コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

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「異端派生協の逆襲」-生協は格差社会の共犯者かーを読む2

「斎藤嘉璋」

"統合”ではない“連帯”の行方

 この本のⅢ「異端のDNA」では「異端派生協」=パルシステムグループの歴史を振りかえって、それが弱者・異質の連帯であり“多様性の共存”であったとし、それが引き継がれるべきDNAとされている。それはユーコープのような「強者の連帯」や生活クラブのような「同質者の連帯」とはちがう、“統合”や“統一“でない”異質性の上に立った連帯“だとする。
 確かにユーコープやコープネットの連帯は商品はじめ諸事業の機能の統合が進む中で、方針や計画、組織運営も“統一”が進んでいる。「ここまで機能統合したのだから県域を超えての合併は必然だ」という安易な考え(生協運動の在り方論抜きの成り行き論)も出ている状況である。
 パルシステムは違うのか?事業面での機能統合は大いに進んでいるではないか。単協の自立性、個性を残し、組合員主権・単協主権を残そうという考えは存在するようであるが、その行方はどうか?それを決めるのは現在の組合員であり組合員に選ばれた人たちであって、生協OBや外の人ではないからか下山氏は具体的なイメージは示していない。
 首都圏の各県にはコープネット・ユーコープのグループと生活クラブ、パルシステムの3つのグループに分かれ、それぞれの生協が頑張っている。(東京の東都生協の無所属が唯一の例外)

 評者は今後の生協間連帯は各都県で3つの異質な生協がどう協同・連帯するかが課題だと考える。地域に根ざし幅広い住民の暮らしを守ろうとする場合、専従リーダーたちの生まれ育ちが違う、異質だからといってそれぞれがグループごとに県域をこえて合併する=異質の固定化といったことはあってはならないと考える。いまこそ都県ごとに“異質の連帯”が大切と考えるが、下山氏をふくめ関係者の考えを知りたいところである。

生協は格差社会の共犯者か Ⅳ「新しい協同のかたち」では下山氏も関与した「21世紀型生協論」(日本評論社)を紹介しつつ、現下の問題である世界的経済危機と格差問題について「格差社会の共犯者化している生協の改革」が必要だと強調している。格差が広がり新しい貧困が広がる中で、生協はそのような人々の相互扶助組織になり得ないのか、知恵と力を出すべきだという主張である。
 下山氏の認識は「反公害住民運動などと基盤を同じくして」安全な食品問題など消費者運動を推進した生協は「70年代から80年代にかけて、生協は社会運動として評価されていった。」しかし、「共同購入の伸びとバブルに浮かれたまま事業優先できた」生協は今、「日本社会の切実な社会問題、貧困と分断、そういうものとはるか離れたところにいる」ということである。
 下山氏の生協経験は都営住宅に住む豊かといえない人々の暮らしを守るための切実な要求に基づくものであり、私の都営住宅・戸山ハイツでの生協の取り組みもそうであった。今はその組合員の構成もかわり、規模もケタ違いとなり、かってのような「切実な要求」は聞こえないのであろうか。そもそも“路頭に迷う“状況の人は組合員であることをやめている(あるいは利用をストップされている)ので、「切実な要求」はないのであろうか。
 このブログで湯浅誠氏の著書「反貧困」を紹介したが、そこではNPO・反貧困ネットワークが相互扶助活動として、助け合い共済制度に取り組んでいることが書かれていた。しかし、湯浅氏は既存の生協のことなどは一言もふれていない。湯浅氏が悪いのではなく、下山氏の指摘どおり、生協と生協のリーダーはそのような社会問題とは遠い存在、彼らに思い出されない存在になったということである。下山氏は「『原理的相互扶助型生協』が復活されなければならない」と述べているが、既存の生協や生協関係者は何をすべきであろうか。
 暮れから正月にかけての日比谷での“派遣村”(村長・湯浅誠)にはパルシステムグループは緊急カンパをしたという。評者も暮に全労済OBの友人が「カンパと酒をもって日比谷に行ったよ」と聞き、正月明けにおくればせのカンパをした。
 下山氏はそのような反貧困の各種の個人、組織のうごきに関心をもち、その取り組みに人や物や金をだし、勉強をし、NPOなどのノウハウと生協のノウハウをあわせ貧しい人たちに役にたつ生協の在り方を追求すべきだという。
 評者は社会的弱者、貧しい人々に直接役立つ事業(商品の価格などで)などはなかなか難しいと思うので、さきのブログで書いた「フードバンク」など、他のNPOと提携する活動がいろいろ追求されることが大切と考える。そのことは筆者も触れている。
 かってのブンド全学連の闘士は、100年前の賀川豊彦の社会変革、生協運動への想いと行動を思い起こそうという。また、昔の仲間と憲法9条を守るための国会行動なども続けている。彼が批判するかっての統一戦線派であった私も、最近、そんな点で彼と認識が一致することが多く、この本の紹介文も甘いものになったかもしれない。
 この“怪しげな本”は、「批判批難が集中」することを期待し、挑発的な記述を各所でしている。評者はその挑発に乗らないようにしたが、皆さんにはぜひ挑発に乗って批判等を展開してもらいたいと思う。

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