コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

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「異端派生協の逆襲」を読んで(その2)  「事業連帯、事業連合」論について

[大友弘巳] 
 下山さんは、1990年に同時に認可された三つの事業連合を比較してそれぞれの特質を論じていますが、同じ年、任意団体東関東コープネットワークを設立し、その2年後にコープネット事業連合を設立するための準備を始めながら、先行された三つの事業連合それぞれの様子を見守っていた者として、コメントしてみたいと思います。
氏の評価では、ユーコープ事業連合は「強者の連合」であるとし、連帯のありようとしては「覇権型連帯」であったとされていますが、あまりにも一方的とに感じます。
ユーコープは確かに神奈川、静岡、山梨3県の拠点的生協が中心に連帯しようとしたという点では「強者の連合」といえなくはありませんが、主たる目的は大型の店舗の展開を成功させる(失敗させない)ことにあり、そうした店舗を成功させた経験があったわけではありませんので、その面から見れば実は「力の足りない者の連合」だったとも言えます。

 また、ユーコープ創立に至る前、コープしずおかは経営的に困難を抱えており、生協間連帯でかながわから支援を受けてきた経過がありました。ですから、ユーコープ事業連合は、「支援型連帯」だった側面が強く、かながわの「請負」に陥りやすい関係にありました。
 しかも、かながわとしずおかとでは事業規模の格差も大きく、まして、市民生協やまなしとはさらに格差が大きかった中で、かながわの事業システムをそのまま事業連合の事業システムとして使い、理事長も専務もかながわとユーコープの両方を兼務するという運営にしていましたので、それは結局、連帯というよりは統合に近い関係となり、「覇権型」といわれてしまうような面が強くなってしまったと思われます。
 そして、連続的に出店した大型の店舗が計画通りの実績を上げられず大きな赤字の原因となったこと、事業連合とコープかながわの組織運営に混乱や不具合が生じたことなどから、組合員と職員からの不信を招き、請け負ったかながわ側にマイナス面が強く表れてしまったのではないかと私は見ています。
 しずおか側は、事業連合を活用しつつも、事業連合にもたれかかってしまうことなく、経営再建の努力と、単協としての自主的な組織運営に努めたことにより、事業を伸ばし、経営も改善され、連帯の成果を実らすことができていたと当時のトップから聞いていますので、下山さんが言うように「コープかながわに従っていくことを前提にした『覇権型連帯』だった」ということで片付けてしまってよいとは思えません。
 ユーコープは、創立の当初のつまずきの影響が大きかったため永年苦労することになりましたが、その後懸命な努力で立て直してきたことは評価すべきであり、事業連帯の将来を思う人は、失敗や再建の経験から深く学ぶことこそ大事なことではないでしょうか。

 下山さんは、生活クラブ連合を「同質者の連合」と規定し、連帯の質としては「共同仕入れ機構」に止まっているという評価をしています。
 私は生活クラブについては深く知らず、生活クラブ連合の連帯を論じることはできませんのでパスしますが、単なる「共同仕入れ機構」にとどまっているというレベルではないように感じていることだけ述べておきます。

 下山さんは、首都圏コープ事業連合は「弱者の連合」「異質者の連合」だったと言い、「わがまま連帯」とも述べています。
 確かに小さい生協同士の連帯から始まったことは事実でしょうが、今ではそれぞれ大きく成長し、さらには都県内での合併も進んでおり、いわゆる拠点的生協のかつての規模には追いついてきているように思います。拠点的生協もかつては小さい生協が沢山合併して大きくなったわけですので、同じ道を遅れて歩いてきたということではないのかと感じます。時間がかかったのはお互いにこだわりが強い生協同士だったからではないでしょうか。
 「異質者の連合」ということも、大変失礼かもしれませんが、私には首都圏コープの各生協の皆さんはあまり違っている人たちとは思えません。むしろ、こだわりが強いということも含めて、似たもの同士という面が多いのではないかと感じています。
 「統一と団結ではない、わがまま連帯だ。」と述べ、「統一と団結というのは価値観を一つにするけれども、『わがまま連帯』は価値観の多様性を前提にする」と強調して、「統一と団結」と「わがまま連帯」を対置していますが、この対置が妥当とは私には思えません。
 生協運動はいうまでもなく、ロッチデールの昔から、共通の願いや要求実現のために思想信条の自由(違いを認め合うこと)を大切に、協同し合ってきました。
 生協は、思想的、政治的価値観を「統一」する組織ではなく、一致した願いや目的を実現するために力をあわせ団結する組織であり運動だという認識は、ほとんどの生協人にとって共通のはずではないでしょうか。
 氏は、「私は連帯というのは、根本的には価値観の異なる者の間、異質者の間で、それぞれの価値や個性を前提にしておこなわれるものであることを知った。」と述べていますが、今更なんで?と感じます。(日本生協連や都県連の場では、お互い様連帯してきたではありませんか。)
 さらに、事業連合のあり方について、「同質者の間で結びついたり、あるいは価値や個性を捨てて強い者に従っていったりするというのは、統合や統一ではあっても連帯や連合ではない、と気がついた。」とも述べており、これが本当の言いたいことのようですが、この点は素直に受け止められない表現です。首都圏コープ事業連合以外の事業連合は連帯や連合とは言えず、統合や統一に過ぎないと言っているように受け取れるからです。
 私は事業連合のように生協の機能のかなりの分野まで共同化を進める事業連帯においては、たとえば店舗展開を始めるなどの目的の一致や、経営状態など相互にかなり信頼できる関係などは必要なことと考えています。そうでなければ成果は期待できないからです。
 文句は言うが協力はしない、部分利用、「いいとこ取り」という会員生協がいることも運営を難しくします。首都圏コープ事業連合でもそういう経験はあるのではないでしょうか。これらは思想信条とは関係がない問題であり、高度な事業連帯を組む場合は、目的が一致し、信頼し合える生協同士で連帯することは認められるべきことと私は思っています。

 ユーコープの失敗に学びながら、コープネット事業連合は、「自立と協同」を大切にし、コープ商品の共同開発、その他の商品の共同仕入れに止まらず、機能の共同化を積み上げ、各会員生協の店舗作りを支援すると共に、事業連合の下でコーペラティブチェーンとしての運営を確立していくことで、グループトータルの力をつけることを目指しました。 (共同購入事業の共同化は数年遅れてスタートしています) 
 下山さんから見ると「強者の連合」とされるかもしれませんが、拠点的生協だけで連帯したことは、上記のような考えによるもので、価値観の一致によるものではありません。
 コープネットの連帯は、会員生協のそれぞれの地域に根ざした自立的発展のために最大限の協力協同をし合うネットワーク型の連帯を目指し、名称もネットワークにこだわってコープネットと付けたものであり、「覇権型」の連帯とは思っていないことは言うまでもありません。
 (もっとも近年は、「共同化」という言葉より、「統合」という言葉が使われるなど、会員生協が主体ではなく、事業連合が主体であるかのような傾向が感じられますので、下山さんが批判されるような面が強まっているとも言え、私も遺憾に思っているところです。)

 下山さんは他の事業連合を批判しているだけではなく、パルシステムグループについても、もはや弱者とは言えなくなった、強者の同質連帯になってしまったらそれ自体否定されるべき存在になる、個配も成熟化すると成長する力を失ってくる、新しい業態を模索する必要がある、協力業者との関係も単なるアウトソーシングにしてはならない、パルシステムはもう一度、窮乏状態だった原点に精神的な里帰りをし、マイナスをプラスに転化する発想、弱さを価値に転化する発想を、今の段階において取り戻す必要がある、とも提起しています。
 その点では大変真摯な問題意識を感じています。

 事業連合が相次いで設立され始めて以来、来年は20年を迎えることになるわけで、いまや全国的に総括し、今後の方向を大いに議論すべきときになっていると思います。
 大事な問題にも関らず、長い間、事業連帯のあり方についての本格的な議論の場がほとんどなかったことは反省されるべきことです。そして、その議論が深められることなしに県域を越えた合併の具体化の議論が走り出そうとしていることにも危惧を強く感じます。
 意見が違う点は多々ありますが、下山さんが「異端派生協の逆襲」で事業連帯のあり方について大きく取り上げ問題提起をされたことは時宜にかなっており、大事に受け止めなければならないと思っている次第です。

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