コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

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共同購入の持続的発展を考える

[高橋晴雄]

生協の現役を退いてから6~7年たちます。生協の事情にだいぶ疎くなりました。
でも地域にあって自分の生活からも、地域と生協の大切さをいっそう痛感するようになりました。
この間の時代や社会の変化の大きさは大変なものですね。そんな中にあって今を担う役職員のご苦労も並みではないと思います。応援したい気持ちですが私には何も出来ません。
そこで私はある大学で5年間「非営利組織の理論と実践」の授業をしてきましたが、その中で使ったものから了解を得ていくつか実践的なものを紹介してみたいと思います。
表題のテーマで、生協しまねの理事交流会で講演した毛利さんは、今も全国いくつかの生協とかかわってるな方です。
ご参考になれば幸いです。私は目からうろこでした。
長文ですが、一挙掲載させていただきます。

[毛利敬典]
【ベークが提起したこと】
 今から12年前、京都の「くらしと協同の研究所」が「日本型生協は21世紀に生き残れるか」というテーマでシンポジウムをおこなっています。そこでスウェーデンの協同組合研究者であるスバン・オーケ・ベークという人が講演をしています。その彼の話の中で一番印象に残ったのは衰退を続けるヨーロッパの生協の最大の要因は組合員のアイデンティティーの喪失にあるという指摘でした。「アイデンティティー」というのは日本語に直すと「同一性」となるのですが、まあ、組合員自身が自分にとって生協が「身近な存在、なくてはならない存在」というように感じられている状態ということでしょう。そういう実感を組合員が失っていった、そのことが衰退の最大要因だということです。
 そしてヨーロッパのそれは生協の成功と共におこる規模の拡大、専門化、制度化が進行すると共におこっている。どこの生協でも「組合員の生協離れ」に危機感を持ち、手を打っている。でもその流れを食い止めることに成功していないのだというのです。

 日本についても、班というものを創造し、草の根的活動や運営参加という点で大いに評価されるべき状況をつくってきてはいるのだが、ヨーロッパでも昔は小さな店舗を中心にたくさんのグループが形成され多様な活動がおこなわれていたし、店は組合員の共同購入の場として機能していたというのです。ということは日本も規模の拡大と共におこる専門化、制度化、事業連合の機能強化といった流れの中で「組合員のアイデンティティーの喪失」をもたらすような強力な作用をどう克服していくのかが問われますよ、との指摘でした。
 それ以来、この指摘は日本の生協を考える際に常に私の頭に浮かんでくることになったのですが、今日ここまでの推移をみるに、ベークの指摘を克服してきたとは言い得ないように思えるし、そればかりか今後更に「組合員の生協離れ」が大きくならないかを危惧したりしています。
 大きくなったからすべてがうまく行く訳ではないのです。逆に生協が生協らしく組合員の中に存在できなくなり、そのことが組織の衰退、ときには消滅の危機をももたらすこともありうるということです。
 理事としてとか、職員としてとか、生協に関わる度合が大きいほど、自分たちに対立的な振る舞いをする人が気になったりしますが、生協の存在を危うくするのは理事会に対立する組合員の存在ではありません。黙って生協を去っていく組合員、黙って利用を減らしていく組合員の存在です。自分のくらしにとっての生協の役立ちを発見できないまま、あるいは生活の変化の中で生協に対する魅力を感じなくなっていく、そのことが放置されたままになっているそのことです。

1.生協は社会にとってどういう存在であり得るか

 経済の高度成長が始まり、食品の全国流通が盛んになるにつれて着色料や防腐剤が規制もないままに使われ、生活者の中に不安が増大していった3、40年前には「食品の安全・安心」はくらしをより良くしていくという点では極めて先進的であったと思います。しかし、組織の意義や役割は時代の変化、社会の変化の中で変わっていくべきものであるとも思うのです。しかし、最近は生協の社会的意義や役割について考えられることがなくなっているという危惧を感じています。この点で、私が思うことをまず触れさせてもらいます。

  【危機の直面している日本社会の中で】
 もう10数年も前のことですが、イヴァン・イリイチという高名な社会思想家が池袋の安アパートで2ヶ月間暮らし、日本の社会状況をつぶさに見ていったことがあります。その彼が日本を離れるときに残していった言葉が「社会心理の破綻という意味で最先端を行く日本」というものです。社会心理という言葉が何を示しているのかということについては説明もなくよくわからないのですが、でも自分なりにこんなことかなと思ったことはいくつかあります。
 今の日本はあらゆることが経済化、市場化されてきています。教育も医療も介護もです。しかしそのことが学校、病院、会社、そして個人一人一人も存立そのものについての不安を増大させています。一昔前までは、一流企業に就職できれば一生安泰といった空気があったものです。しかし今は、大きい組織ほどリストラにおびえるという世界が広がっているようにも見えます。
 経済が肥大化し、ものが豊かになるにつれて孤立と不安が拡大しているという、どこか変な世界が広がっている。子供たちが生きる意味を見出せていないということも言われてきましたが、しかし、先日の青少年白書では「自分の親は生きがいをもって生きている」と言い得た子供は16%という数字が出ていました。いまは女性の方が元気とも言われているのですが、この調査では母親の方が数値が高いといった結果ではありませんでした。ということは子供だけの問題ではないということをあらわしているのではと思うのです。
 これまた、10数年前の調査ですが、子育てが楽しいと答えられた母親はフランス76.6%、日本20.6%というのもありました。10数年のあいだに事態は好転したというわけではないでしょう。3万人を超える自殺者を出し続けている日本という現実もあります。
 私は、イリイチの「最先端を行く日本」という言葉を見て、社会心理の破綻という意味ではアメリカをも追い越しているのだと思いました。私の中では漠然とではありましたが、貧富の差の大きい社会、犯罪の多い社会とかで日本の方がまだまし、という様な認識があったのです。でも、アメリカ社会への認識がわれわれよりはるかに深い彼の言葉は、アメリカを超えていますよという風に聞こえました。不登校が問題になったときにアメリカにも不登校はあるが、それは「いかない」ということとしてあるのに、日本の場合は「いけない」ということで、人間としての社会性が育っていない日本の深刻さを指摘していた人がいたことも思い出したりしました。

  【自立共生的な社会の構築】
 イリイチという人は産業社会がもたらすこういう弊害を克服する道筋として、「自立共生的(コンビビアリティ)」という概念を提示しています。自立共生的というのは、「人間的な相互扶助の中で実現される、活き活きとして自分らしい生き方」とでも言っていいと思います。
 人間というのは経済がどんなに豊かになり、どんなにお金があったとしても、そのお金を媒介にしながら誰かの助けを受けているわけです。一人で生きることはできない存在です。
数百万年という時間、ずっとみんなと一緒に生きている生き物だから、本当に孤立したら生きられない。精神的にも異常を来してしまう、そういう存在である。社会心理の破綻というのは、こういう点で異常な社会環境になっていることをあらわしていると思うのです。改めて共生的な社会環境をつくらないと健康的な生き方をつくれない。もちろん、共生的というのはもたれ合うこととは違う。逆に一人一人が自立的に生きることを可能にするような環境です。

 この自立共生的な社会について、私自身がより具体的にイメージ化できるようになったのは「おたがいさま」という助け合いの会がひろがりをみせてきてからです。おたがいさまでやられていることを見たときに自立共生的社会がより現実的に描けるようになったのです。とりわけ高齢化社会を迎え、地域での一人一人のくらしを考えたときに、一人でも生きられる、そういう時間が大きくふくらむと思えたのです。
 このまま「おたがいさま」が発展を続けると、おたがいさまがある出雲を離れたくないとか、出雲を終の棲家にするといった人たちが増えてくると思われます。松江、雲南でも同様な世界が広がる。今の社会状況を考えるとそのくらいのインパクトを持つ取り組みになっている。
 さらにいえば、「おたがいさま」と共同購入の組み合わせを考えるともっと役割度が大きくなると思えます。

  【食を媒介とした自立共生的社会づくり応援】
 自立共生的な社会づくりを考えたとき、「食」というのも非常に大きな役割を果たせるのではないかと思います。
 「食は病んでいるか」(鷲田清一編 ウェッジ)という本に以下のような言葉がありました。

   共に食べることは、他者への創造力を培う場にもなっている。

   いかなる人間社会でも、個食が原則というところはない。また、共食が成り立つの
  はみんなで分かち合うことが前提で、赤ん坊さえ、分かち合う行為を示すのは、共食
  が人間の行動に深く根を下ろしていることを示している。

   人間は親しい仲間だけでなく、見知らぬ人々を招待する際にも食卓を用意する。ま
  た、人を訪問する際には食物を携えていくのが礼儀となっている社会も多い。食べ物
  は、いたるところで人々の出会いを和ませ、平和な関係を築くことに貢献している

   共食は「抑制」することが不可欠である。「抑制」することによって仲間とともに
  いること、仲間と同調して生きることを感得する。

   食事が持つ必要な「抑制」と「同調」は、私達の祖先が高い知能を持つ前に獲得し
  た人間性の原点ともいうべきものだ。ところが、現代の人々は食べるという行為の中
  に本来埋め込まれているはずの社会性をだんだん失いつつある。それは、人々が食べ
  るという行為にあまりにも効率を求めすぎた代償だと思う。古くから人間は食べるこ
  とに過大な手間と時間をかけてきた。親しい仲間と一緒に食べる快楽、未知の仲間と
  食卓を囲む喜びと興奮は、人間だけが持っている貴重な進化の遺産である。食事とい
  う社会的な行為が消滅したとき、人間の社会も危機に直面する。

   私達は食卓を利用して更に新しい社会性を手に入れられる時代を迎えている。21
  世紀は新しい食の構築の時代だと思う。

  【共同購入の特質】
 こういう意味合いにおいて、私たちがいま進めている共同購入事業とその周りでおこっていること、とりわけ食ということの中でつくってきたことやこれからの可能性についての認識をしておくことが大事なのではないでしょうか。
 共同購入が何故これほどまでに大きくなり得たかということについて、私はこんな風に考えています。食品の安全・安心は生協への加入の要因として最大のものであったが、商品のひろがりの最大要因ではないというものです。組合員の中には商品案内の情報の範囲でも積極的に新しい商品にチャレンジする人も見受けます。でも、1割ぐらいかと思えるほど少数の人です。多くの人は、家族の不評をかうことを嫌いますし、ムダになることを嫌います。一つ一つの商品のひろがりは、商品を目の前にして展開された「おしゃべり」にあると思えるのです。そこでは、食べ方から家族の反応など極めて具体的、実感的な話がされています。「食べてみたい」「食べさせてあげたい」「つくってみたい」など意欲を沸き立たせるようなおしゃべりです。
 私がこう言い得る証拠は以下のようなことです。

   (1)配達時のおしゃべりが活発な班ほど一人あたり利用が高い傾向がある。また、こ
    ういう班に入った新組合員も短期に利用が高くなる
   (2)加入年度が古い組合員ほど利用高が高い

 1年目より2年目、2年目より3年目の組合員方が高い利用高を示している。そして、この傾向は10年以上にわたって見られる傾向になっている。こんなことは、お店を利用するときには起こりえないことなのではないでしょうか。近くにスーパーができ、利用をはじめたが、年が経るほどに利用高が高くなるという姿は想像ができない。

   (3)配達担当者によって、供給伸長に大きな差ができている

 過去に数回、いくつかの生協でデータを見たことがあります。たとえば4月の週平均供給高を100として、9月、10月のデータと比較するというものです。伸ばしている担当もいれば落としている担当もいる。その最大幅は10数%にもなっている。そして伸ばしている担当というのは、必ずしも仲間づくり1位、単品供促1位の担当ではない。むしろ組合員といい関係をつくっていることが共通要因として浮かび上がってくる。配達時に担当者のところに組合員が寄ってくるような世界をつくっている。代配に行くとほとんどの班で「今日彼はどうしたの?」という反応がある、こういう担当です。

   (4)店とは違う、共同購入の世界で広がっているたくさんの商品がある

 たとえば、ドライパックとか、バラ凍結肉とか、あるいはぎんなんがんもとか冷凍食品の数々です。

 こういうところから共同購入事業の特質は『人と人とのかかわりの中に営まれる事業』と言いうるのではないかと思います。かかわりの中に埋め込まれた事業と言ってもいいかなと思えるくらいの世界です。流通業界からの参入も試みられたことがあったけれども、成功しなかったのはこういうところへの着目がなかったからとも思えるのです。
 そしてこういう関係の中で機能してきたことは
   (1)かかわり、おしゃべりの中で商品が一つ一つ輝きを増してきた
   (2)商品が人と人のつながりを豊かにする媒体として機能してきた
   (3)商品が生きる元気をもたらすものとして機能している
 こういうことではないのか、ということです。

 だから、関係性が弱まれば一人あたり利用は落ちていくと認識すべきではないか。全国の生協でおこっている落ち込みはこういうことではないか。もちろん、時代の影響もあります。しかし、その時代の影響を超えたところで新たな関係性を構築すべきであるのにそれをつくり切れていない、そう認識すべきではないのかと思うのです。


  【新組合員の発信から見えること】

 一人あたり利用高が少しずつ落ち込んでいるとはいえ、人とのつながりを通してつくられてきた商品やシステムが、今のくらしの中でどういう働きをしているのかをきちんと認識しておくことは、これからの共同購入の発展を考えるとき、とても重要なことだと思います。そこで、役立ち度について敏感に反応してくれる新しい組合員の発信をKJ法でまとめ、その意味するところを捉えてみました。
 そこで見えてきたことを述べさせてもらいます。まずは、組合員自身の言葉です。

   1才と3才の娘と息子がいます。特にお魚は骨を取るのが間に合わないくらいの取
  り合いです。骨処理の便利さから入会し購入した魚ですが、おいしさにびっくり。煮
  魚なんて絶対食べなかった主人も美味しいと食べるようになりました

   主人や6才の長女がうなぎが好きなので大隅産のうなぎを注文して食べたところ変
  な臭さもないし柔らかいのであっという間に食べてしまいました。もうスーパーで売
  っているうなぎは食べれないと主人が言ってました

   お肉嫌いの娘はなぜかコープさんの肉(豚でも鶏でも)だと、美味しいといって食
  べてくれるようになって、本当に良かったです!いちおしは「げんき鶏モモムネ肉」
  です。柔らかくてジューシー!

   娘(2才)は主食ばかり食べておかずを食べません‥‥、がコープの商品はなぜか食
  べます!私の料理がまずいのでは‥‥と不安になりつつ、コープのものを食べさせて
  います。安全なものを使ってくれていると信じています

   以前は冷凍食品を買うのはためらいがあったんです。けれど、生協さんの扱う冷凍食
  品っておいしい!普通、揚げ物なんかは水っぽくて美味しくないのに生協さんはなぜ
  か違うんです。サクッとしてる。カリッとしてる。不思議です

 これらの声は、生協の利用で自分自身だけでなく、子供や夫がこれまで体験したことのない様なおいしいものとの出会いの数々を体験し、みんなが元気になり、そのことを喜び合っているような感じを受けます。
 また、こんな声も上がっています。

   今まではワンパターン化したメニューで、家族の者に「また~これ~?!?」などと
  言われていましたが、コープさんを始めてメニューにバリエーションができて良かっ
  たなあと思っています

   少しオーバーにいうと我が家に生活革命が起きました。特に食生活はバラエティに
  富んで食事時の会話も増えました。今までは昔ながらの食事が殆どでした。メンチカ
  ツ・ハンバーグ等の冷凍品は食べたことがなかったので美味しさにビックリ

   COOPを始めて、食事の支度やお弁当づくりがとっても楽になりました。なんかレパ
  ートリーも増えたり、苦手だった揚げ物も多くなったせいか主人も喜んでるし、少し
  上達したと誉められて、調子に乗れて嬉しいです

   鯖切り身(たれ付)鯖味噌が大好きな主人もとても喜んでいました。味付けが難しく
  て自分ではなかなか作れず、主人のリクエストに逃げてばかりでしたがこれがあれば
  もう大丈夫。生協さんありがとう

 美味しいものに出会ったり、メニューが増えたりして食卓が豊かになることによって、食卓から家族の元気が広がり、その食卓をつくる主婦も自信が持てたり、生きる意欲をかき立てられたりしている様子が見えます。商品が和気藹々の楽しい食卓を生み出したりしている、それはときには「生活革命」を言わしめるほどの絶大なパワーを発揮することもあると言えると思います。

   毎日仕事に追われている状況。毎週のメニュをカタログを見て栄養士気分で作成し
  一ヶ月万で組み立てています。無駄遣いもなくなり買い物の手間も省け、精神的にも
  余裕を持ち仕事と家事を両立できるようになりました

 無理して買い物に行ったり、買い物に行けなくて主人に怒られることも時々ありま
 したが、コープに注文しておけば一週間分の主体は配達してもらえるので買い忘れも
  なくなり、余裕も出てきて大変よかったと思います

   仕事をしているので個配はとてもありがたいです。商品も安心で美味しく、夕食時
  の会話もはずみます。配達日は、ウキウキして仕事から帰宅する足も速まります

 2番目の発信は高齢者のようでした。共稼ぎの人だけでなく、高齢者も含め、何かに追い立てられてくらしを営んでいる人は本当に多い。こういうくらしの中で、一週間に一度だけ、1時間か2時間かの時間をとることによって、一週間の豊かな「食」が安定して確保できる。そのことで、精神的な余裕、あるいは、生きる元気を沸き立たせたりしている。カタログを見る時間もないという組合員もいるけれども、買い物の大半を共同購入に切り替えるとそういう人ほど、くらしが大きく変わる。そんな風にも言えるのかなと思います。

   まず一言‥「どうしてもっと早く加入しなかったんだろう!!」です。双子が生まれ
  て2年5ヶ月、毎日の食事を買い出しに行くのはとても大変でした。今は買い物に行
  く時間を子供と楽しく遊びの時間に使ってあげられます

   決まった日時に集まって仕分けをすることに抵抗感があり、断っていましたが今回
  個配で加入しました。カタログには多種多様な物が掲載されており、見ているだけで
  楽しくなります

 カタログでゆっくりと一週間分の買い物ができることで、それまでは大きな負担になっていた買い物や子育てが、それ自体を楽しみにできるという大きな転換を語ってくれています。「負担」であったそのことが、「楽しみ」になるということは、今の世の中ではとんでもなく大きな出来事だと思います。子育ての応援になりうることも意味が大きいと思います。

   コープさんは食材も豊富で毎週、商品案内を見るのを楽しみにしています。組合員
  さん同士のお友達の輪も広がり、情報交換をし合って日々のくらしにも楽しみが増え
  ました

   たまに注文書を取り違えて、仲間達の紙に自分のを書いてしまったり、ワイワイと
  楽しみながらやっています

 これも昔からあることですが、班の組合員同士のくらしの情報交換や和気藹々の世界の中でくらしづくりが展開することによって、楽しみの世界が拡がったり深まっている様子がうかがえます。

   仕事をしているので配達の方にはお会いできませんが、カメハメハ通信を読むのを
  とても楽しみにしています。スノボで頭を打ったり、ビデオ三昧の週末を嘆いたり。運
  転しているのをみけるとガンバレ!と声をかけたくなりますます

   生協の商品も楽しみですが、川辺さんのキビキビと働く姿も楽しみの一つになりま
  した。なぜって?‥‥根っからおっとり屋の私も頑張らなくちゃ‥‥と刺激になるの
  で‥‥

 毎週、きまった担当者が生活の場まで商品を運んでくれ、会話をしたり、ときには担当者ニュースやノートを通してやりとりをする。そういうことのうちに担当者が身内的な感覚さえ生まれるような親しい存在になり、組合員のみならず職員も勇気や元気を生み出すことにもなっている。スーパーの店員に対してこういう感覚を持つことはほとんどないと思います。また、こういう組合員は利用も多いのだと思います。

   子供が寝た後にチラシを見るのが最近の楽しみです!じゃまされることなくあれ買
  おうかどうしようかと悩めるのも楽しみのひとつ。主人も「生協のチラシ見るの楽し
  いな~」とか家族のコミュニケーションのひとつになりつつあります

   生協に入って良かった事たくさんありますよ。中学生は部活に勉強、小学生は習い
  事に、0歳児はミルクにお昼寝、何かとみんな忙しくて、ゆっくりお買い物なんかで
  きなかった。今は生協に入って、4人?主人も入って5人?みんなで「あれ買おう
  か!これ買おうよ!」毎回毎回の盛り上がり。クリスマス用とお正月用は更に盛り上
  がって、クリスマスケーキは手作りをすることになりました

   娘は毎週来る生協さん楽しみで、音楽が聞こえると、すぐに私の所へ来て「ママ生
  協さんきたよ」と言い、真っ先に玄関に走っていきます。商品を選ぶのも好きなよう
  で一緒になってペンを持って「これいいねぇ」など言ってます

 子供や夫がカタログでの買い物に参加することによって、家族の商品や食への関心が高まり、さらには家族での共通の話題も増えて、家族内のコミュニケーションが豊かになる。これはカタログでの買い物が果たしうる重要な役割なのではないでしょうか。家族の機能が衰退していると言われる今の社会で、逆のベクトルが機能しているわけですから。
 さらには、こんな声もあります。

   まず気に入ったところは消費者で、自分と同じ立場である主婦の方々からの声で成
  り立っている品揃えということです。安心して購入できるし、信頼感が持てます

   難聴になった今、自らの情報は取り込むことに努力が必要ですが、生協の毎週の商
  品案内や情報誌、チラシ類は意識しないで見ており自然に情報が入っていることに改
  めて気付きました

 このように組合員の発信とその意味するところを見てくると、さまざまな形で、社会づくりに貢献している姿が見えてくるのです。
 ただ、ここにも大きな問題があります。このような機能を果たしうる共同購入なのですが、ここで取り上げたようなレベルで、生協をくらしに生かしている組合員の方が圧倒的に少ないのではないかと言うことです。利用が2千円、3千円ではこうはならないのではないのか。そして多くの組合員がその状態で放置され、そうするうちに「生協は自分のくらしには大して役に立たない」として脱退につながったりしているのではないでしょうか。一番大事なところに手がつけられていないのではと思われるのです。


2.これからの生協づくりの課題
  【みんなでつくるという組織文化の構築を】

 生協というのは自明のことですが組合員のものです。その組合員が協同の輪の中で自らのくらしをより豊かなものとしてつくっていく、そういう組織です。そのためにも改めてみんなでつくるという文化を構築していくことの大事さを思います。それは、協同を掲げている生協の中心理念に据えるべきものですし、自立共生的な社会づくりにとっても大事なことです。生協だから当然のこととして、それは身につけているという見方もあるかもしれませんが、私はそう思えないのです。
 規模の拡大と共に役割区分が多岐にわたり、専門化や、制度化が進むうちに組合員と職員、組合員と経営、組合員と理事会、あるいは組合員理事と専従役員、そして男性と女性といった形での分離、対立的な世界が広がったりしている。なわばり意識やお任せ主義がはびこったりもする。そういう弊害を取り除くためにもあらためて組織文化の構築ということに意識的に取り組むことの大事さを思います。

  【「おたがいさまいずも」が提示していること】
 共に創るという組織文化を考えるとき、「おたがいさまいずも」がその実践を通して示してくれていることの大きさを思います。
 おたがいさま出雲はこの3年間、大変な発展をして、4年目の今年は6000時間の利用が展望される状況になっています。出雲支所の利用組合員が約7000名ですから、1人あたり1時間の領域に近づいているといえます。これは助け合いの会としては大変なレベルで、全国には60を超える生協の組織がありますが、たぶん断トツのトップだと思います。何故こうなってきたのかを解明することの中に、特にそこにある組織の運営原理から学べることは極めて大きいということです。
 私が一番にあげたいことは、自立的組織としてスタートしたということです。自立ということは自立と自律を兼ね備えたということでもあります。NPO的といってもいいかと思います。
 一般に生協でこういう組織を作る場合には、まず理事会で決定し、事務局として職員ないしパートさんが配置され、何人かの担当理事が決められといった具合にことが進んでいきます。約束事とか重要な事柄は理事会とか担当部局の決裁がないと進められなくなります。地域で実際に活動をしている人から見ると、決定権を人に委ねることになります。そうするとここに依存的な関係ができてきたりします。「なんとかしてよ」「もっとお金を出してよ」「早く決めてよ」という具合にです。で、それは次に不満に発展しがちになる。さらには対立的にさえなっていく。「何で私たちのことをわかってくれないの」とか「わかってくれない理事会」「協力的でない職員」というような見方も生まれてきやすい。
 生協しまねの場合はほぼ支所単位に「いずも」「まつえ」そして今年スタートの「雲南」とそれぞれ自立的な別組織としてつくってきた、このことがとても大事だったと思います。
 さらには、その運営のスタイルです。一人一人の思い、一つ一つの事実を丁寧に見る。誰の意見が正しいかということでなく。また多数原理でもなく、です。一人一人の意見を出し合い、特にその意見を持つに至ったその人の思いが見えるようにすると共感的な世界が広がる。そうすると、意見が違う場合でもとりあえず多数の人の意見でやってみよう、やってみてどうだったかをまた考えよう、というレベルで全員の賛成が得られるのです。
 こういう運営を見ていて、私はある言葉を思い出しました。アメリカの業績の良い、優秀な企業の分析をしていた経営書なのですが、その本の一節に次のような文章がありました。

   すぐれた組織はすべて、事実の持つ意味とその解釈をみんなで分かち合うところに
  成り立っており、そこから行動が生まれている

 この文章を読んだときには、アメリカの経営といえども日本と同じような原理が成り立つのだと思って、とても印象的だったのですが、なにも経営組織というだけに限らない原理なのだと「おたがいさま」を見て改めて思ったことです。
 そして、こういう組織になるとその構成員みんなが自立的にためらいなく行動できるようになる、誰かに指示されないと動けないということがなくなるのだと思います。それは同時に、失敗で人を責めない文化にもつながるし、役割の違いがあっても権力的にならない、抑圧的にならないことにもなる。結果として目的も実践の中で共有化され、求心力も生まれてくるのだと思えます。
 イリイチの言葉に次のようなものがありました。

   の避けがたい暴威を、自立共生的な再構築へと革命的に転回させる営みに、大
  多数の人々を協同させるこ災厄とができるものは、弱きものとしての言葉あるのみなのだ

 自立共生的な社会をつくっていくときに、正しいことを振りかざしたり、権力的にふるまったり、自分の地位や名誉にこだわったりは障害になるのであって、「おたがいさま」の世界であれば、こういうものをつくりたい、人の役に立つことを何かやりたい、そういう人たちが集まって、言葉を重ねながらつくっていく。そうすると更にたくさんの人が寄ってきて、これまでの常識では考えられもしないような事柄が起こり始める。そんなことも認識させてもらいました。

  【組合員活動について】
 「食は病んでいるか」とか、「新組合員の発信から見えること」でお話ししたように「食」は人間にとって極めて大きな位置を占めているし、未来社会づくりを展望したときに、「食」の健全な発達はそれ自体で大きな役割発揮になるのだと思います。しかも共同購入の商品やシステム、あるいはそこに拡がっている人との関係性は組合員や家族、さらには地域の元気さえをも応援できている、そういう意味においも、組合員活動の第一義的な位置に「食」をおいてほしいという思いがあります。
 この点で、着目したい取り組みとして長崎のララパーティーがあります。年2回の取り組みがされていますが、昨秋は3万人を超える人が参加し、そのうち数千名は非組合員です。この規模になると一つの社会現象となりうるのではと思ったりします。地域に無数の生協商品を真ん中に「共食」の場がつくられ、「語り合い」の場がつくられるわけです。
 そしてこのことは必ず、地域における生協のステータスを高めることになっているに違いないと思います。
 それからメーカーとの共創の形の探求も大事なこととしてあるのではと思います。メーカーも利益を上げればいいというところにいるわけではないのです。自らの社会的存在意義、特に商品を通しての生活者の元気の応援、くらしの豊かさへの応援をしたい、そういう商品づくりをしたいと切実に思っています。そういうメーカーの受け皿としての生協の存在意義は大きなものがあると思います。取引先としての生協が利益探求に片寄がちに見え、失望を感じているメーカーも少なくないだけに大事なテーマだと思います。
 組合員はメーカーと場を共にすればたくさんのくらしのヒントを得られます。またメーカーは組合員の声に触れたり、場を共にすることによって商品づくりのヒントを沢山得られます。ときには一体になった商品づくりに発展することもあるでしょう。パワーのあるくらし応援商品を生み出し続けるためにも大事なことと思います。
 組合員の活動を進めていくときこんな事も大事かと思っています。何かありたい世界を描くことは大事ですが、コトを急ぐあまり、組織が構成員に向かって指図をはじめる、あるいは指示されていると感じたりすると構成員を縛ることになり、次におこりやすいのは
「だまる」そして「身を引く」さらには「対立的に振る舞う」ひとが出てきやすくなる。
 大事なことは、構成員がどう組織を活用するかだと思うのです。組合員が自分の意志で商品やサービスを活用する。地域ネットやサークルやさまざまな場を活用して自分づくりを促進したりする。そうしやすい環境をつくることこそが大事と思えます。「おたがいさま」は組合員自身による自立的な活動として存在しています。援助金は出していますが、生協がやっているわけではないのです。そうしたから今のような発展があったと私は思います。この原理は平和活動にも、環境活動にも、福祉的な活動にも、その他さまざまな活動を考える際にも生きることではないでしょうか。

  【コミュニケーション媒体のあり方について】
 くらしの変化の中で、荷受けの場に出られる人が減ったり、またそういう組合員への応援のための個人別仕分けが、おしゃべりの機会を減らしたり、さらには個配の急増など組合員同士のかかわりの機会が激減しています。このことは一人あたり利用の減少要因にもなっていると思われるのですが、それだけに商品案内や機関誌などコミュニケーション媒体の改革は急務だと思っています。またこういう媒体を通して、組合員同士をつないだり共に創るという文化を形成していくことも可能とも思っています。
 事例としてコープぎふの組合員からの要望を扱うカタログ「声をカタチに」を取り上げてみます。この紙面の1面については声を寄せた組合員にヒアリングをし、その声をかなり丁寧に掲載しています。「とってもおおきなチョコサンドビスケット」で取り上げた声を紹介してみます。

   甘い物はめったに食べない主人ですが、「これはうまい」と言って1枚食べ「もう
  1枚は3時のおやつにとっておこう」と言って、大事そうに冷蔵庫にしまっていまし
  た。直径10cm以上もあるような大きなビスケット。本当のおいしくて私も大好き
  です。1枚でも大満足です

   ずっと、ずっと、ず~っと待っています!!子供二人が大好きで取り合って食べま
  す。初めて食べたのは下の子が2歳の時でしたが、1枚ペロッと食べてしまい「もっ
  とくれ~」って感じでした。大きくて食べがいがあって、隅までチョコがサンドして
  あるけどクドくなくてシットリしていて、食べてもバラバラこぼれない感じで、みな
  さんにも是非食べてみてほしいです

   ビスケットの薄さと大きさが魅力です。家族皆大好きです。昨年の冬は結局1度も
  扱いがなかったので本当にガッカリ!どうしても欲しくて、この商品をつくっている
  メーカーはどこなのか調べ、このメーカーの同様の商品を探して買ってみましたが
  「なんか違う…」お使い物にもよくするんですがとても好評で「頼んどいて~」とな
  るため、扱いがあるたび10~20箱注文していますが、すぐなくなってしまいます
  ので、絶対毎年扱ってください!!

 このほかにもあと3人、計6人の声をのせています。これは班のおしゃべりそのものと思います。こういう生活の場の様子や家族の反応を聞いて、「子供が喜びそう」「食べさせてあげよう」となって、新たな利用者が増えていく。じっさいこの時には通常の商品案内で扱ったときの3倍利用されている。利用者も約二千名多いのです。
 紙面上のことではあっても、組合員の声に触発されて購入し、「おいしい」となったら、この組合員は以後、今まで以上に組合員の声をよく見るようになるだろうし、さらには自分のおいしいという声を発信してくれるようになるかもしれない。そしてこういうことも組合員同士のつながりの実感をつくり得るし「共に創る」という文化形成にもつながるものとも思えるのです。

 今年の生協しまねの総代会資料『私のくらし・生協のあるくらし』は組合員一人ひとりがまるごと見えるということを意識してつくってあります。一人の組合員さんのくらしやそこでの思い、そうしてそのくらしの中に商品やおたがいさまがどう生かされているのかを描き出すというありかたです。昨年までは生協が決めたテーマ、食品の安全とかメーカとのつながりとかが先にあって、それに当てはまるくらしの断片情報を集めていた。
 ところが、総代さんの残していく感想文で一番良かったこととしてあるのは、総代さんの発言、わけても自分のくらしと生協についてのメッセージなのです。共感できた、励まされた、元気が出てきたといった反応です。だったらそれを紙面としても描き出そうとなったわけです。そういうものであれば、新しい組合員の生協活用案内にもなる、そんなこともあって別冊にしたわけです。
 でも、こういう意味あるものであれば、月々発行される機関誌でとりあげれば多くの組合員に対する新しいメッセージになりうると思うのです。こういうことでも、これまた共感や気づきを通して、人とのつながりの実感が拡がっていく。

  【地域の中の共同購入】
 北支所でこんな話を聞きました。ある団地で青空コープをやったら50人もの人が集まった。ところがそのうちの40人ほどは高齢者。高齢化が進むその団地は、近くのスーパーも閉鎖され、商品を確保することがかなり切実な問題になっている。また自治会としても問題意識を持っているようなのです。
 この話を聞いて、私はこんな事ができたらと思いました。自治会と組合員活動委員会と話し合いを進め、できうることなら住民に募って、くらし応援の組織を作ってもらう。組活委員や職員、パートが個人の立場で入れるもっといい。基本はやりたい人の集まりで、任意団体でも、ワーカーズでも、NPOでもいい。そこでは、共同購入の配達日に合わせて食事会やみんなで発注する場や分け合いの場もつくる。高齢者で商品をとりに来られない人のところへは配達と注文書書きや商品紹介などもしてもらう。生協からは委託業者や地域ステーションの場の提供者に払っているレベルの供給の何%かのお金を払う。それを活動資金にしてもらう。こんなことです。「おたがいさま」の組み立てと同じことです。
 「おたがいさまいずも」はこの先、NPOへの道を志向したいようですから、そうなると「おたがいさま」が高齢者への配送を受託するというようなことも考えられる。
 生協を拡大するという発想ではなく、地域のくらしの側から発想する。共同購入を電気や水道や道路などと同じようにインフラ(社会基盤)と考えて、どんな活用の仕方があるのかというところから考える。共同購入の商品やシステムは、この先、まだまだ改善の余地があるが、しかし、「新組合員の声」は、現状でもくらしに多大な貢献がしうることを示していると思います。その共同購入と助け合いの会「おたがいさま」が組み合わせるとそれこそ、イリイチが言う「自立共生的社会」がぐっと身近なものになるように思われます。そういう可能性をもつ社会システムとしての「共同購入」はくらしの側からして、もうなくなっては困るものとして存在しているのです。

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