コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

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「生協と戦争、平和―その歴史」第1部ー2

第2回
第1部 戦前戦中の生協-2

2、「新興消費組合」の誕生と発展
 大正期に入ると第1次大戦が勃発(1914年)、日本はドイツ領の青島占領、ロシア革命(17年)があり、日本はシベリア出兵をし、国内では米騒動が起きるといったなかで労働運動なども盛んになります。
 1889年(明治22年)に制定された大日本帝国憲法では「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」とし、国民は天皇の「臣民」であり、主権者ではなかったのです。議会は開設されていましたが選挙権は一部の富裕層に限定され、婦人は選挙権がないだけでなく治安警察法で政党など結社への参加なども禁止されていました。
 そのようななかで吉野作造が「民本主義」をとなえ、普通選挙権、婦人参政権の要求運動などが盛り上がり、「大正デモクラシーの時代」と呼ばれました。婦人参政権獲得運動では、のちに生協運動にかかわる平塚らいちょうや奥むめおが市川房枝などと新婦人協会を結成してがんばります。
 1925年、普通選挙法(男子のみ)が制定されますが、同時に治安維持法が制定され、以降、共産党や運動団体、個人への弾圧が強化されます。治安維持法は治安警察法に上乗せして個人の思想まで取り締まるもので、その権限を持つ特高警察は憲兵隊とともに戦争遂行の尖兵となります。
  
(1) 家庭購買組合など市民生協の特徴
 <婦人の参加やプライベート商品など>
 大正デモクラシーの機運が盛り上がるなかで1919年、吉野作造を理事長とする家庭購
買組合が東京のキリスト教関係者を中心にして設立されます。
 家庭購買では“組合員主義”のもと婦人部を設置、啓蒙誌「ホームユニオン」を発刊する
など婦人の自覚と社会参加を促す活動を進めました。商品や生活問題の講習会などのほか
文化活動として毎年「団らんの夕べ」を日比谷野外音楽堂で開催し、1933年には1万人を
超える盛況でした。事業面では関東大震災後、店舗を広範囲に展開、「地域一番店」をめざ
し家具や呉服なども扱い、都内にチェーン展開しました。店では生鮮食品を扱い、組合印商
品(現在のコープ商品)の開発など生協らしい取り組みを展開しました。

 このころ東京の生協は20組合を数えましたが、1923年の関東大震災で多くが解散し
また。その大震災の被災者救援活動に入った賀川豊彦の関係者が1927年江東消費組合を設立しました。(写真、家庭購買「団らんの夕べ」、神戸消費、灘購買の本部)
 関西では1921年、友愛会幹部で労働運動のリーダーだった賀川豊彦の指導のもと神戸
消費組合と灘購買組合が設立されます。神戸消費はイギリスの生協に学び家庭会を設立し、
婦人組合員の自覚と自主性を生かし商品や暮らしの諸問題に取り組みました。灘購買でも
家庭会を発足させ、その活動は大阪や京都の消費組合に広がりました。
 神戸消費、灘購買の事業活動はともに御用聞き制度が基本でしたが、1930年代に入ると
店舗を展開、灘購買の組合ストアは日本の生協初のセミセルフ方式でした。醤油醸造所、
精米工場などをもち、家庭購買同様に組合マーク商品を扱いました。
  ・組合員の推移  家庭購買 1935年 7350人、灘4950人 神戸4050人
           家庭購買 1940年15460人、灘8500人(推定)、神戸8150人

(1) 労働者生協と関消連、東京学消など
 <米よこせ運動の全国展開>
  東京では家庭購買の設立の年に共働社が設立され、その後、労働者生協が相次いで誕
 生し、それらの生協は1926年、関東消費組合連盟(関消連)を設立します。大阪でも友
 愛会の指導のもと共益社など労働者生協が誕生します。
  関消連は労働争議、スト等を支援し、1932年には政府の備蓄米の払い下げをもとめる
“米よこせ闘争”を北海道から九州・沖縄まで各地で展開、成果を挙げ、全国に組織拡大
 して日本消費組合同盟(日消連)を結成します。関消連は農民組合と提携して仙台の白菜
を東京に貨車でおくる“産直”やはじめてのcoopマーク商品の発売など、歴史に残る事業
もしました。(写真、「米よこせ」)
  関消連傘下の城西消費組合(西郊共働社)は山手の知識人中心の組合として与謝野晶
 子を会長とする家庭会と班組織で活発な婦人組合員の活動を展開し、関消連婦人部(奥
 むめお等)として発展させます。
  賀川や安倍磯雄の指導で東京学生消費組合が設立(早大支部1926年)されますが、東
 京学消は関消連と提携し、当局には関消連と同様の左翼組合とみなされ弾圧されます。
  (早稲田、東大、拓殖大、立教、法政、明治、明治学院で、1931年組合員5500人)

(3)組合員活動、家庭会・婦人部活動の特徴
     <初めての消費者運動、全国最大の生協婦人組織>
    家庭購買や城西消費には当時の進歩的知識人や婦人活動家の多くが組合員になり、リー
ダーになったのが特徴です。(家庭購買=岩波茂雄、大山郁夫、大内兵衛、羽仁もと子、夏
目漱石夫人など。城西消費=奥むめお、勝目テル、神近市子、平林たい子、大宅壮一、吉
川英治、山本有三、壷井栄など。)
 家庭会活動は当時、数少ない婦人の社会参加の場として商品、物価、料理・裁縫など
家事にかかわることから、家庭購買の文化活動と“団らんの夕べ”、婦人学校、城西消費
や関消連の親子ピクニックや内職斡旋、労働争議支援など多様で活発なものでした。
 日本で初めての消費者運動といえるガス料金値上げ反対や築地魚市場問題(1932年)
で家庭購買や関消連婦人部が普選獲得同盟(市川房枝等)と共同闘争を展開しました。
吉野作造はガス料金の供託組織の代表を務めました。これらの取り組みは日本の消費者運
動の嚆矢であるとともに、婦人運動としてもはじめての諸組織の共同行動でした。
 1936年、家庭購買と関消連は神戸消費など14の家庭会とともに日本消費組合婦人協
会を設立しました。同協会は「消費組合の健全な発展…世界平和を、さらに母性の幸福と
人類の福祉増進を祈念」と宣言。愛国婦人会や国防婦人会以外に婦人組織のないなかで全
国で最大の自主的婦人組織になりました。1939年の会員数は5万人弱で、当時は「婦人之
の友」の友の会6200人など、自主的婦人組織は限られていました。

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