コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

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「原水禁署名運動の誕生」を読む

「斎藤嘉璋」
今日は66回目の広島原爆の日。福島原発による放射能被害が続くなかで考えさせられることは多い。1955年のこの日、広島ではじめての原水爆禁止世界大会が開催されたが、主催したのは原水爆禁止署名運動全国協議会であり、大会を成功させたのは3216万筆の署名だった。その署名運動を始め、中心を担ったのは東京・杉並区の主婦たちをはじめとする諸組織、団体、個人だった。
 私はかって東京都生協連発刊の「東京の生協運動史」を執筆したおりに杉並区生協婦人協議会の皆さんが原水禁署名運動に取り組んだこと知り、その後もその先進的な取り組みのことを書いたり話したりしてきた。しかし、それが原水禁運動全体のなかでどのような位置、意味をもつものかは十分勉強できてはいなかった。今回、杉並での原水爆禁止署名運動の発生、発展について書いた「原水禁署名運動の誕生」(丸浜江里子著、凱風社)を読み、全体像が理解できた。

 この本は、運動誕生の背景の一つとして戦前、戦後の城西消費組合など生協の歴史にも触れている。まだ生協が小さく、杉並区だけでもいくつもの地域生協があったころ、しかし組合員の地域に根ざした活動は活発だったことを知るといった意味でも生協関係者には読んでいただきたい本である。
 この本は1章・戦前から4章・戦後~50年代と原水禁署名運動がなぜ杉並で始まり、成功したかの歴史的背景の記述が長い。東京市の農村部であった杉並に関東大震災を契機にサラリーマン層が移住し、文化人、知識人といわれる人々によって西郊共働社(のちの城西消費組合)が創られたこと、戦後、そこで活動したメンバーが生協を再興し、そのリーダー新居格が初の公選区長となったことなど、生協の歴史もくわしい。5章で原水禁署名運動のリーダーになる安井郁のことや婦人諸団体の動き、6、7章でビキニ水爆実験と漁民、魚商などの動き、8章で原水爆禁止署名運動が書かれている。
 杉並での運動はまず区議会での決議を求めるものとして展開されたが、その紹介議員の一人は保守系区議の杉並中央生協組合長・小倉育之助だった。そして区議会は水爆実験禁止を全会一致で決議し、水爆禁止署名運動杉並協議会が発足、署名運動を全国に広げていくこととなった。この運動を国民的な幅広いものとして成功させるため安井はじめ関係者がどのような議論や行動をしたか、筆者は共感をもって書いている。
 原水爆禁止署名運動全国協議会は8月に発足するが、9月に久保山愛吉さんが亡くなり、被爆の実相が明らかになる中で署名運動は急速に拡大し、翌年春には原水禁世界大会の開催の動きになる。この署名運動全国協議会の12人の代表委員には賀川豊彦(国際平和協会理事長)、奥むめお(主婦連合会会長)の名がある。当時、賀川は日本生協連会長、奥は副会長であるが、この署名運動に日本生協連がどうかかわったかは定かでなく、その後、私が執筆した「現代日本生協運動史」でも東京の生協の取り組み以外はふれていない。
 第1回原水禁世界大会が成功すると55年9月、原水爆禁止日本協議会が発足、日本生協連もそれに加入した。しかし、その後の生協の取り組みは生協運動自体が後退期にあったこともあり活発とは言えなかった。この本を読んで、生協の歴史にはさらに調査し、検証すべきことが多いと感じた。
 歴史ではなく現実の問題としてはビキニ被爆の当時、マグロなどの放射能汚染に不安を抱いた主婦組合員の状況にくらべると原発放射能をめぐる今日の状況の方が深刻である。今日の原発や放射能をめぐる主婦組合員の不安や怒りは社会的な運動に組織されるのか、57年まえのような組合員リーダーたちの動きはあるのか?今夏の反核平和の取り組みとあわせ注目したい。

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