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医療と介護で復興支援   松島医療生協

「寄稿」

[西村一郎]

松島医療生協の概要と被災状況
 1971年に創立した松島医療生協は、宮城県の松島町を中心にして東松島市・石巻市・大郷町などを対象地域とし、2011年3月末現在で6396名の組合員がいる。正規職員38名と臨時パート21名の計59名で運営しており、医療事業と介護事業の収益は合わせて3億8651万円になっている。震災前は、松島町の海岸から少し入った場所で、医科や歯科を備えた松島海岸診療所と、訪問看護ステーション「まつしま」を運営し、東隣にある東松島市野蒜(のびる)には、デイサービス「なるせの郷」と介護相談センターを設置していた。
 昔から風光明媚な観光地として知られている松島町は、穏やかな海にいくつもの島々が浮かび、その間を遊覧船が走り、また青空をカモメが飛んでいた。観光客も戻りつつあり、半年前に襲った津波の痕は、半年たつとほとんど見ることができない。町が湾の奥にあり、かつ前に浮かぶ島々が防波堤の役割を果たしたのだろうか。それでも2階建ての松島海岸診療所は、1階に大量のヘドロを含んだ海水が流入し、多数のカルテ類を汚し、また高額なレントゲンなどの医療機器を使用不能にした。

 車で10分ほど東に走って野蒜地域に入ると、風景は一変して建物は基礎のコンクリートを残しただけで、枯れた木々やガレキの間に、背丈まで伸びた雑草がどこまでも茂っていた。4mを超える高さの巨大な津波は、避難所である小学校の体育館や隣にある「なるせの郷」等を破壊し、「なるせの郷」の利用者12名と職員3名の尊い人命を奪った。地域が停電となって防災無線が働かなくなったことと、高台に向かう道路が1本しかなく、避難する車が渋滞したことなどが逃げ後れた要因である。
ある女性の職員は、津波に巻き込まれてガレキの中を数百メートル流されたが、幸運にも一命はとり止めた。そのときの恐怖や寒さなどで、しばらくは抜け殻のようになったが、同僚からの「生かされた命なので大事にしてください」との言葉に、再起に向けて少しずつ元気になりつつある。
 こうして今回の震災による松島医療生協の損害額は、約5000万円以上にもなり経営にも大きなダメージとなった。

支援活動
 診療所の1階は海水の運んできたヘドロで埋まり、医療活動はできない状態となった。そのため近くのホテルの臨時避難所で、震災の夜から急患対応や健康相談を松島医療生協の職員は実施した。また訪問看護師は、組合員の安否確認をしつつ在宅患者の健康管理をすすめた。
 震災から2日後の13日には、早くも全国各地から医療福祉生協や民医連の仲間が支援に駆けつけ、14日には2階のデイケアに臨時診察室等を設けて病人や怪我人の処置に対応した。
 それから全国支援が終了する4月30日までに、北海道から鹿児島まで全国からの支援者は238名以上となり、診療所や地域でのヘドロの除去もあれば、松島町や東松島市の避難所への医療支援などをおこなった。また歯科では、石巻市の避難所まで対応を広げ、応急処置や口腔内感染予防のため歯ブラシの配布もしてきた。
 他方で医科と歯科の診療を維持するため、医療関連の支援物資は連日のように届いて活用し、その他の食料や衣服などは松島町に届け、社会福祉協議会(社協)を通して各地の被災者へ配布された。
 創意工夫した支援もあった。山形県から駆けつけた仲間は、通所リハビリでピンクの花を付けたスゲ傘を手に伝統芸能の「花笠踊り」を踊ってくれた。長野県の支援者は、地元の小学生が自分たちにできることとして「うちわ」を集め、寄せ書きなどをして持ってきてくれ、それを仮設住宅などで高齢者に配って好評であった。テレビのニュースで松島医療生協の惨状を知った神奈川県のある夫婦は、親が使用していた電動ベッドを使ってくださいと運んできてくれた。

被災者の訪問支援
 松島医療生協副理事長の青木幹子さんから、被災者の訪問支援などについて話を聞いた。
 「高齢者の多い松島町では、独居の方も少なくありません。津波が来て逃げてくださいと放送がありましたが、体が不自由で2階などに住んでいる高齢者は、一人で逃げることができません。後で聞くと動くことができないので、布団の中で怖くて泣いていた方もいましたね。
 そうした高齢者を手助けするため、私たちは『助け合いの会』を作って以前から地域に広げ、崩れた押入れの中を整理するとか、重い荷物を片付けたりしています。すでに登録者は120名ほどになり、最近は毎月のように数名の方が加入していますよ」
被災者の中には震災のショックが強く、集中豪雨のテレビニュースを見ると、津波を思い出して怯える人もいるので、そうした人にはテレビの画面を替えるなどの工夫をしている。
 東松島市には約30カ所の仮設住宅がある。すでに独自のリーダーを決めて、集会室を使って交流をしている所もあるが、まだ集会室を一度も使ってない被災者も少なくない。そうした中では、「家族以外の人と話をすることはめったにない」とか、「お茶を飲みに行きたいと思っても、遠慮して行けないもんだ」、「うつになりそうだ」との声も出ている。
診療や介護を通して、精神面のケアや支援もこれまで以上に大切となっている。

オープンカフェでの健康相談
 石巻市内にある「みやぎ生協」蛇田店の2階では、毎週のように被災者が団らんできるようにと、10時から14時までオープンカフェを開いている。仮設住宅や民間のアパートなどで暮らしている被災者は、まわりに知り合いのいないことがあり、引きこもりになりやすい。そこで「みやぎ生協」のメンバー(組合員)がボランティアで、飲み物やお菓子などを無料で出して、楽しく団らんできるスペースをつくり、毎回のように100名ほどが参加している。
 会場の入り口付近で、会議用のテーブルを1本使い、松島医療生協の女性組合員2名が対面で健康相談をしていた。横の壁には、模造紙に「ご一緒につくりませんかくらしと健康」とあり、それに続いて「自分の健康は自分で管理を。そのために①血圧は正常かな、②体脂肪を計って食事と体動かしを生活の中に取り入れましょう、③尿検査で蛋白や糖や血潜値がわかります。医療生協では、毎月定期的に健康チェックの手伝いをしています」と書いてあった。
 相談者が途切れたときに、私は椅子に腰を下ろして血圧などを計ってもらいつつ話を聞いた。8月の上旬から始めた健康相談では、すでに何人かの顔馴染みができ、前回のデータと比較しながら健康のアドバイスをしている。仮設住宅や避難所ではフライ物などの食べ物に偏り、血圧や体脂肪の高い人がいて、いわゆる「避難所太り」が気になっているとのことであった。さらには健康相談の場が、行政からの災害義援金がまだ届いていないとの深刻な生活相談もあり、すぐに窓口を調べて連絡先を紹介し、後日に振込みがされたとお礼の電話があったこともある。

新しい介護事業所建設のプラン
 7月23日に開催となった松島医療生協の総代会で、復興事業の第一次計画として「デイサービス再建」を満場一致で決めた。
 計画概要は、①「なるせの郷」の再建と、松島海岸診療所「デイケア」機能を合わせた施設、②新施設には1階に定員30名の新しいデイサービス事業を加え、2階には訪問看護ステーションや介護相談センターも移設し、条件が整えば訪問介護事業(ヘルパー)もおこなう、③建設場所は松島町高校の隣で、2012年3月末までの開設をめざすとある。
 ここでは高齢になっても住み慣れた地域で安心して暮らすことを応援し、組合員や地域の人たちも気軽に立ち寄ることができ、組合員やボランティアの活動の拠点となり、かつ感染症や自然災害にも強い鉄骨造りの施設を予定している。
 また1階には約38㎡の多目的室を設け、組合員が健康づくりや班会などでも使用し、運営や使用基準は、これから組合員で議論し、夜間や休日も利用できることを想定している。
 まだまだ困難はあるだろうが、医療福祉生協らしい復旧・復興の足音が、確かに松島の地でも始まっている。

*写真 松島医療生協の職員と支援者の皆さん
松島医療生協の職員と支援者の皆さんP1140230

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