コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

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山口剛彦さんを悼む  殺害の報に接して

[晴3]
山口剛彦さんを悼む
殺害の報に接して

 新聞一面の大きな記事が目に飛び込んだ。
 ア!この人は。約30年前に私に強烈な印象を与えた厚生省の生活課長ではないか。 なんたることか。 ひどい。ひどすぎる。 ぐっとくいいるように紙面に目を通すうちにある場面がクローズアップしてきた。

 確か30才代後半の細身の課長が口を開いたシーンであった。
 「これでいいじゃないか。何が問題なんだ」と私ではなく大学生協が共済をやるのに否定的な古参の課長補佐と係長と係に向かっていったときのことである。エーッ一瞬私は耳を疑った。大学生協共済制度の認可に道を開いた一瞬だった。認可までうまくいったとしてもあと1両年はかかると踏んでいた時だった。その時の課長の決断の早さがあってこそ今日の大学生協共済が生み出されたといって良い。その彼が30年後惨殺されたのである。私どもの感謝を受けることもなくその後の発展を知らされることもなく30年が過ぎ非情な殺戮で逝ってしまった。

当時折衝し始めてからずっと窓口の係長、そして二人の課長補佐は何かと否定的だった。散々折衝した後で係長からやっぱり「だめです」。課長補佐にいってもらちはあかなかった。むかっときた私はその後課長に直談判を試みた。そんな最中での山口課長の発言だった。帰ってすぐ福武会長に報告した。「あの課長はよくできた男でね、いずれ次官になるよ」といった。私は興奮していたせいか、30年へた今も先生の語り口も含め鮮明によぎる。
当時の福武会長は 厚生省社会保障審議会、生活審議会の会長だった。

その後厚生省生活課では人事異動により担当が替わった。若い青年が担当になった。よく調べ実現のために労を折ってくれた。誠実だった。認可されることになった。後に彼の結婚に際して私は福武全集を贈った。

私の手元にいま新共済スタートを特集したユニコープ360号がある。「助け合いの気持ちを全国統一し、新共済スタート」(大本委員長)についで「給附事例から見た、現代学生の病気、事故」(編集部)、そして「共済の仕事で私は変わりました」(名古屋大生協職員)、といった記事に目を通し共済成立時の志が今も力強く活きているのを知った。どんなに多くの学生が救われ成長して行くかをしり一層うれしくなった。その直後に山口氏の惨殺の報が目に飛び込んできた

水を飲むときには井戸を掘った人のことを忘れてはならない、という諺がある。「助け合いを社会の仕組み」にと社会制度インフラとしての 共済に未来の夢を託した福武さんに山口さんがダブって見えた。山口剛彦氏は 介護の社会化として自立支援法制定に大きな役割を果たしたといわれる。その後「応益負担」への改訂があり自立ならぬ孤立支援法と揶揄される実態となった。今後どうするのがよいのか、やめた後とはいえ厚生省を離れた立場から出来ればそれをききたかった。

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