コラボ・コープOB

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「パラグアイ共和国独立200年記念イベント」に参加して

「寄稿」

[岡本好廣]

6月7日大手町のJAビルで開催された「パラグアイ共和国独立200年記念農業と文化イベント」に参加する機会を得た。パラグアイは世界でも日本でも余り知られていない国である。それが昨年「サッカーワールドカップ」で日本を破ったことから一躍有名になった。人口は日本の20分の1足らずの小国で、南米の国だということは判っても、どの辺にあるのかさえ知らない人が多いのではないだろうか。住まいの直ぐ近くに大使館があって、朝のウォーキングでその前を通っていたので私にとってはお馴染みの国であった。と云っても同じ地区にあるインドネシア、タイなどの広く豪華な大使館と異なり、仕舞た屋風の民家である。それも2年前に千代田区1番町のビルの7階に越してしまった。今度の場所は日生協の資料室と生協総研のあるプラザエフの近くである。大使館が近くにあったことと、大使が2代続いて日系人であったことで以前からパラグアイに親しみをもっていた。そんなことがあってこのイベントには大いに興味を持って参加した。

ラテンアメリカで最初の共和国として独立
パラグアイは1810年5月15日にスペインの統治を離れて独立した。周辺諸国が宗主国スペインの意向を参酌したり、援助を期待して準州となったのに対してパラグアイは共和国として独立を果たした最初の国である。ブラジル、アルゼンチン、ボリビアの3国に囲まれた内陸国で、面積は日本の1.1倍、人口は630万である。首都はアスンシオン、主要な産業は農業である。日本人が始めて移住したのは1936年、第2次大戦中は中断していたが、1955年に再開して現在約7,000人の日系人が農業を中心に活躍している。といっても140万人の日系人を擁する隣のブラジルとは異なり、移民の歴史も短く数も少ない。それにも拘わらず持ち前の勤勉さと向上心でパラグアイ社会に確固とした地位を築いている。特に国の主産業である農業では、大豆、小麦の大農場を経営し、パラグアイの輸出品の中核を担っている。日系人は入植直後から農協を組織し、現在は日系農業協同組合中央会のもとに5つの農協がある。現在の駐日大使豊歳直之氏は二世でお父さんは広島県の出身とのことである。本人はパラグアイから早稲田大学へ留学し、その後は日系農協の振興に努めてきた。長男は日系の商業会議所会頭で今回のイベントに参加し、父の大使とともに挨拶をした。豊歳大使は最初にスペイン語で挨拶し、その後自ら日本語に直して話されたのは微笑ましいことであった。5月15日には首都アスンシオンで国を挙げて独立200年記念式典が行われたとのことである。東京での式典にはラテンアメリカ各国の大使が大勢出席されていたが、ここにも何人か日系人の大使の姿がみられた。日本政府の代表としては高橋千秋外務副大臣が出席して祝辞を述べた。
オープニングセレモニーの後「パラグアイ農業の発展と日系農協の活躍」というシンポジウムが開催された。そこで説明のあった日系農協の現状を紹介する。日系農協は組合員数438人で耕地面積81,150㌶というから1戸当たり185㌶という大農経営である。この他に乳牛7,600頭を飼育している。組織形態は総合農協で、信用事業、購買事業、スーパーマーケット経営を営み、共済事業は法律によって別に行っている。2代続いて駐日大使が農協中央会会長であったことからしてみても、農協の力の大きいことが判る。

日本政府、JA全中、JICAの協力と援助
日系人は人口の0.1%強に過ぎないが、パラグアイはラテンアメリカで最も親日的な国であり、日本政府の対外援助もアメリカを凌いで第1位である。農業指導と支援の面ではJA全中とJICAが人を派遣したり、農業研修生を受け入れたりして切れ目なく対応している。農業は日系農協がリードする立場にあるので、パラグアイ政府もそれを高く評価して1989年に日本人移住協定を無期限に延期し、総数85,000人までの移住を認めることにした。現在の日系人の数からすれば遠大な数であり、その後移住者は増えていないのが残念である。日系人の子供が増えない中で、日本語を教える「日本パラグアイ学院」でパラグアイの子供が多く学ぶようになっているのは嬉しいことである。日系人の祖国を思う気持ちは切なるものがあり、東日本大震災に際してはいち早く義援金を送ってきた。またイグナス農協は非遺伝子組み換え大豆を栽培し、岐阜県の豆腐製造企業へ輸出しているが、今回被災者へ100万丁の豆腐を贈ることを決め、既に活動を始めている。
農業中心のパラグアイ経済は天候と、穀物メジャーが動かす国際的農産物市況に左右される面が多い。事実GDPは2005年5.3%、2009年-4.55%、2011年14.5%という不安定な状況にある。日本は地球の反対側にある最も遠い国であり、農産物の受け入れは総体的に無理であるが、品目を選べば可能性が出てくる。非遺伝子組み換え大豆もそうだが、日系農協の生産する白胡麻は全量日本へ輸出されているが、日本の消費量の60%に相当するとのことである。シンポジュームでJICAの専門家はパラグアイ農業の不安定性をなくするためには、灌漑施設の整備などのインフラの充実に日本の指導と援助が望まれると話していた。またパラグアイの金融が不安定で、若しも外国から入っている資金が引き揚げられたら金融危機を招く恐れがあると云っていた。そうした事態に対処するために日系農協と、ドイツ系、ブラジル系農協が協力して協同組合中央銀行設立の準備を進めているとのことである。各系統の農協と信用組合に集まる資金を一元化できればパラグアイ全体の30%を集約できるので、仮に信用不安が生じても対処できるとのことである。また輸出のための港を共同で作る計画も進んでいるとのことである。都市住民は貧富の差が著しく、生協の基盤である市民層は未だ育っていない。しかしパラグアイの経済の屋台骨を支える農協は発展しており、来年の「国連国際協同組合年」を前にして各系統の組織が協力して事業を進めようとしていることは心強い。
文化イベントはパラグアイの民族楽器アルパの演奏であった。アルパというのはハープの基底部分や胴回りが空洞になっているので共鳴し、絶妙の音色を出す。独奏も素晴らしいが、数台で合奏すると一層盛り上がる。今までこのような魅力的な楽器があることを知らなかったので大いに楽しめた。実り多い「パラグアイ共和国独立200年記念イベント」であった。

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