コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

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悲しみを乗り越え共に歩もう -みやぎ生協―

「寄稿」

[西村一郎]

みやぎ生協の本部へ
やっと宿の手配もでき、東京から杜の都を目指したのは5月11日であった。5月14日現在で警察庁によると、宮城県は死亡8984名と行方不明5883名で、計14867名にもなり、被災者の一番多い県で避難者は32573名にも及ぶ。
みやぎ生協の2棟ある本館は、新しい棟は比較的被災も小さかったが、それでも天井や壁の一部がはがれ、多数の職員はそこで働いていた。古い棟は被災が大きく、抜けた天井から何本もの配線が垂れ下がり、机やロッカーなどがあたり一面に散乱していた。

新たな「みやぎ生協」づくりへ
 震災から丁度2カ月が経ち、宮本専務から被災状況や復興の話を聞いた。
「死亡した職員は、正規3名、パート11名、アルバイト1名の計15名で、さらにパートの1名がいまだに行方不明ですし、亡くなられた家族は70名にもなります。職員の家屋では、全壊や全流出が211棟、半壊が132棟、一部が壊れたり床上浸水は292棟です。こうして被災した職員も多数いますが、組合員や地域のためにと、皆で仕事に励んでいますので感謝していますよ。48店舗中で震災の翌日の12日には、臨時の店頭販売を含めて44店で営業し、これまでまったく販売できないのは被害の大きな2店だけです。共同購入では、危ないガレキを苦労して避けて届けてきました」

 宮本さんは、以前から週刊で専務通信を発信している。3・11以降は、各地の店舗や共同購入センターなどで、専務として感謝する職員にスポットを当て、メンバー(組合員)や地域に喜んでもらった事例を紹介し共有化している。それにしても経営的なダメージはかなり深刻で、宮本さんの話は続く。
 「建物や設備の損壊もあれば、商品や営業機会の損失もかなりあり、まだ正確ではありませんが、被害総額は70億円から80億円になりそうで、内部留保を全て崩しても大きな累積損失になります。厳しい現実を受け止め、1日も早く事業を黒字化し、累積損失の解消を目指します。そこでは震災前よりも強い経営体質を実現させるつもりです」
 具体的な復興計画は、「新しいみやぎ生協づくり」として以下の柱を立てている。
第一の柱:メンバーのくらしと地域の復興に貢献し、「協同」のある地域づくりをすすめます。
第二の柱:人と人がふれあう機会を多様につくり、自主的でいきいきとしたメンバー活動をすすめます。
第三の柱:生協事業を早期に再建し、震災前以上の事業・経営体質を作り上げることをめざします。
第四の柱:生協間の連帯をさらに強めます。また、他の協同組合や幅広い県民各層との連携を発展させ、協同組合の理念を地域社会の中に広げます。
 協同を大切にした生協らしい課題を掲げている。

メンバーの暮らしを守る店舗供給の継続を
 12日の9時にホテルを出て、みやぎ生協労組の赤松委員長による労組の支援物資を運ぶ車に同乗させてもらった。震災直後に赤松さんは、労組事務所に近い南小泉店に駆けつけ、不在だった店長の代行として手際よく采配をふるい、店頭での臨時販売を実施したし、また労組としての震災対応に連日忙しく動いている。
 車は、2時間ほどかけて石巻市を目指した。人口が13万2822人の中で、2964人が死亡し約2770人が行方不明となり、約8780人が避難している。6万928世帯のうち住宅は約2万8千棟と半数が全壊となり、全国へ映像が流れた被災の大きな市である。あたり一面がガレキと化した場に着き、ホコリと異臭の中で私は、しばし呆然と立ちすくんだ。
 石巻市内に生協の店舗は4つあるが、1店は被害が甚大で閉店し、2店が店頭での臨時販売で、通常営業の蛇田(へびた)店を訪ね伊藤勝巳店長に話を聞いた。
 「地震のとき、旅行先の京都から店にやっと電話が通じると、営業ができないのでパートさんたちを帰すところだったんですよ。私はすぐに帰宅を止め、営業を続けるように指示しました。震災時にも商品を提供することが、何よりも大切な生協の使命ですからね。
 東北新幹線や宮城空港は動いていません。やむなく山形空港へ飛び、そこからタクシーを使って、やっと戻ってくることができました」
 こうして蛇田店は震災後に1日も休むことなく営業を続け、戻ってきた伊藤さんは、他の職員や避難者と一緒に店舗で寝泊りし、復旧の先頭に立った。停電でレジが使用できず、電卓で簡単に処理するため、価格は100円と300円にしたのも伊藤さんの判断である。
 「当時のキャベツは398円が相場でしたが、メンバーさんのために300円に切り下げましたよ。ところが競争相手のあるスーパーは、切り上げて500円で売ったんです。それを見つけたお客が怒って、『生協では300円で売っているのに、500円もとるのは便乗値上げだ!』と店に抗議し、またそのことが携帯のツイッターで流れたんですよ。誰のために仕事をしているのか、生協と企業では違うことがよくわかりましたね」
 通常は1980円のガスコンロも、震災したメンバーの暮らしを応援するため300円で提供し、伊藤さんの英断で地域における生協の信頼はこれまでになく高まった。
 「断水の中で独自の工夫もしましたよ。水道が使えなければ、メンバーさんは調理で困ります。そこで惣菜と寿司を多く提供することにし、マニュアルには書いてないですが、商品のペットボトルの水を使っての作業を指示しました。ところが水道水を利用しなければ衛生管理ができないとして、本部の商材担当からクレームが来ましたよ。ペットボトルの水でも充分に衛生管理はできると私は反論し、また石巻の現場を良く知っている品質管理部の意見もあって、店の作業はそのまま続け、利用者に喜んでもらいましたね」
 ここでも伊藤さんの、メンバーの暮らしを最優先する生協らしい実践となった。頼もしい店長が育っている。

共同購入センターでも被災者の暮らし応援
 蛇田店で弁当を急いで食べ、次の目的地の気仙沼に向かったのは1時過ぎであった。雲行きが怪しくなった中を、2時間半ほど車は北上した。気仙沼が近くになると津波の傷跡が大きくなり、集落が廃墟となった地域もあった。人口が7万4247人の気仙沼市で、928人が死亡し約610名が今も行方不明で、避難者は約4520人にも及ぶ。
 共同購入センターで支援物資を下ろし、働いている人たちから話を聞いた。ここでもメンバーを最優先する取り組みがいくつもあった。その一例が、震災時に陸の孤島と化した中学校の校長から届いた、次の礼状でもよくわかる。
 「(略)家庭班担当の青野さやかさんより、本校に避難していた生徒や避難者に対し、配達商品である食料等の提供がありました。その行為に対し大変感激し、また有り難く感謝申し上げます。本来は他の組合員さんに配達する予定の商品であり、場合によっては青野さん本人の不利益に直結することでありますが、他に配達できず無駄になってしまうより、少しでもお役に立てればとの御判断から御寄贈いただきましたことに、学校並びに避難者を代表しお礼申し上げます。(略)」
 ジーンズ姿の青野さんを含め、労組の支援物資の前で記念写真を撮り、夕暮れになって雨の降りしきる気仙沼を後にした。

食のみやぎ復興ネットワーク
 5月13日に、宮城県産消提携推進協議会(会長は「みやぎ生協」宮本専務、39団体)が呼び掛け、「食のみやぎ復興ネットワーク」準備会が仙台市で開催となった。宮城県内の農業・漁業関係者や食品関連産業者が、地域の産業復興のために連携し、県内素材の活用の検討や商品を開発し、また商品利用の県民への呼びかけが主な目的である。すでに牛乳・豆腐・海苔・麺類・味噌・醤油など40品で検討し、会場にサンプルが並んだ。
 なおこれらの商品には、「がんばろうみやぎ 力を合わせて復興を」や「がんばろう東北 力を合わせて復興を」のロゴマークを付け、今後シリーズ化する。また宮城県だけでなく、コープ東北サンネット事業連合に参加する各生協や、岩手や福島の食品メーカーにも呼び掛け、さらには他の生協での普及も考えている。
 417名が参加し、7月2日の正式結成に向けて協力することを確認した。復興に向けた協同の1つの輪が、みやぎ生協から大きく拡がろうとしている。

*写真:震災当日の臨時販売(大富店)

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