コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

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がんばっぺす 岩手 -いわて生協― 

「寄稿」

[西村一郎]

いわて生協の本部へ
 東北新幹線が全線でやっと開通し、東京から盛岡に入ったのは6月8日であった。6月5日現在で警察庁の発表によると、岩手県は死亡4524名と行方不明2832名で、計7356名にもなり、被災者の数は宮城県についで二番目で、かつ避難者は25747名と一番多い。
 盛岡市の隣りの滝沢村にある「いわて生協」本部の建物は、震度5強で玄関前の風除室が倒壊し、書庫が損壊した。店舗や共同購入支部は、内陸地では商品や書類などの落下で、建物に大きな損壊はなかったが、巨大な津波の押し寄せた沿岸部では、大船渡市と釜石市にある共同購入支部において、建物が津波の直撃で甚大な被害を受け、また車輌の流失などがあった。
 組合員の理事や監事の全員は無事であったが、コープリーダーや「こ~ぷ委員」では、6月1日現在で死亡4名、安否不明3名、家族死亡4名であった。また常勤者では、勤務時間外のバイター1名が自宅で行方不明となり、灯油の委託配達員が配達業務中に津波に遭い死亡している。


全国の生協からの支援を受け
  菊地靖専務から「いわて生協」の復興に向けての取り組みを聞いた。
  「地震によって商品の落下など店内被害のあった店も含め、12店ある全店の営業継続を最大限に追及してきました。停電になったことと商品の不足から、営業時間を短くしたり店頭に商品を持ち出して販売を続けました。
 共同購入では、加盟しているサンネット事業連合全体が商品流通の停止やシステムダウンし、燃料切れのため通常の配達が1カ月もできなくなり、組合員にご迷惑をかけることになりました。それでも、視覚障害者や一部高齢者への商品はわずかに届けることができました。
 『いわて生協』の職員も本当によく努力してくれましたが、それを支えてくれたのは全国の生協から駆けつけてくれた仲間や届けられた、たくさんの支援物資や励ましの寄せ書きです」
 もらった資料には、以下のように支援した各地の生協の名前が並んでいた。
 1. 炊き出し:15ヵ所で述べ76人(大阪いずみ市民、わかやま市民、パルシステム連合、静岡県生協連、おおさかパル、青森県庁の6生協)
 2. 移動販売:延べ72台160名参加(秋田県北、さっぽろ、ぐんま、ララ、いしかわ、パルシステム東京、おおさかパル、あおもり、おかやま、東都、コープネット、新潟総合の12生協)
 3. 燃料支援:(おおさかパル、しまね、みやぎ、大阪いずみ、ぎふ、なら、福井県民、とやま、しまね、エフ、青森県連、トヨタ、しが、京都、ユー、にいがた、新潟総合、さっぽろの18生協)
 生協は異なっていても同じ組合員のためとして、協同組合の助け合いの精神でこれだけ多くの仲間が「いわて生協」の復興を支えている。

復興支援の地産地消フェスタ
  被災した中で困っている組合員の暮らしを応援する生協らしい取り組みが、いくつも展開されている。その中でも菊地専務が強調していたホットなニュースは、5月21.22日に、本部近くのベルフ牧野林店で開催した、復興支援の地産地消フェスタであった。元々「いわて生協」は、長年にわたって県内の地産地消にこだわってきた。「地元岩手の商品をみんなで利用して、岩手を元気にしましょう」と呼びかけて、滝沢村・盛岡市・盛岡広域振興局・宮古市・県北広域振興局が後援した。
 店舗前の広い駐車場で、特設のステージを囲むようにして地元銘店ゾーン、被災地宮古・釜石・久慈出店メーカーゾーン、いわて生協組合員企画ゾーン、リサイクル特設コーナー、産直品i(アイ)COOP商品メーカーゾーンなどのテントが並んだ。
 出展してくれる協賛団体は、当初は10ほどであったが、行政の協力もあって最終的には76にもなり、地元の有名で人気の品々が勢揃いし、かつ被災地の宮古市・久慈地域・釜石市からも出店があった。宮古市の田老町漁協は、iコープ商品である真崎わかめが被災して出品することはできなかったが、他の海の幸を持って参加する熱の入れようであった。
 「チャグチャグ馬っこ」との写真撮影や、ステージでの太鼓の演技は雨が降ったので残念ながら中止となってしまったが、両日ともゲームや踊りなどの出し物が続いた。震災で発表会が中止となっていた宮古高校の吹奏楽部による元気な演奏も、会場の雰囲気を盛り上げた。
 こうして2日間のイベントは、約2万人の参加で大成功を収め、復興に向けた1つの大きな生協らしい取り組みとなった。

協同で復興を目指す田老町漁協
 9日の早朝に盛岡のホテルを出て、教育人事の畠山正昭さんの車で宮古市に向かう。約2時間ほどで到着し、まずは田老町に入る。「津波太郎」の異名を持つ田老町は、日本一という10mの高さの防潮堤が囲う町として有名であった。幸いなことに畠山さんが田老町出身で、車中でも町や漁協の詳しい話を聞くことができた。
 田老町の中心に私は呆然と立ち、周りをゆっくりと見渡した。コンクリート製の10mの防潮堤をはるかに超えた津波は、民家の並ぶ町を一変させ、傾いた電柱とわずかに残った鉄筋の建物が今は点在しているだけであった。その1つである田老町漁協の建物を訪ねた。1階は津波の被害で使用ができず、2階と3階で仕事をしていた。漁港にあった960隻の内で残ったのはわずかに90隻で、これを協同組合らしく共同で使用して復旧を目指している。収穫直前であった養殖のワカメは全滅し、今は天然のワカメ漁を始めたところで、また来年の収穫に向けてこの7月から採苗をスタートさせるとのことであった。味や香りや歯ごたえが良く、iコープ商品である真崎ワカメのファンも多く、ぜひ復活させて欲しいものだ。そのためにも「いわて生協」は、引き続き田老町漁協との協力関係を堅持するため、その日の宮古コープ総代会に漁協の小林昭榮組合長を招き交流していた。

協同で復興をすすめるドラ店
 宮古市の少し高台にある「いわて生協」マリンコープDORA(ドラ)に入った。宮古市に生協の店舗は大小4店あり、その中で売り場面積は約600坪と一番大きい店である。1階の店舗のレジ横にある特設売り場では、地域の人たちが今求めている仏壇・仏具や喪服を格安で並べていた。
 その日の午前中は、2階の会議室で宮古コープ総代会が開催されており、終わったときに理事の香木(こうのき)みき子さんから、横の和室でおこなっている生活物資交換を案内してもらった。そこには各地から届いた沢山の喪服がハンガーで吊るされており、黒い靴や白いシャツなどの関連する品も並び、必要な被災者に無料で渡していた。震災直後の3月17日に香木さんたちが立ち上げたこのコーナーは、当初は1階の店舗のフロアにあって、会議用のテーブルに持ってきてもらった衣料や食器類など並べ、それを被災者が自由に持っていくようにしていた。
 *写真 各地からの喪服などを提供
いわて生協

 統括店長の菅原則夫さんにも話を聞いた。津波の被害はなかったが、電気・水道・通信が11日からストップした状態で、近くの被災者と一緒に会議室で寝泊りし、陣頭指揮をとって店頭販売などで営業を継続した。3月15日には、津波で亡くなった母親に、せめて浴衣を着せたいと来店した方がいて、それを知った菅原店長はすぐに店内放送で呼びかけ、後に浴衣を40本集めた。車を津波でなくすなどして交通手段で困っている人には、集めた14台の自転車をプレゼントした。
 こうした取り組みは、店長だけでは決してできず、職員や組合員の協力があってのことだと菅原さんは感謝し、教訓として次のような点を強調していた。
 「生協の精神である『1人はみんなのために みんなは1人のために』が、この非常時にも私や皆の心の奥にあったことですね。いわて生協20周年の歴史と理念をまとめたDVDを使い、職員全員で学習会をしていたこともタイミングとして良かったと思います」
 本部や外部との連絡がまったくつかず、何が起きているかも分からない中で、店長としてどう動くべきか迷ったときに、いつもこの生協の原点に立ち返った菅原さんである。震災以前から労組との月1回の打ち合わせなどで、生協の進むべき方向について職員と共有化し、日頃から信頼関係を強めていたことも大きい。
 協同を大切にした「いわて生協」らしい復興の足取りが、確かに進んでいる。

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