コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

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「リメンバー・・・」と「ノーモア・・・」

[吉永紀明]
 7月にカナダを訪問する天皇が帰途にハワイのパールハーバーに立ち寄ることを検討しているという記事を見た。
 パールハーバーは1941年12月8日に日本が奇襲攻撃をかけた場所だ。
 このことでアメリカは「リメンバー!パールハーバー」を合言葉に第2次世界大戦に参戦を決定づけた。(1941年は私が生まれた年で、この年を覚えるのに「行くよ一番真珠湾」と覚えた)
 この「リメンバー!パールハーバー」という言葉を聞くと思い出すことがある。
 それは1978年にニューヨークの国連で開かれたSSDⅠ(第1回国連軍縮特別総会)に参加したときのことだ。
 その前年の1977年に、広島・長崎で亡くなった人たちの人数を確定させ、もう一度世界に核兵器廃絶を訴えていこうということで、科学者、被爆者団体、平和団体、市民団体、宗教者団体などを中心に「被爆問題シンポジューム」を東京、広島、長崎の3箇所で開催した。
 それと前後して、SSDⅠの開催が決まり、長い間の被爆者の核兵器廃絶の願いが実現するかもしれないと機運は一気に高まった。

 しかも今まで、核兵器の扱いに対する考え方の違いから分裂していた原水協と原水禁も統一世界大会を開いて日本の思いを世界に伝えることになった。
 そしてSSDⅠに向けての統一事務局も作られ、私も日本生協連から派遣されてその一員になった。核兵器廃絶の1200万署名も実現した。
 その署名を携えて、500名の日本代表団はニューヨークに向かった。
 空港でその荷物を受け取っている時に、私の隣のブースの税関職員が、その荷物の引渡しを拒んで何か叫んでいた。
 そして「リメンバー!パールハーバー」という言葉が耳に入った。通訳の人がその職員に、何故引き渡さないのか、理由を聞いたところ「お前たちにはノーモアヒロシマかもしれないが、俺たちにはリメンバー、パールハーバーだ。だからこの荷物をアメリカに入れることは出来ない」との言い分だった。
「どれだけ被爆者の人たちが、このSSDⅠの開催を待ち望んでいたか」「核兵器がどれだけ非人道的なものか」を伝えてもらい、ようやく署名簿の入った荷物を引き渡してもらった。
 残念ながら、国連軍縮特別総会はその後4年ごとに3回開催されて、充分な成果のないまま終了してしまった。
 アメリカと日本は確かに日米安保条約で同盟関係が結ばれているが、基地の問題や、核の持込み問題、米兵の事件を扱う地位協定の問題など、対等平等の関係にないのは明らかだ。
 また、広島への原爆投下についても、アメリカでは「戦争を早く終了させることができた」と学校では教えていて、「被爆の実態とその非人道性」については教えられていない。
 アメリカの議会関係者も昨年初めて、ぺロシ下院議長が広島を訪れて、原爆慰霊碑に献花した。
 河野衆議院議長がその返礼として、パールハーバーを訪れて献花した。
 しかし、お互いの国を訪問しても、時の大統領や首相は訪れていない。
 オバマ大統領の「核兵器のない世界を目指す」と訴える平和に対する思いを信じて、訪日したときに広島を訪れるきっかけになればと思う。
 また、来年開かれるNPT再検討会議で、核兵器廃絶に一歩でも近づいてほしいと願う。

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