コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

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大学生協の思い出

[大友弘巳]
 全国大学生協連合会が法人格を取得して昨年50周年を迎えたことから、今年に入って、当時大学生協に関っていた人々に思い出を書いてもらって、「思い出集」を発行する準備に着手しています。
 コラボ・コープOBの運営メンバーの大方が思い出を書く該当者ですので、この場にも投稿し合ったらどうかと考え、私が書いたものをまず投稿させていただくことにしました。
 長いので、2回に分けて投稿します。

大学生協の思い出 (その1)
「設立運動のこと」
埼玉大学で生協運動設立が始まったのは1959年春でしたが、丁度学生運動は日米安保条約改定の動きへの反対運動について諸派対立しながら激しい議論をしていた頃でした。
設立支援に当たってくれたのは東大生協で、東京の東部ブロックということで埼玉も対象だったのです。同じ頃、東部ブロックでは、東京教育大学、御茶ノ水女子大学でも設立運動が進んでおり、それぞれほぼ同時期に設立が成功したのでした。

私は、クラス会で生協設立準備委員に選ばれてしまったのですが、アルバイトに忙しく、あまり熱心に活動していたわけではなかったにもかかわらず、安保闘争の高揚のなかで、準備委員会の中心メンバーが自治会や寮委員会の役員に移って行ったため、2年生になったばかりの時、やむなく生協の専務理事を引き受けざるを得なくなってしまいました。
60年5月21日、創立総会終了後直ちに国会へとの呼びかけがあり、参加していた学生の大半が国会包囲デモに参加したことが印象に残っています。
生協の実務は東大生協から派遣された主任が担ってくれていたので、学生理事は経営のことはお任せの気分でいたのですが、1年も経たないうちに赤字経営に陥っていることが分かり、急遽東大生協に更なる人事支援を要請することになり、東大ではすぐには出せないということで、結局早稲田大学生協から山岸健次さんを迎えることになりました。
幸い山岸さんの奮闘で再建計画を立て、立て直していくことになりましたが、学生理事といえども実務に突っ込んで頑張らざるを得なくなっていきました。
山岸さんは東京同盟体設立のため38年には帰任しなければならなくなり、私は生協に就職し、東大生協で半年間見習いをさせていただいただけで埼玉大学へ戻り、専従として実務の責任者を務めることになりました。
急速に多くの大学で設立運動が進んでいったなかで、人材養成が追いつかなくなってきていたのだと後に塚崎さんが言っていましたが、そうした中で学生が事業にもかかわりを強め、自分の大学の生協に残って専従になることが必要になった時期になっていたのだったと思います。同様に教育大でもお茶大でも学生が生協に残り専従者になっていました。
当時の設立運動で記憶に残っているのは、右翼学生の妨害でなかなか設立が進まず結局何年か遅れた茨城大学で、柔道部員で国体選手でもあった遠藤捷彦さんなどが暴力にも屈せずがんばったことでようやく設立総会が開催されたということがありました。
千葉大学も、大学当局が生協を警戒し、非協力的だった中で設立が遅れた事例でした。
しかしそのあとは、大学には生協があることが当たり前という状況になって行き、設立が広がっていったように思っています。

「生協祭りによる学生の活動の広がり」
 60年安保闘争が収束後、学生運動は分裂と対立をさらに深めていきましたが、生協の学生理事の活動は、教育環境整備運動ということで、土地建物使用料撤廃、水道光熱費無料化など全国的課題に呼応すると共に、学舎移転統廃合が始まった埼玉大学では、食堂の増築や、移転先への食堂、売店など生協施設の整備等、独自の切実な要求もあり、運動が活発に展開されていました。
 ことが大きな課題であったため、大衆的に大きく広がった運動の組み立てが必要となっていた中で、1963年5月、第1回生協まつりを開催することになりました。
 新入生に実行委員になることを呼びかけ、新入生自身が企画して、自ら楽しむというやり方にしたいとの学生理事からの提案が支持され、数十人規模で実行委員会が作られ、多数の参加を得て祭りが成功したのでした。
 その実行委員経験者の中から、生協の総代が選ばれる、さらには学生委員や理事が選ばれるという事例が多く、いわゆる学生運動家とはタイプの違う層の学生が多数参加するようになりました。
 加えて、海岸や山へ出かけての学生理事・学生委員の泊まりこみ合宿を開催し、生協とは何か、教育環境整備運動などについて学習を深めると共に親睦を深めるなども、学生自身の企画によって開催されていました。
 こうした活動は現在も受け継がれ、「スプリング・フェスティバル」「新入生交流合宿」として開催されていると聞いており、生協の学生組合員活動の幅の広さと活力は、今も発揮されているようで、生協運動らしさを感じます。

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