コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

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遠藤兄の逝去にちなんで 遠藤さんが求めてきたものは?

晴3

遠藤さんが求めてきたものは? 記憶持ち寄り これからの糧に
      遠藤兄の逝去にちなんで

いばらぎコープの理事長を勤めた遠藤さんが一昨日亡くなった。亡くなった日 奥さんがガン手術で入院されていて一人ひっそり息を引き取ったという。そんな知らせをしてくれた大友さんと「つらいなー」と絶句しあった。

こうしてかけがえのない仲間が生協の行く末を案じながら一人、また二人と消えていく。おもえば貴方と私たちとのつながりの長い来歴があった。例えば北関東コープネットを作るとき、三人でまず話し合ったものだった。お互いの生協を尊重しあい自立を支えあう事業連帯の検討のスタートだった。先行した北関東事業連合の経験を継承し調整する課題もあった。あなた抜きには果たせなかった。思い出はいろいろと浮かんでくる。

元をただせば貴方の茨城大4年の学生時代にさかのぼる。あなたの勇断と存在抜きに茨城大学生協の設立はなかったと断言できる。後の市民生協の設立にもいえる。そして今につながる。貴方らしいひとコマを思い出し故人となった貴方(以下彼と呼ぶよ)と語り合いたいと思う。

埼玉大生協設立のほやほやの経験を身につけた大友さんと 東大生協にあって茨城大生協設立支援担当を池田順次氏(故人)から引き継いだ私は、茨城大のキャンバスをともに訪ねた。当時茨城大の学友会も自治会も全国の大学自治会とは違って役員は右よりの人が多かった。生協設立なんてとんでもない。学生部も彼らに密着していたようであった。高下駄に学生帽に象徴される人たちが目を光らせていた。(私が茨城大学に来て どこを訪ねたかなど 次の日には学内チラシでデマを記して配布されていた)。

当時 遠藤さんは柔道部のキャプテンだった。「生協設立なんてトンでもない」という人たちから一目置かれる存在だった。彼は設立準備委員長を引き受けた。彼がいなければ設立運動はボシャルことは明白だった。北大や東北大出身の先生方(物理や生物、のち経済、社会学などの先生)が設立準備委員(設立後は理事)になって支えていた。設立運動は緒についたばかりだった。しかし卒業は迫っていた。就職するのは当然だった。私はここでひどいこと彼にしてしまった。彼はすでに釜石の高校の先生に決まっていてあて先を記した名札をつけ、送るばかりになっていた寝具袋を彼の部屋で見てしまった。「せっかくの設立運動をどうするんだ。君がいなくなれば頓挫してしまう」とせまってしまったのだ。
ところが「そうだよなー」「釜石に行くのやめるよ」ひとまず「電話を入れて断る」との即座の返事。その場でその実行を約束。今度はこっちが“安堵”どころかびっくりしてしまった。
今考えると責任感の強かった君はすでに内心そう決めていたにちがいない。私の指摘は単なる渡りに綱だったと思う。そうでなければその後の度重なる設立総会へ襲撃妨害。仮店舗への火をつけるような乱暴狼藉などを乗り越えることができなかったと思う。設立の成就もなかった。その後の軌跡は君の決断や優しさに引き寄せられ、ともにあゆむ仲間たちが寄ってきたことによる。私も引き寄せられたひとりであった。たびたび水戸にいくことになった。大友さんや東京地連東部ブロックの先行生協の仲間も無私の連帯をしたものだった。この母斑が後の事業連帯の土壌になったといっていいと思う。コープネットをリードしてきた大友さんがいずれ語ってくれるに違いない。

遠藤さんは一見口下手にも見える。とうとうとまくし立て統制をしていく管理統制型のリーダーではなく、はたらく仲間や 組合員とともにあった。水戸市民生協を始めた時、訪ねた折 5人の職員や組合員のこと、卵など商品のことなどうれしそうに話してくれたことをおもいだしている。家族のことなども開放的に話していた。裏表のない人だった。そういえば創成期にもかかわった先輩のリーダーの多くはそうだったようにおもう。はたらく仲間や組合員への感性、つまり生協組織としての感性を価値にして生協を創ってきた。

大学時代に生協に引き込んだ同窓同学部の内館、浅井両君が先立ち、かって失礼にもたてついたこともある先輩の池田順次氏も今年不慮の事故でなくなった。1昨年庄内飛行場に出迎えてくれいろいろ案内してくれた共立者の元理事長もなくなった。そして一昨日に遠藤さんは70歳前の夭折。こうして書いているとさびしくつらいものが募ってくる。
私も73歳近くなった。生協にもだいぶ疎遠になった。
そんなわけで若いとき生協に夢を持って取り組んだあなたのような仲間が、いまの時代にどう向き合えばいいのか病床の見舞いをかね、遠藤さんを訪ねたいと思っていた。その矢先の訃報だった。

格言に「故人の跡を追わず、故人の求めたるものを求めよ」がある。先輩の訃報に接するたびその意味が少しわかるようになった。不易流行を軽視した組織や個人に未来はないという格言でもある。

私は生協の事情にまったく疎くなった。代わりに身近な 地域からの得るものが増えた。一つは少子高齢社会の生々しい現実であり。ひとつはかって組織人として企業や行政や協同組合で働いてきた人たちから聞くことです。たとえば航空会社に勤めていた人は「組織の空気に飲み込まれ間違っていることを口に出せない沈黙の職場」を語り総じて働く意味喪失の時代に入ってしまったことを示してくれます。小さな町でも20代の青年や中高年層の自尊心が省みられない様子も見えてくる。身近に高齢者一人暮らしもある。しかしそれゆえの人々の優しさへの希求もみにしみる。

遠藤さん。生身の人間に感性を失いつつある組織や個人の先にあるのはなんでしょうか。「どつぼ」以外にないのでは。遠藤さんはどうおもいますか?

そうなら生協に再び時代のチャンスがめぐってきたともいえます。働く意味を持つ―楽しく働く―には 働く仲間や暮らす人のニーズを「協同」として捕らえることです。長年生協に世話になった私たちの実感であり、それを十分なし得なかった反省ですよね。協同は古来から生協の十八番ですから歴史的チャンスだと思います。子供と高齢者は仲間を求めています。働く若者は心のそこで変化を求めています。非常勤講師の6年間、学生から読み取ることができました。

「協同と事業の統一 に ―――生協らしさ」の夢を託して取り組んできた遠藤さん!逝くのがちょっと早すぎた。
 生協らしさの再構築を求める次の世代に希望を託していきましょうか。遠藤さんには辛口の批判をききたかった。また余生を楽しんでほしかった。私があなたの分を引き受けもう少し楽しんでからまいりましょう。
 これまでの無礼許してくださいと、いずれ謝りにあなたの墓前へ仲間を誘っていきます。

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