのけ、生協人を鼓舞した賀川豊彦がいた。賀川は日本のみならず世界の協同組合の先駆者だった。  
千葉市民生協の創設時  故田仲善一も「夢をかたった」。私は夢見る夢でなく「日々の営みを糧に目覚めていく気づきの夢」に置き換えてみた。その時掲げた夢は叶っていっただろうか。

あれから二〇年経た今日、翻って日本は途方もない混迷の時代を迎えている。金融崩壊は「精神のない構造改革。人間を粗末に操作する利益効率至上主義の管理やテクノロジー。実生活や現場から離れた管理。理念を棚上げにした精神のないリーダーシップ」のいきつく先だった。失われたものは大きすぎ格差排除の犠牲は傷口を広げ始めた。日本社会が人間を粗末に操作する利益効率至上主義の延長線上に進むなら、混迷はひどくなる一方であり出口のない不確実な未来があるのみであろう。いわゆる政治屋や小役人や専門家の目先の小手先では全く解決はしない。アメリカ流、小泉流資本主義をきっぱり否定し「人格性」を取り戻す協同の道以外に活路はあり得ない。いかに困難があろうとも人間性、人間味のある社会システムを取り戻し構築していく必要がある。協同を価値とする社会構築の可能性のある時代を迎えた。人は皆温もりのある関係を求め始めている。そんななか協同組合がどんな構想力と知性を集め実践するのか、協同組合の歴史をかけた時代と認識したい。



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吉永さん ご愁傷さまでした

[米原俊夫]

大往生とはいえ、親をなくされた悲しみは、大きいと思います。
さて、家族の問題が、様々な形で大きな社会問題になっています。
吉永さんの問題意識に同感です。と同時に、家族間も含めてコミュニケーションの欠如が根底にあるのではないかと感じています。
この間の痛ましい事件の加害者にも共通していえる現象ではないかと思います。
「文字だけで会話する世の中」がますます広がる中で、顔をあわせて息遣いを感じながら対話することの大切さをあらためて強く感じます。

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花火見物(トラックバックのテストです)

[米原俊夫]
私も長岡に花火見物に行ってきました。
8月3日午前9時過ぎに家を出て、車で高速道路をひた走り、長岡に昼過ぎに到着。
信濃川河川敷きの打ち上げ会場には、既に大勢の人々が場所取りをしていました。
幸い私は、地元の花火同好会(?)の会員のお世話で席は確保されていましたので、
長岡市内を見学し、夕方6時過ぎに会場へ行きました。
3尺玉の豪快な打ち上げや、橋一杯にかかる仕掛け、一夜で約1万発といわれる花火に
大いに堪能しました。
(写真を撮ってきましたが、この欄への挿入の仕方が分かりませんので、省きます)

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共同のブログ「コラボ・コープOB」の開設にあたって

自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、――協同・平和をめざして

今、私たちの暮らしには、地球環境の崩壊、原油の高騰や食糧危機を背景にした物価高、年金や医療など社会保障の後退、雇用の不安定化の下での格差拡大、さらには、憲法改定や自衛隊海外派兵の恒常化の動きなど、心配事が山積しています。
日本の生協は、高物価や商品の安全性への不安から暮らしをも守ろうとする消費者(主として主婦)のニーズに応える事業展開と、組合員が「出資し、利用し、運営に参加する」協同の広がりによって、国際的にも注目される独特の発展を遂げ、今や地域社会の中でなくてはならない存在になってきました。
そして、今年4月に生協法の大幅な改正が施行され、日本の生協はこれまで規制されていたことを、かなり自主的に検討し自己決定できるようになったわけですが、それをどう生かして行くのかは日本の生協運動の今後に大きな影響を及ぼすと考えられます。
私たちは、日本の生協のこれまでの発展に、それぞれの大学や地域で関わり、貴重な経験を出来たことを誇りに思っていますが、今は既にリタイアして第一線を退き、生協とは一OB、一組合員として、ささやかに関わっています。
私たちは冒頭に述べたような情勢や日本社会のあり方を心配し、そのなかでの生協の健全な発展を願っています。年金生活者として、自由度な立場、自由な時間を享受しながら、ボランティア活動や平和運動に参加したり、趣味や生涯学習に喜びを見つけたり、OB同士で交流したりすることなどを生き甲斐としつつ、年相応に家族と自分の健康を大切にし、日々を大切に過ごしています。
こうした自分たちの現状と問題意識の下で、一人ひとりバラバラに考えたり行動したりしているだけでなく、交流し、意見交換し、他の多くの人々からも意見を伺える場を共通に持つことにしたいという願いから、この共同のブログを開設することにした次第です。
もっぱら自分の趣味の成果を披露することになる人も出てくるかもしれません。不揃いでも、多様性を認め合いながら、コラボレートして行きたいと願っています。
コメントをお寄せいただくことで、コラボレートの輪をさらに広げていただければ、真に幸いと考えております。
以下のメンバーでスタートいたしますのでどうぞ宜しく。
    2008年9月
石田静男、大友弘巳、加藤善正、斉藤嘉璋、坂元義範、
高橋晴雄、田辺準也、吉永紀明、米原俊夫

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