コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

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「輿論と世論―日本的民意の系譜学」(佐藤卓己著)を読んで

[少老朋友]
 近年読んだ本の中でこれほど勉強になった本は数少なかったですし、かねてから世論調査について感じていた疑問が、この本によって解き明かされたこをうれしく思っています。
 朝日新聞の日曜日の朝刊の「読書」のページで、「輿論と世論」の書評を読んだのは10月頃のことでした。
 それまでの私は、「輿論」の「輿」という漢字があることは知ってはいましたし、「輿論」は(よろん)と読むことも知ってはいたのですが、「輿論(よろん)」と「世論(せろん)」を区別して理解してはいませんでしたし、「世論」を(よろん)と呼ぶことに違和感を抱いてもいませんでした。
 書評を読んで、何と大事なことに無知であったかと感じたことと、「人々がインターネットなどを通じて意見を発し、他人のものを読む。その積み重ねが、「輿論」形成の新たな回路を創ると佐藤は説く」という一文に惹かれて、この本を取り寄せて読むことにした次第でした。

 著者は、「輿論は世論にあらず」として、「輿論(国民が担う意見)」と「世論(世間の空気)」の違いを詳細に論じ、それが混同(誤用)されるようになったいきさつについても執念を感じるほどに掘り起こして論じています。
 「輿論と世論」によると、戦前の教育を受けた人々にとっては、「輿論」と「世論」が違うものであることは常識だったということですし、「世論」を(よろん)と読むことには違和感を抱いていたということですが、それは現在で言えば、75歳以上、あるいはもう少し年上の方々と考えられ、それ以下の人々では、私とさして認識が違っていないのが実態ではないでしょうか。
 私は1940年生まれですので、小学校に入学したのは敗戦の1年半後の1947年4月でした。その前年1946年11月に当用漢字表が告示されて、「輿」という漢字は使用が制限されるようになっていましたので、私は学校教育では「輿」という漢字も「輿論」という熟語も習うことが無くなった最初の世代だったのでした。
 このように「輿」の字を使えなくしたのは行政の責任なのですが、「輿論」の代わりに「世論」を使うことにし、それを(よろん)と読ませるようになったことについては、そのようにリードした新聞社に責任があったということがこの本の中で明らかにされています。
 民主主義の根幹に関るこんな大事な文字が、かなりいい加減に取り扱われてきたことは驚くべきことであり、今もまだ是正されようとしていないことは誠に遺憾です。

 著者は、新常用漢字表に「輿」の字を復活させるべきだと主張していますが、道は遠いと考えられ、ならばせめて、このことへの認識を広げ、「輿論」の復権を主体的に図っていくことが大事になっていると思われます。
 さらに、大手新聞社などが行っている「世論調査」について、それが「輿論」の反映と扱われていることが妥当なのかどうかについて警戒心を持って吟味しなければならないのではないかと考えさせられます。

 世論調査といえば、私たちが一番頻繁に目にするのは、内閣への支持率ですが、その移ろいやすさと変動幅の大きさに以前から解せないものを感じてきました。
 首相が交替すれば、新首相に期待を抱くことは当然あることだとは思いますが、近年の歴代首相への一時の支持率の高さには驚かされ、本当なのと疑問を感じたものでした。
 急落するのも早いわけですが、そもそも初めの支持率が高く出すぎているからだったのではないかと思うわけです。 初めの高い支持率は、厳密に言えば支持率ではなく期待感を持った人の比率でしかなかったのではないかということです。
 つまり、「支持」の「考えや意見」ではなく、「期待」の「気持や感情」に過ぎなかったと思うのですが、この本を読んで、その思いに確信を深めることができました。

 私にとって、世論調査の中での最も大きな関心は、憲法9条に対する支持率です。
 今年、憲法記念日の直前に行われた世論調査では、「9条は改訂しないほうが良い」が、読売新聞で61%、朝日新聞では66%に達し、昨年よりもいずれも高まっていますし、2005年の調査では、9条の改訂に「賛成」が「反対」に接近する勢いだったことからすると大きく変化してきているといえます。
 こうした変化を作り出した要因として、この間「九条の会」が急速に広がったことが、国民の中に「9条を守ろう」の「世論」を広げる原動力となっていると社会的にも認知されるようになっています。
 このことについて、私は、「九条の会」の活動が広がること自体が「輿論」形成であり、「世論」に影響を及ぼす力になっているのだと捉える事が妥当ではないかと思うのです。

 著者は、長大な論文の締めくくりに、「1人から始まる輿論」として、ホームページやブログなど「ネット輿論」にも可能性はあるに違いない」といい、「ある発言を前にしてそれが輿論か世論かと悩むことで、民意のリテラシーは向上する。世論に流されず輿論を担うだけのリテラシーを獲得した上であれば、意見表明、情報収集の手段としてインターネットには無限の可能性が開けている。しかも、ウェブ上では「輿」の使用は自由であり、私たちは堂々と「輿論」を常用できる。今回の新常用漢字表への追加は間に合わないとしても、私たちは積極的に「輿論」を語り続けるべきではないだろうか。」と提起しています。
 私はこの提起に励まされる思いを感じており、自分も「輿論」の担い手として生きて行きたいと思いますし、この共同のブログ「コラボ・コープOB」も、「輿論」形成の場としての役割を担うものとしていっそう大きく輪を広げていくことを目指したいという念を深めています。

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