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生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

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「生協の平和活動の歴史」1

斎藤 嘉璋
ヒロシマ、ナガサキでの平和式典と原水爆禁止世界大会が間もなく開催されます。かっては10年あまり続けて参加していたのですが、3年前に久しぶりに参加してからは現地に行っていません。せめて生協の若い人達にその歴史を伝えるくらいのことはしたいと思っていたところ、7月にその機会を得ました。その折(日本生協連の「協同組合塾」での勉強会)の報告要旨をまとめましたので掲載します。

協同組合塾での講演要旨
                         2013年7月 斎藤 嘉璋
生協の平和活動の歴史

1、“平和“は日本の生協運動の理念
 1945年、終戦直後の11月に日本生協連の前身組織・日本協同組合同盟(日協同盟)が創立されます。創立総会で賀川豊彦はじめ戦前からの協同組合のリーダーたちは300万人をこえる犠牲者と国土の荒廃をもたらし、生協運動も壊滅させた大戦からの復興と再生への思いをこめて「本同盟は協同組合の普及発展を図り民衆生活の維持安定及文化の向上を期し以て民主主義的平和国家を確立し更に協同組合の国際的結合に依る世界平和の実現を目的とする」(規約第4条)ことをうたいます。
日協同盟は綱領や運動方針大綱で民主主義と平和な日本の建設、そのための協同組合運動の発展、統一と団結の大切さをうたいました。
 1951年、日協同盟は生協法に基づく生協の連合会として日本生活協同組合連合会(日本生協連)を創立、活動を継承します。日本生協連は綱領で「世界平和の確立」、創立宣言で「平和と、より良き生活こそ生活協同組合の理想であり」「最大の使命」であるとうたい、「平和宣言」を採択します。日協同盟の反戦・平和の理念を引き継いだものですが、ちょうど朝鮮戦争がはじまり、日本がその前線基地となるといった切迫した情勢がありました。
 創立宣言で使われた“平和とより良き生活のために”は、その後長らく日本生協連はじ
め全国の生協運動のスローガンとして使われます。そのスローガンは国際学連のスロー
ガン“平和とより良い未来のために”から転用して東大生協で初めて使われました。東大
生協の学生理事で日本生協連設立準備委員であった福田繁さん(のち日本生協連専務理事)
が提案したものですが、発祥の地である東大生協はじめ大学生協では「生協は生活が先の
方がいい」と「より良き生活と平和のために」をスローガンにしていました。私の学生の
頃の早大生協も「生活―」でしたが、日本生協連に就職すると「平和が先だから」と注意
されました。賀川さんや中林さんの強い想いもあったと思います。

2、原水爆禁止運動の最初―生協の主婦組合員の取り組み

1945年8月に広島・長崎に原爆が投下されますが、原爆と被爆の実相は米軍占領下では
長らく事実は隠ぺいされ、情報や関連する活動は制約されてきました。1951年、同志社大
で初めての「原爆展」が開かれ、52年「アサヒグラフ」に被爆写真が掲載され国民に衝撃
を与えます。
「アサヒグラフ」に被爆の実相が特集された1952年、杉並区生協協議会婦人部は杉並区
婦団協とともに「原爆展」に取り組み、国際デーに「ICA加入の33か国へ原爆写真をお
くろう」と取り組んだり、世田谷区では梅ヶ丘文化クラブの婦人たちも原爆展を梅ヶ丘駅で開催するといった動きが始まります。
1954年3月1日、第五福竜丸がアメリカのビキニでの水爆実験で被爆します。焼津港から築地に贈られたマグロなどが水爆に汚染されていることが報道され大問題になり、魚商や市場、漁業組合などがアメリカの水爆実験に抗議・禁止の声あげ、これに呼応して放射能汚染に不安をもつ母親たちが立ち上がります。
アメリカのビキニ海域での水爆実験をやめさせようと幅広い取り組みを展開したのは、前述の杉並の婦人たちでした。杉並では魚商などの訴えに生協婦人部も参加する婦団協の婦人や文化人、PTA、労組などが結集し「水爆禁止署名運動杉並協議会」を発足させます。5月にはじめた署名は1か月で26万筆(区民39万の7割)とひろがりますが、署名運動の担い手に生協の婦人リーダーが大きな役割を果たし、当時の杉並生協、杉並中央生協、荻窪生協が署名活動に取り組みました。
 東京では3月に目黒区生協協議会が「講演と映画の会」で「原爆禁止」をスローガンに
し、「永遠なる平和を」という映画を上映しました。4月には主婦連、地婦連、生協婦人部
が「原水爆禁止・製造禁止」の共同声明をだしました。日本生協連常務理事会は、世界の
協組にむけて「原水爆禁止」のアピールをだしました。杉並で始まった水爆禁止署名は全
都に広がり、8月には「原水爆爆禁止署名運動全国協議(安井郁事務局長)」が結成されま
す。賀川豊彦(日本生協連会長)、奥むめお(同副会長、主婦連会長)が代表世話人会メン
バーでした。第五福竜丸で被爆したの久保山愛吉さんが死亡し10月に追悼の平和の集い
が行われますが、そこには署名が1213万筆と報告され、来年、広島で原水爆禁止世界大会
を開くことが提案されました。
1955年8月、広島で原水爆禁止世界大会が署名運動の盛り上がりのなかで開催され、
全国97組織、海外14か国から代表など5000人が参加しました。(署名は3,216万筆)。
世界大会の成功のもと9月には、原水爆禁止日本協議会(原水協)が発足しました。
(後記の丸浜江里子「原水禁署名運動の誕生」、東京都生協連「東京の生協運動史」など)

つづく

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