コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

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続き   山口剛彦さんを悼む  殺害の報に接して

[晴3]
山口さん逝去に際し、共済認可へのあの素早い決断に思いをはせて思ったこと。
続き

追記 
 当時の大学生協内外の  共済制度に対する理解や認識は率直に言えば低いものだった。
 私が大学生協連選出で出ていたときの日生協理事会では共済をクチにするのは勇気が必要だった。 単協や連合会が独自共済を立ち上げるのは制止されかねなかった。全労済はかって中林会長らが音頭とって設立したものであった。私は全労済本部を訪ね専務に会い「できっこないのに云々するのはフェアでない」という意味を込め「全労済が学生の共済をつくり実行することが出来ますか」と迫った。私は厚生省の大学生協共済創設への消極性の陰に何となく陰の力があると感じていた。

また日生協理事会の会議の合間に他の理事から「もうかっていいな」と肩をたたかれていた。大学生協共済確立後のことだが。

儲かるという言い方に違和感を感じた。違う。組合員の助け合いなんだといいたかった。日生協が共済に取り組んだのは大学生協共済開始から10年後のことである。大学生協が切り開いた「先例」があってのこと打と思っている。


 大学生協内ではどうだったか、あの温厚な福武さんのご立腹をさそった時もあった、
 当時は損保組合の代理店を全国大学生協連合会が音頭をとって全国に展開していた。管財物件の保証や職員の損保に重宝していた。保険料金の20%のみ入りもあった。手間暇かけなくてもお金がくる。共済は手間暇かかる。

  また保険会社の保険の協同購入として学生保険も開始していた。連合会に常駐している損保の職員は見るからに人格者だった。本当にいい人だった。共済はそれらに対抗する外からの介入者と見られるのも不思議ではなかった。

  国際学生旅行協会(ISTC)加盟の帰途 イギリスに立ち寄り その後国会議員になった学生の案内でイギリスの学生組合が運営する保険を見てきた私は、 イギリスは40万人の学生に対して大学生協連の組合員は62万人を擁している、量として出来ないはずはない。しかも学内に購買書籍などの店舗があり、イギリスの学友会組織で行っているものよりも遙かに有利とおもった。会長に相談するや「おやんなさい」と。

 次いで常勤常務理事会にかけたとき夢物語のように思われてしまった。実現のためには厚生省や文部省を包囲する安保の時のような学生デモが必要でとてもできっこないと一蹴する常務もいた。それは当然だった。
 大学生協が 情熱と論理を持つてしても 厚生省をうごかす力があるとは思えなかった。それまでそんな経験はなかった。私もまたイギリスと日本の保険制度の違いを捨象してイギリスに出来てる事が日本で出来ないはずはないといったに過ぎない。要するにみんな無知だった。

 しかしそんな中でも進んでいった理由は何だったのか。それは学生への愛情だったと断言したい。  
 福武先生は「学生が事故や病気の時  無保険  無保証であること」に心を痛めていた。悲惨な例も知っていた。またご自身の研究から「助け合いを社会の仕組みにしない限り生きていけない時代が到来していること」を自書で示しつつ何とかしなければと「大学生協」と「社会保障研究所」「厚生省の審議会」に関わりを持ってきた。

 連合会の理事会で学生に向かって「自分が出したお金が自分に返ってこなくても仲間のために使われて良かったと思える共済を考えてくれまいか」と投げかけていた。これに共感した学生によって私も含め専従がかわっていくのであった。今83才の高橋忠信(後栃木生協の理事長) さんが 共済実務の責任者を買って出たのもこの流れの中だった。おそらく山口さんも厚生省のどこかで福武さんの影響が受けたと思う。山口さん逝去に際し、共済認可へのあの素早い決断に思いをはせて思ったことである。


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