コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

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  井上ひさし「言葉よ、ひろがれ」 。

 (haru3 )
井上ひさし「言葉よ、ひろがれ」 。

福島過酷原発事故で被爆者になろうとしている日本全土の人たちに

井上ひさしさんが不帰への病床につく2か月ぐらい前、千葉市文化センターで千葉県被爆者友愛会を中心にした講演会が持たれた。

私は幸運にも舞台裏での井上ひさしさんの担当を仰せつかっていた。講演の前後、氏がゆっくりくつろぐ様にする役割といってもよかった。しかしあろうことか氏はむしろ私たちがくつろぐように、ふるまっていた。

氏の地というか自然さというか。笑いも含め、ご自宅付近で求めたものであろうか、いくつかのお土産寿司を被爆者友愛会の旧知の方にふるまっていた。

私はその場面の写真を撮ったり、わきにあった講演レジュメをのぞいたり、今となっては大変失礼なことで、反省ものだが、打ち解けた雰囲気の中で許していただいた。

Untitled井上

それからしばらくして日本に住む3世代のすべての人、といっていいのだが、は惜しい人を失ってしまった。

今年3月11日から、全国は福島原発の過酷事故に直面している。存命ならどういう振る舞いをしただろうか。何を語るだろうか。

今日はは8月9日、長崎にプルトニューム原爆が投下されて66年目を迎える日である。

井上さんは 「ヒロシマ、ナガサキは、世界史がたとえ1億年つづいたとしても、フランス革命やアメリカ独立などよりも重要な日付であり続けるでしょう。」と書いている。「自分で作ったもので自分が存在しなくなるかもしれない」 「人類史は、ヒロシマ、ナガサキで折り返し点にさしかかったのです」と。

被爆者の坂本さんという方が小学3年生の時かいた 詩を紹介している。        

      げんしばくだんが落ちると

              ひるが夜になって

                 人がおばけになる

あの日 「ヒトも木も鳥も魚も家も1瞬のうちに溶けてしまいました。」 21万人が年内即死でした。

内部被爆
井上はいう。何十万人の体験目撃者がおりました。この方たちは、やがて被爆者と呼ばれるようになり 「あの朝死んでいた方が、まだよかった」 と呻きながら生涯にわたって苦しまなければならなくなるのですが、しかし多くの方々が…勇気をもってたくさんの手記を書かれました。その数は5万篇にも及ぶといわれています・・・。


井上さんは数百編「拝むようにして読み」 生涯をかけて聴き想像し、被爆者と語り、とことん調べ 「切ない言葉よ、世界中にひろがれ」と被爆者の身になって、呻きながら芝居や小説を書きつずけ壮絶な作家人生を終えました。存命ならどういう振る舞いをしただろうか。何を語るだろうか。

「井上に向かって生きます」と声を詰まらせながら葬送の辞を述べたノーベル文学賞受賞作家の大江健三郎は福島原発に直面して次のように述べている。

・・・私は長いこと、日本の近代の歴史を、広島や長崎の原爆で亡くなった人、ビキニの水爆実験で被爆した人、そして原発事故の被害にあった人という三つのグループの視点から見る必要があると考えてきました。この人たちの境遇を通して日本の歴史を見つめると、悲劇は明確になります。そして今日、原子力発電所の危険は現実のものとなりました。刻一刻と状況が変わる中、事態の波及を抑えるために努力している作業員に対して敬意を表しますが、この事故がどのような形で収束を迎えようともその深刻さはあまりにも明白です。日本の歴史は新たな転換点を迎えています。・・・


井上ひさしが、なにか大江とともに語っていると思えてきます。


倒れる2か月前の氏の講演用レジュメをちょっと覗いたとき、


積極的平和主義・・・・・「する」
 とかいてありました。

次の時代への分岐点が開けてくる可能性への希望をつなぎ(人類と核は共存できない)課題をもって生き方を促しているようにみえる。。欧米の2000倍の地震国、東海沖地震房総沖地震、首都圏直下型地震が確実に予測される中、被爆者は広島、長崎にととどまらない。現に放射線は福島原発から全国に世界に広がっている。    急がなければならない。           孫の世代はジート見ている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以上は私の昨日のプログの再掲です。恐縮です。今朝斉藤かしようさんがお書きの日本と世界のさきがけ「杉並での原水曝禁止を求める署名」の歴史的な事実の紹介文を見ました。

生協の先駆者、リーダーが「ノートの切れ端を使った鉛筆なめなめの主婦の署名運動」(第5福竜丸記念館所蔵)とともにあったことを知りました。やっぱり杉並の主婦を含め生協が時代のもっと困難なこと(艱難)に向き合った。平たく言えば目をそらさず行動していた。七七年前の関東大震災のときも困っている人とともにあった。のちに医療生協、学生消費組合、共済組合の設立につながっていった。今につながる時代切り開く希望をもたらしたのです。

ところで私はこのプログに「命か電力か」という題で書きました。これに対して「この言葉伝わりますか」この二者択一が「戦後の運動を弱めた」のではないかという趣旨のコメントをいただきました。文全体を見てもらえばわかるように「電力とは原発」を指しています。誤解です。舌足らずでした。

しかし(経済のため命を犠牲にするとき)二者択一は正しいと思っています。ついに世界最悪レベル七の原発事故にとどりついた平和経済に名を借りた原子村の巨大利得構造をどう考えるか。それを許したものは何か。ともに考えるべき時点に立ちました。
戦後六七年間、日本はGDP第一主義でした。経済成長のためには  環境も、農業も、福祉も、地域も家族も犠牲にして進んできた。生協はそのなかでしわ寄せを受ける生活者の生活擁護とより良い暮らしを求めて協働の力で成長してきました。
命、暮らしの側で成立してきましたといえるでしょう。命、暮らしの基盤、家族やコミニティーを大事にする立場で生協に人生の大半を費やした多くの仲間がいます。ともにあったことは私の誇りです。


目的と手段の転倒元大学生協連会長の故福武直先生はその著書一九八〇年刊「現代日本社会論」の中で、新しい貧困のすがた。ーーー公害、環境破壊、福祉(長生きを喜べない社会の到来)と教育貧困(競争格差社会)の記述のあと次の世代が「青息吐息」で生きなければならないとすれば一体何のための経済成長だったのかと。賀川豊彦は人格経済、権力分散の七つの視点を提起した。

手段だった経済が,目的になっていった社会、それを許してしまうあいまいさ、行動、自己検証が迫られている。

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