コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

生協の歴史と明日とー2

斎藤嘉璋
「連帯問題を中心に」-事業連合にについて

 現在、日本の生協の連帯組織は都道府県連と事業連合が基本になっています。かって指導連絡調整も事業も都道府県連が担い、日本生協連の第1号会員は都道府県連でした。全国事業生協連が設立されて都道府県連は事業活動をしないことになり、その後、その商品事業は日本生協連のもとで大きく発展しました。
 その商品を中心とする連帯活動は90年代から各地に設立された事業連合が担うことになります。その事業連合の機能は商品連帯から会員生協の事業諸機能の統一へと進み「実質合併だ」といわれる状況に近いものになっています。「“実質合併”に近いものになったのだから、正式に組織合併するのは自然だ」という一見論理的で、実は論理的でない論議が現在進んでいます。ということで、事業連合の歴史を少しさかのぼって、考えてみます。
今回のテーマではありませんが、地域生協の県域越えのさまざまな動きや日本生協連から独立した医療福祉生協連の発足といったことなど総合的な地域連帯組織の都道府県連の在り方も論議を深めるべき時期にあると考えます。

大学生協の教訓
 大学生協連の法人化50周年思い出集「大学生協の歴史と未来」では多くの方が歴史と教訓を語り、書いていますが、和田専務はなかでも「無私の連帯」の伝統を学び、大切にしたいと述べています。50年まえ、私は大学生協連常務理事として東京地連管内での未組織校対策―生協設立支援に大半のエネルギーを注いでいました。生協が設立されるとまず必要なのは専従者であり、商品です。当時、その供給元は東大生協でしたが、それにも限界が感じられる中で、既存生協が連帯して「人、モノ、金」の面倒をみられる組織をどう構築するか、議論がはじまりました。

それは「同盟体」とか「血盟組織」とかよばれ、のちに「事業連合」となる連帯組織の追求でした。その10年後の1969年、東京支所が法人としての東京事業連合として発足するときは、早大生協専務として論議と運営に参加しました。「同盟化」論争では「単一化か否か」の論議があったということでしたが、東京事業連合の発足にあたっても「人、モノ、金」をどこまで統合するかで法政大生協のトップと意見の違いがありました。主に人事権の問題で「連合は提案権はもつが決定権は単協」いうことになり、それに不満の法政大生協は発足時には参加しませんでした。なお、「事業連合」の呼称はその設立準備を担い、行政との折衝にもあたった森定進初代理事長兼専務の発案だったようです。
 東京事業連合は「商品仕入れ活動と事業経営活動をより効率的に行うための事業連帯組織」と位置付けられ、事業連合の会員から受託する機能は「決定・実施・立案・支援」の4レベルにわけて「業務委託契約書」により契約されました。当時のフランチャイズチェーンの組織論であり、参加する会員生協の自主性を尊重しながら、合意によって「決定・実施」のレベルを広げようとするものでした。
私はこの事業連合の専務理事を72年から74年まで務めますが、発足時の4生協から20生協に参加が進み、さらに「全域化」をめざし始めた時期です。朝霞に物流、計算センターもでき、機能が強化されると論争していた人事提案権なども実質的に前進していき、その力は新設生協支援はじめ地域生協支援などにも大きく貢献しました。
 東京事業連合は単協主権、その自主性を尊重しつつ、事業経営面でのメリット追求のため必要な「決定、実施」の範囲を広げていきました。単協主権を否定するような「単一化」論は取らなかったのです。大学生協でいえば戦前の東京学生消費組合は単一組織だったので、「単一化」を経験しているといえます。そこでは政治的弾圧もあり、経営的困難のなかで共倒れはまずいからと早稲田支部は分離独立させました。その早稲田も最後に残った赤門支部も解散に追い込まれたという歴史です。単協法人だった東京学消でも解散を迫られるといった事態では支部ごとに分離を考えたということの教訓は、連合会法人の事業連合においては単協主権を否定するような「単一化」はあり得ないことを教えていたと私は考えます。

 「合併できないから事業連合」ではない
 地域生協の連帯組織として事業連合が取り上げられたのは1986年の北関東協同センターの発足時でした。たまたま、私は日本生協連のこのセンター立ち上げの責任者であり、かっての東京事業連合を参考に、これに参加する会員生協に事業連合を組織してもらい、日本生協連はそれに物流センターを貸す(共同する)方式を考えました。ところがこの構想は当時の日本生協連の購買生協委員会で反対され、すぐには実現しませんでした。反対したのは大学生協の先輩の埼玉県連の塚崎宏さんで「地域生協の県域を超える事業連合組織の在り方は今後の日本の連帯構造に大きく影響するので、慎重に検討すべき」という趣旨でした。その後、日生協や県連のような指導連合会機能を持たない、単協の一部機能を共同化する組織として認めることとなった
 なお、日本生協連が塚崎さんの主張するように県域を超える連帯組織の在り方(事業連合組織の位置づけ)論議を深めることができないまま、事業連合組織は会員生協によって追求され、89年には首都圏コープ、生活クラブ、ユーコープが認可されます。当時の行政は大学生協の事業連合法人を手本にし、内容的には事業の委託・受託のフランチャイズ契約を基本にするものでした。
 北関東協同センターは群馬、栃木、茨城3県の参加を希望する共同購入生協のすべてを対象としたもので「これが地域生協による事業連合の第1号だったら」と提案者としては残念な思いがします。というのは(それが悪いということではありませんが)、その後の事業連合は仲良しグループごとの組織として発足し、北関東のような全地域組織となっていないからです。
 92年にはコープネットとグリーンコープが設立され、その後九州、東北、北陸、東海で県域をこえる事業連合組織が結成されます。それらは主に共同購入事業を中心に連帯・共同事業で規模のメリットと効率化を追求するものでした。「県域を越えての合併が生協法の規制でできないから事業連合にした」などという話は聞いたことはありません。逆に県域越え連帯にもっとも早く取り組んだ生活クラブや首都圏コープは単協の大規模化に慎重でした。その辺の考え方はコープネットの創立メンバーの大友さんなどに述べてもらいたいと思います。
 少なくとも私は、大学生協がそうであったように単協は小規模でも(合併などしなくとも)規模のメリットを追求できる連帯組織が事業連合だと考えます。事業連合と会員単協との関係は委託・受託の契約関係が基本ですが、コープネットなど多くの事業連合では商品関係だけでなく単協の事業経営にかかわる諸機能の統一、機能統合を進めています。機能統合がすすみ、それが「実質合併」に近い状況となると法的に経営責任がある単協(理事会とトップ等)と事業連合との関係に新しい運営上の問題もいろいろ発生します。機能統合によるメリット(組合員利益)が大であれば、発生する諸問題は知恵と努力で克服すべきで、そんな苦労をするほどのメリットがなければ機能統合をやめればいいと考えます。
 事業連合ではできないことが合併すればできるとは私には理解できません。事業連合の場での連帯が進んだ、機能統合がすすんだから「組織統合・合併だ」というのは冒頭に述べたように論理の飛躍です。すでに「実質合併」に近いレベルに機能統合しているので合併しても規模のメリットはありません。運営上のメリットで「トップが3人より一人がいい」といった次元の発想であれば、事業連合の解散あるいは脱退を前提にすべきです。
 事業連合はどこまで機能統合しても最終的には会員単協に経営責任、組合員との諸責任関係は残ります。そこが良いところで、東京学消のように合併してから「共倒れはまずいから東京は分離しよう」などということになるより、事業連合で運営する方が合理的です。(県域越え合併に関する私の意見はこのブログの3月11日等でのべています。)

スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。