コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

大震災 被災者でない側で  私の場合

「晴3」
不幸があなたを襲っていないことを祈ります。
今あげて支援、救済の行動のときです。同時に今進行中の巨大な不幸を未来の破綻につながないように、根底からわが身を見直し、新しい未来選択へ仲間と歩みたい。
GDP第1の近代化がいかにもろいものであったか、阪神淡路大震災直後神戸にあっていたく痛感したものであった。貴重な機会に学ぶことなく新自由主義競争に入って市域を分解させた。原発安全神話が崩れていく様子をこぞって目の当たりにしています。ガソリン製油所、物流 集中効率化システムが被災拡大の原因に転化し、日常生活で、便利だったものが不便になり、東海沖地震、房総沖地震、首都圏直下型地震がいつ起きても不思議でない期間射程のなかに入りました。(これから30年間の発生確率80%)今月73歳になるわが身ですが  共に考えたい仲間に(東北関東地震・・・・私の場合2)書きます。長文でごめんなさい。

(東北関東地震・・・・私の場合) 千葉の仲間と大友さんらに出したメールそのままのものです

体も心も包む大きな悲しみ。艱難のさなかに見る被災者同士の支えあう場面への感涙。被災地にいなかった側の私です。

お互いにじっとしておれません。私も会員であるメダカの会や自然同好会の呼びかけに応えて20日 10時半~12時 四街道駅前でたすきをかけてたちました。23日にも その次にも立つつもりです。

僕の左隣は 特別自立支援学校支援ボランティアの80才近いおばあちゃんでした。どうして呼びかけるの?と聞くと 「じっとしておれない。年取って食が細くなってお金がかからないから その分 節約して継続するつもりです」と。子供が寄ってきてカンパしていくと、私に 「(金)額じゃないよね」 と語りかけてきました。すぐさま中年の人が表れ「私は東北出身です」とお札を箱に入れていきました。私は右隣の点訳グループの人に「単なるお金じゃないね」というと深くとうなずきお互いの気持ちが通じ合いました。

次の日(今日夕方)私は実兄がプールに浮いたようなようにして亡くなっていたとやっと探した姪夫妻から知らせを受けました。10日目です。この石巻市にはまだ1万人の安否不明者がいて、その安否(命)を探す避難者が暗く底冷えのする小学校で余震のなか夜をすごしています。その避難所になっている小学校の児童47人は地震発生前に下校していたのでしょうか不幸にも・・・・あまりにもむごいことになったという知らせがついてきました。郡山で福島原発避難者受け入れの仕事をしていた、なくなった兄の孫は祖父の死亡を知らずに今朝バイクで仙台に向かっているという。もう26時間がすぎています。

私が得た不運の情報は何百万の不幸のひとつに過ぎません。
日本を襲った巨大な不幸は日増しに厳しさを増しています。深刻なガソリン、薬品、衛生、防寒、食料品不足が続きます。避難所にいない瓦礫損傷家屋などで支援を待つ人がいっぱいいます。救援の手がまだとどいていない多くの人たち。 中学生の時に仲間と合宿した奥松島の宮戸島はまだ孤立無援状態です。その島に行く途中のなじみの海水浴場野蒜海岸には数百人の遺体があるとテレビのテロップ。

被災地でない側の多くの人は挙げての長期的救済と復興で「新しい時代への分岐点」としなければならないと決意し行動し始めています。今テレビの画面に出ているのは長岡市です。長期化することを想定し 保健師、医師などを用意し35人を受け入れたこと。太田市は福島にバスで迎えに行き市営住宅80戸と民間200戸の住宅を借り上げて半年間無料で提供するという。各自治体からの救援物資を積んだ車両が発生時から次々に被災地に向かっています。会社や生協(地震発生から2日後の14日には西日本中心に50台の救援物資を積んだ救助隊が現地についているという現地の情報が私のパソコンにはいっていました。発生後3日間が生死を分けるという阪神地震の生協の教訓からの行動でしょう。当時の様子がよぎります。がんばれ、頼むぞ)。

でも四街道市からこのような取り組みはまだ市民の前に見えてこないのはどうしたことでしょうか。やってないはずはないので広報不足かもしれません。近くにすむTさんは千葉の津波被災地に単身駆けつけ救援行動に入っています。ボランティアセンターの義援金募集に示されているように、市民は応えようとしています。

聞こえてくるのは「市議会で計画停電がないことが報告された。外に対しておおっぴらにいえないが知っている人には伝えてあげてほしい」という電話がうちにありました。本当でしょうか。被災地が塗炭の苦しみにある中で被災地ならともかく「四街道だけが・・・・」という発想は市民にはありません。近所の人にもそんな電話があり本当かしらと妻は語り合っていました。
市も事情を明らかにしこういう風説?を否定し市と市民が被災地と心をひとつにする方向で共に手を合わせたい。

19日17時市民有志で日本が直面した巨大な不幸を、市とともに市民も分かち合いたいと思い市長に面会してきました。市長は同じ意向で努めているとし19日より鹿島荘を避難所とし福島原発の避難者を受け入れたコト、引きつづき避難所の開設を考えているとのことでした。

要望 さしあたり緊急性を要することは 「物資の不足が深刻」な中での対策と、避難所受け入れです。
   一 物資輸送と 物資の手当てを自治体やメーカーが艱難を排して1部届けていますが、空輸や港からの大型貨物搬送、鉄道、道路の輸送の基地が出来始めるのに伴い、暖をとる毛布、粉ミルク、水 食べ物食品。 また紙おむつなどの非食品指定物資などが届き始めています。市が進んでそのルートを開くことを要望します。その場合市が救援物資集約のルールを作って市民に呼びかけいただければ市民は応えると思います。
   二   避難者受け入れすでに今日(3月19日)から 鹿島荘に原発事故避難者を市が受け入れたことを多とするものです。ほかにも多くの避難者が生まれるでしょう。四街道にある公有空き住宅 空き施設を提供されるようご尽力ください。その際、四街道市民の温かい受け入れが求められます。地域団体・自治会への情報提供をお願いします。

四街道の地で創意的な支援を行うことは、すでに期間的な射程にある東海沖地震発生(今後30年間で80%の発生確率。房総沖地震、首都圏直下型地震の同時発生可能性)に備える防災のまち作りを学ぶことになります。計画停電に見られるように、節約し長期の視点で新たな防災のまち作りへの選択のときだと思います。よろしく検討下さい。直接お会いし市長の意向が伺いたく存じます。
3月19日 四街道 市民団体所属の市民有志  青柳象平、 岡林寛、小沢武、 国生南美子、高橋晴雄、 原田功、林孝、福間真樹 溝口孝昭、渡辺弘 他多数。

追記  今必要なのは 何かしたい、しかし何をしたらよいかわからない人たちに、手じかかなところに手を上げれば緊急不可欠な救援物資を持ち込めるところがあることです。千葉県庁がその窓口を開設している。私が知るところでは  現地ではみやぎ生協が担っている。パルコープから救援の車が今日来たといっていた。すでに各地から生協の30台の車が入っているという。
四街道の中では千葉県地域共生ケアセンター理事長がいるパオで受付「緊急物資を送っている。   
四街道市にも受身ではなく、できるところから現地のニーズを自ら調べ、ルートを開設してほしい。四街道行政が当地の行政支援するなどやっていれば知りたい。刻々変化する現地のニーズを把握し適時支援を継続する上で有効だと思う。

スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。