コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

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日生協総会の感想など

「齋藤嘉璋」
*日生協総会を傍聴して
このブログに「月に1回位は投稿させていただく」と言いながら、ご無沙汰しています。日生協総会は傍聴するので感想文は書くと約束したが、期待したようないい話はなく、またしても心配ごとの繰りごとになりそうです。
 会長挨拶では11次中計の基調は「信頼再形成」であり、それは単に商品問題でなく組織全体への信頼であるとし、餃子問題などにふれ危機対応での社会的な説明責任の大切さが強調された。その説明責任は県域を超える合併問題など戦略的連帯などの問題に関しても大切と述べたのが印象的だった。
そのあとの厚労省の局長挨拶では、改正生協法の隣接県での組合員利便への貢献にふれ、地域コミニティの陥っている困難ー買い物難民などーに生協が持つ物流インフラ、宅配機能など活かされることへの期待が述べられた。また、食の安全に関し「一部生協での食材の不適切な扱い」に触れ、生協の一層の注意と努力を促した。

 日生協総会で県域を超える連帯、合併問題がどう扱われるかが関心事であったが、会長がその説明責任の大切さを訴えたにも関わらず、11次中計には「事業連合と単位生協の連帯のあり方について検討します」と書かれているだけで、専務の発言などでその中身が深められることもなく、当該単協のトップが「説明責任」を果たそうというすることもなかった。
 11次中計では「日本の生協全体が『存立の岐路』にたっている」と危機が強調されているが、その危機の内容とか本質を深く認識しようとすような議論はなかった。岩手の加藤さんの問題提起はそのような危機認識論議の契機にならず、「経営の危機」と「思想の危機」がすれ違ったままであわせた議論にならなかった。日生協総会ではそうだが、加藤さんのような危機意識、見解は多くの若いリーダーに理解されているのだろうか?中期計画で今後の生協のあり方、戦略的課題が議論されないということに危機感を覚えた。
 勇気づけられたのは、局長の挨拶・期待に応えるように福井県民生協からの買い物難民を出さないために移動店舗事業を始めているという発言や東京の医療生協からの「福祉のまちづくり」のための複数生協の地域共同行動についての報告があったことだった。
 後者は毎日3000台のトラックを走らせている東京の生協が共同して「見守りネットワーク」づくりを進めるための杉並区での4つの購買生協と1医療生協の実験的取り組み報告であり、2つ問題を感じた。一つはこのような医療生協の活動報告は全国連が別になることで聞けなくなる、交流がよわまるのでは?ということ。今回の活動は東協連の提起・指導によるものであるが、地域福祉の場での購買と医療の提携強化が県連の場で進むこと、日生協がそのように県連を指導する中央会機能を失はないこと、である。2つ目はこの「福祉のまちづくり」に参加しているコープとうきょう、パルシステム、東都、生活クラブの4つの購買生協には、局長が言うように地域で生協の物流インフラと組織力を有効に活用するためにも都内での連帯を強化し、合併を目指してほしいと考えた。(県域を越えての巨大組織・事業を形成することなどが、地域と暮らしにどう役立つのか?マイナスの方がおおいのでは?)

 今年の日生協総会で気になったのは局長が挨拶で「食材の不適切な扱い」といった、ユーコープ傘下の店舗でおきた売れ残りカツ用生肉のカツ重などに使用した事件の扱いである。会長挨拶では説明責任の大切さが強調され、議案書(10次中計のまとめ)では「全国の生協は危機に際し、組織を挙げて『正直、公開』を信条として業務の改善・改革をつみあげてきました」とうたっている。神奈川、静岡の5店舗でおこなわれたこの「不適切な扱い」事件は、すくなくとも関東圏の多くの消費者に「生協はまたやった」と多大な不信感を生んだ。
 私の関わっている生協でも事件直後に理事会で議論になったが、そのような不信の積み重ねが現在の「存立の岐路」を招いているのではないか。餃子は生協外に原因があり、生協は被害者の面があるが、自らが決めた安全や品質管理のルールを自らが守れない、その結果について説明責任を果たさないのはどうも納得できない。ある単協トップに聞くと「あれは解決済みになっている」という。日生協やユーコープ関係者に聞けがばどう「解決した」か分かっただろうが、個人が納得するか否かの問題でないので聞く気がしない。
聞く気がしない消費者にも不利なこと、不愉快なことでも「公開」し「正直」に説明するのが協同組合のあり方だと思う。ーーやっぱり年寄りの繰りごとになった。

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コメント


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「天下国家も語り」「腐った魚も売らない」生協職員にならないと!

「思想の危機」というか、生協で働く中で「思想」という言葉を聞くことがなくなっていると思います。生協が大きくなって多数派組織としての運営をめざす中で、事業と運動が生協の両輪という概念がなくなって事業と活動の上の概念に「運動」という言葉を祭り上げたことで実質は使わないことにしてしまっていると思います。「運動」という言葉が持つ少数派が使う言葉のイメージから離れたかったのではないかと推測しているのですが、どうでしょうか。
しかしながら「コープとうきょう、パルシステム、東都、生活クラブの4つの購買生協の合併」ということは組合員感覚としてちょっとあり得ないという気がしています。個配にしろ共同購入にしろ、2つの生協で商品を買い分けている実態を知っているからです。こだわる商品群はA生協から、価格優先の商品群はB生協からという感じです。合併でそれぞれからの配達がなくなってしまうのでは週2回配達のメリットもなくなります。商品政策の異なる生協を併用できるというのは都会の消費者の贅沢だとは思うのですが、現状より後退させるというのはなかなか難しいことだと思うのです。
「天下国家を語るより腐った魚を売るな」という言い方が一時期ありましたが、「天下国家も語り」「腐った魚も売らない」のが生協職員のあるべき姿だと思うのですが、生協のトップがそれをのぞんでいない気がします。

ぴかちゅう | URL | 2010年06月21日(Mon)22:10 [EDIT]


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