コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

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「全国政策討論集会」に参加して

[加藤善正]
  

1月14・15日開かれた日本生協連「2010年度政策討論集会」に関して、大友氏から事業連帯問題を中心に報告があったが、私は全体討論と分散会で発言した内容を中心に書いてみる。 
 なお、私の発言に対しては矢野専務は一言もコメンとせずコレを完全に無視した。昨年の総会でも完全に無視したが、私はねじまげたコメントをされることを恐れるので特に無視されたことに異議はないが、「正直・公開」を強調するのであれば、批判意見や厳しい反対意見を無視する彼の「倫理的価値」(ICA)を疑う人が多かったのではないか。
 第11次全国中期計画に対する「政策討論集会」であれば、文字通り政策を討論すべきで、多くの発言は「自らの生協の実践報告会」の色彩が強く、私のような「計画そのもの・政策に関する意見」を無視するのであれば、この集会の意義も薄れるのではないか。
 

山下会長の冒頭挨拶でも「生き残りをかけた中計」が強調されていたが、私の発言の第1は、「10次中計の総括をもって厳しく掘り下げるべきではないか」ということであった。
 店舗事業の黒字化の課題も未達でむしろ赤字が増え、構造的な悪化が進んだし、共同購入(宅配)事業も伸長率が激減し、NETも1%以上縮小し0・6%レベルに陥った。日本生協連の経営悪化はこうした会員生協の経営悪化を補填する「利用高割戻し」も出来ないという。こうした3年間の総括をする上で、毒入り餃子事件や消費不況や低価格商品の対応不足などという、いわば表面的な原因だけでなく、組合員組織の劣化、組合員の生協離れ、この間の恐るべき「内向き志向」、協同組合としての生協のあり方、「レイドロー報告」が厳しく指摘している「思想の危機」など、本質的・根源的な「総括」の上に、向こう3年間の中期計画をすべての生協(事業連帯組織に参加している大きな規模の地域購買生協だけでなく)の参加を通じて、より民主的に作成すべきではないか、というものである。

 

第2は、今日の国内外の情勢分析、とりわけ、新自由主義・市場競争原理に基づく政治・経済・社会システムの崩壊、これに代わって期待される「共生・公正・協同・連帯・相互扶助」などの、協同組合の理念と価値がクローズアップし、国連でも2012年を「協同組合年」とするという「大転換期」に、内向きな「10次中期計画の積み残し課題」ではなく、全国の生協組合員や常勤者が「協同組合としての生協運動」に自信と確信を持つことが出来る計画と政策こそが、いまこそ求められておるのではないか。
 その点では、同じ協同組合としてJAは昨年の25回大会において市場原理主義と訣別し「大転換期にける新たな協同の創造」を高く掲げ、「新たな協同の創造で地域の再生を」「協同組合運動のすばらしさを国民各層に訴える」など、日本生協連とは大きく異なる視点で農協運動の再生を誓い合った。
 

第3は、この新しい「大転換期」における生協運動の総路線の転換、組合員のくらしや地域社会の崩壊と国民的大運動の必要性、すべての全国の生協の大同団結、などを確実に前進させる上で、どこに依拠し何を基盤として力を合わせるのかが問われている。それは、1995年のICA声明や92年の東京大会にける「基本的価値」などに立ちかえることではないか。とりわけ、第5・6・7原則を「厳則」にして、現在の生協運動の謙虚な総括の上に、全面的な実践を展開すべきである。また、必要な事業連帯を積み上げると共に、生協運動はあくまで組合員の自覚と力・結集による発展が基本であり、各地の会員生協・地域における確実な実践、地域におけるネットワークと新しい「協同」の創造こそが、発展の基盤であるという総路線を確立すべきではないか。「自立のない共同」「主体性の弱い連帯」「質の伴わない規模拡大」がいかに危険か、現在の日本生協連の路線そのものが問われる時代といえるのではないか。

私はこうした考え方にもとづいて、近じか文書をまとめ全国の生協各位に郵送し、ご批判を待ちたいと考えている。

 

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