コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

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創立40周年を迎えたさいたまコープ

[大友弘巳]

<40年周年に当たって>
 去る9月21日、さいたまコープは、創立40周年を迎えました。
40年前の1970年は、旧高階生協と旧所沢生協が合併して埼玉市民生協になった年であり、埼玉中央市民生協が創立された年でもありました。9月21日を創立記念日としているのは、1982年に旧埼玉市民生協と埼玉中央市民生協が合併して市民生協さいたま(後にさいたまコープと改称)となった日が9月21日だったからです。
 源流の一つである高階生協が設立された1947年から数えると63年の歴史を持っており、戦後、ゼロから出発した日本の生協運動の歴史と共に歩んで今日を迎えているとも言えますが、70年以前は前史と位置づけ、市民生協として新たなスタートを切った1970年をさいたまコープの創立年度としており、そこからの40周年を迎えた次第です。

 多くの組合員が共に40周年を祝う大イベントとして、「スーパーフェスタ」が10月23日、24日とさいたま新都心のスーパーアリーナで開催される予定ですが、時節柄、来賓をお招きしての記念式典やパーティは行われず、役職員OBのつどいが内輪で開催されるだけと聞いています。このブログを読んでくださっている方々の中でも、40周年のことは聞いていなかったという方がおられると思われますが、事情をご賢察賜りたいと存じます。
 創立以来長くさいたまコープに関わった者の一人として、40周年を迎えたことを慶ぶと共に、これまでいろいろお世話になってきた皆様方に、この場をお借りして厚く御礼申し上げます。

<40年を振り返って>
 記念事業の一つとして、40周年では珍しいと思われますが、通史「ありがとう くらしとともに40年~さいたまコープの歩み~」の編纂がなされました。
 変化の早い時代ですから、10年後まで跳ばしてしまうと50年史を編纂することが困難になるかもしれないと思われ、40年史をまとめておく意義があったように思っています。
 私も編集委員の一員として手伝いましたので、改めて40年を振り返ってみる機会となりました。
 上記40年史では、事実を正確に記すことに重きを置き、特に00年代などは評価的な記述はまだ難しいことですので淡々と記述されており、私も意見を述べるのは控えていましたが、ここでは、自由に私見を述べてみたいと思います。

 40年の歩みを振り返ってみると、ほぼ10年ごとに大きな変化を経てきています。
 70年代は、共同購入を、組織活動の付属的状態から抜け出して事業として確立すること、
試行錯誤しながら店舗の経験を積み重ねることなど、いずれも基礎作りの時期であり、当初四つの地区でそれぞれ生協を作りながら連帯をめざしましたが、経営不振に陥った南部への再建支援を契機に、県内は一つに合併していく方向へと進み、県内一つの拠点生協を作っていく基礎作りの時期ともなりました。
 80年代は、冒頭に埼玉中央市民生協と埼玉市民生協(西部)の事業統合が始まり(合併は2年後)、共同購入のシステムを整え、急速に組織と事業を拡大し、小型店中心でしたが店舗も多店化を進めた時期でした。組合員を急速に増やせばそれに伴って事業高が伸びる、文字通りの成長発展期でした。後半になってからは、「転換期の生協」論が全国的に議論され、成長を続けながらも、県域を越えた事業連帯など次の発展を模索した時期でもありました。
 90年代は、SM店舗のチェーン展開を成功させるため、コープネットの設立に参画して「自立と協同」を理念とするリージョナル事業連帯を推進すると共に、共同購入の伸び悩みに対応して個配を始め、共同購入についても県域を越えた事業連帯を全面的に進めた時期でした。 個配の伸びとSM店舗の出店により成長を続け、共済事業の元受けも開始したこと、94年上期に初めての供給前年割れを経験して人と組織の改革を進めたことなどにより、経営的にも安定することになりました。
 00年代は、コープネットにコープとうきょうが加入したことにより、商品部から本部機能の多くまでトータル的に統一・統合を進め、マスメリットとコスト削減を追求した時期でした。コープネットがそれまでに作ってきたトータル事業システムととうきょうのそれとを並存するのでは連帯効果が上がらないため、多くの機能の統一・統合が必要でしたが、反面、さいたまコープの本部には僅かな機能しか残らない状態となりました。
 07年度には、「共同購入」や「班」という言葉を使うのを止めて、「コープデリ(宅配)」と「グループ荷分け」と呼ばれるようになり、店舗は小型店を閉鎖しながら売り場450坪型の多店舗展開を進め、共済事業は元受返上をするなど、事業と組合員組織の構造的変化が進みました。そして、「コープデリ」はテレビコマーシャルまで利用して急速拡大を目指し、SM店舗は連続的に4店舗(コープネットグループ全体では8店舗)が出店されました。
 そうした中で、ギョーザ事件、リーマンショック、デフレの深刻化などが重なったことを契機に、08年度、09年度と供給の減少が続いて、急速に経営の悪化に陥っており、10年代は、冒頭から、事業も組織も見直し、連帯のあり方も抜本的に見直し検討しなければならない事態を迎えているように思われます。

<さいたまコープの到達点と二つの問題>
 さいたまコープは、共同購入事業を70年代から80年代にかけて急速拡大を成功させ、業態として確立した点で一つの先行モデルでしたし、県内統合を進めて拠点生協づくりを進めた点でも、共済事業の普及拡大でも、コープネットでの県域を越えた事業連帯の推進でも、率先して進めてきた生協の一つでした。
 その結果、都道府県別の人口数全国第5位の埼玉県において、組合員数でも事業高でも全国第5位の生協として成長して今日を迎えています。
 組合員活動は他生協と比べても活発な方と言えますし、出資金総額では全国4位、共済加入件数は全国3位など、組合員の協力度、結集力は高いと言えます。
 また、40年間一度も年度決算で赤字になったことがなく、一時的困難な時期はあっても、健全経営を維持してきています。
 こうした到達点は、恵まれた時代、恵まれた地域、組合員にも恵まれていたことによるところが大きいですが、役職員の主体的努力の賜物でもあったと思います。

 問題は、共同購入(宅配)事業の利用結集の低下に歯止めをかけることができずにいることと、店舗損益の赤字が克服できずにいることの二つです。
 共同購入(宅配)事業の、組合員一人当たり利用高の低下傾向は90年代からはじまっていましたが、問題は00年代に入って加速し、長期低落が続いていることです。このまま低下が続けばいずれコストを賄いきれなくなることが避けられず、もうタイムリミットが近づいていると見詰めざるを得ません。
 店舗も06年度いったん僅かながら黒字になったものの、その後は再び赤字となっており、計画倒れの新店が多いこと、何の手立ても講じられていない多数の小型店の老朽化が進みジリ貧になっていること、競合はますます激しくなっていることを考慮すると、不振店の閉鎖も含めて、抜本的な改革を進めなければ赤字克服は難しいと思われます。
 これらは、組合員からの支持が低下していること、役職員の主体的な力量が事業規模や競争に追いついていないこと、連帯の力が上手く発揮されていないことなど、事業戦略と組織のあり方の問題として抜本的な見直し検討が必要になっていると思われます。
 00年代は、日本経済も社会も、組合員の暮らしも意識も、そして流通業の競争・競合も大きく変わってきており、しかも、コープ冷凍ギョーザで失った信頼を取り返すためにはまだ時間がかかり、特別な努力が必要となっていると思われます。
 10年代に入って既に半年が過ぎているわけで、抜本的な転換を検討し、一刻も早く実践に踏みだすことが望まれます。

 コープネットの部内報の最新号に、赤松理事長が以下のように書いていることに注目しました。
 「買う立場、現場を出発点に本部と現場が一体となって進めましょう。」と。
 問題提起が以前とは変わってきたことを感じます。
 これが本気なら、もっと全面的に提起し、徹底して進めてほしいと期待するものです。

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