コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

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大友さんの、最近の二つの意見に触発されて、

[田辺準也]

 〔デフレの正体〕、読んでみました。大友さんと同様の読後感です。
  90年代初頭、バブルの崩壊後、もうバブルの再来はない、と言う構えが強調されていたことを思い起こしました。然し、あの頃、その根拠について、もうひとつ確信が持てなかったのですが、この本を読んで、なんとなく納得できるような気がしました。
  理論的なレベルで、何かが分かった、とはいえませんが、私が感銘を受けたのは、ともすれば悲観的になりかねない現状分析を通して、逆に明るい未来を志向している姿勢です。
 全く手前勝手な解釈ですが、私は、この著者の意見の中に、現状が厳しいからこそ未来を展望してきた生協運動、協同組合運動に対するエールを感じました。〔著者は、生協運動、協同組合運動には直接何も触れていませんが〕
 著者は、これから採るべき方策、〔処方箋〕として、その第一に、「高齢富裕層から若い世代への所得移転の促進」をあげています。現実的な具体例として、退職高齢者の人件費減少分を、若年労働者の待遇改善に回すという案を提示しています。〔未読の方には分かりにくいと思いますが、これまで私たちも主張してきた所得の再配分策のひとつ、であり、その意味ではそんなに目新しいものだとは思えません。〕

 実際には、著者も認めているように、日々存亡をかけて厳しい競争に明け暮れている経営者が、自発的に、このような施策を採用することは、今のところ、殆んど不可能だと思います。
 私が関心を持ったのは、この案そのものではなく、その裏付けとしてあげている事例です。
 著者は、今日の環境対策を例に挙げて、すでに経営者たちは、環境保全のために、とりあえずいわば無駄なコストである施策、例えばISOなどを採用しているではないか、と述べていることです。〔ISOが無駄なコストかどうかには、異論があるかもしれません、恐らく積極的な先行投資だという反論があると思います、それでも、目前の利益との関係ではそういう側面があることは、環境対策がなかなかすすまない現実が示しています〕
社会の持続可能性が問われる事態を前にすれば、利益至上主義の経営者も、これまでの考え方を必ず考え直さざるを得なくなる、との主張です。
 しかも、大友さんも引用されていますが、変革の根底にある力として〔現場で汗をかいている人たち、現場力、雑草力、未来、にむけて、自分の地域を良くしていこう活動する老若男女、〕を上げ、全幅の信頼を寄せている姿勢を背景にした主張です。
 昨今、生協運動、協同組合運動の現状、将来について、あれこれ危惧されていますが、私も少なからずそうした危惧を持ちますが、それだけに、この著者の姿勢,主張、現状分析、なから学ぶところは大きい、と思いました。
私が、勝手に、ここには生協運動、協同組合運動への期待、励まし、エールだと理解する理由です。

 もうひとつ、大友さんの、2020年ビジョンについての意見についてです。殆んど共感します。
大変意味のある今回のビジョン論議、出来れば私も議論の末端に加わらせてもらいたい、と思うのですが、残念ながら、既に現役をリタイアーした立場では、なかなか実践的な意見が述べられません。ですが、大友さん〔加藤さんにも〕触発されて、一言、つぶやきです。
 大友さんの言われるように、私も、これまでのビジョンについての総括が大切だと思いますが、その際、個々の具体的テーマと同時に、いわばビジョンを総まとめした「自立した市民の協同の力で、人間らしい暮らしの創造を、」というスローガンを、それ自体として総括するという視点がたいせつではないか、と思うのですがどうでしょうか。〔2020年ビジョンが、改めて、このスローガンを踏襲していることは大いに賛成ですが〕
 「自立した市民」、と言うのは、あくまでめざすもの、だと私は理解してきました。とすれば、この間、どんな努力で、どこまでどのように自立が進んだか、その際、生協運動はどう貢献したか、と言う議論があってもいいのではないか、と思うのです。〔そもそも自立とはどういうことか、自立と協同、を考えることを抜きにして、生協運動はない、と言ってもよいのではないか、と思うのです〕
 「人間らしい暮らし」についても同様です。人間らしい暮らし、をめざしてビジョンの各目標、課題が設定されているのだと思います。従って、一見、各目標、課題を総括すれば、人間らしい暮らしの実現の度合いが明らかになるように思われますが、果たしてそうでしょうか。人間らしい暮らし,については、それ自体を考えることが生協運動の趣旨ではないか、と思うのです。それを探り、創造していく〔或いは守る〕ことが、生協運動の課題だと私は理解してきました。あれこれの課題を検討する前提として、このテーマを独自に論議する必要があるのではないか、と思うのです。〔高齢期を迎えたために、特に関心があるのかもしれませんが〕
ところで、この〔人間らしい暮らし〕との関係で、是非、ビジョン論議の中に加えて欲しいテーマが有ります。この間、仄聞するところ、少なくない皆さんが、畑作業にいそしんでおられるとのことです。私もささやかに実践しております。
 そこで思うのですが、この際、「農のある暮らし、の探求、或いは創造」、と言うテーマを生協運動は掲げることが出来ないか、と言うことです。
 農、農業を大切にすることは、生協運動が一貫して追求してきた課題です。
 そのために、産直運動〔私は、産消提携運動、と称してきましたが〕を率先して展開し、今では社会的常識となり、多様多彩に発展さしています。
 然し、その一方で、消費者としての生活は、限りなく農、農業から離れたものになってきました。社会的趨勢であると同時に、生協運動もその流れから無縁ではありません。
然し、果たして、このことは、人間らしい暮らしの視点から見てどうなのか、農からの離脱が本当に進歩と言えるのか、今、確かな問い直しが始まっているのではないでしょうか。〔模索する消費者、市民の多様な実践が始まっています〕
 その答えは勿論未だありません。決して、農耕社会に戻るような暮らしを主張するものではありません。それでも夢物語といわれるかもしれません。
 然し、であればこそビジョン論議に加えられないか、と思うのです。
 ビジョンは、現実に「ありたい姿」を描くものです。とは言え、それは単なる計画ではなく、ある意味で、夢を掲げ、その可能性を探るところに意味があるのだと思います。
 とすれば、「農のある暮らし」という、とりあえず夢かもしれないテーマも、今日の時代状況を考えた時、ビジョンとして十分取り上げられてもいいのではないか、と思いますがどうでしょうか。〔これまた、とりわけ高齢者にとって身近な課題、と言う意味もありますが、ある意味、新しい産業のあり方と言う視点からも検討されてもいいのではないでしょうか〕
 勿論、生協運動が事業として農業生産に参加すべきだ、などということではありません、あくまで消費者の、新しい暮らし創造のテーマとして進められないか、と思うのです。
冷凍餃子事件から、今日TPP問題の急浮上まで、農について、ますます多くの消費者が関心を高めつつあります。そんな中、こんな視点での議論、検討があってもいいのではないか、と思う昨今です。


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