コラボ・コープOB

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「邪馬台国山陰説」

[吉永紀明]
 昨年12月に、鳥取県生協連理事会後に開かれた「ユニセフ学習会」に招かれて鳥取を訪問した。
 以前からユニセフ鳥取県支部を立ち上げるにはどうしたらよいかという相談を受けていた。「一度学習会を開いて関係者にユニセフについて理解を深めてもらったらどうか」と伝えていたことで、理事会の後で開かれた。
 学習会の終了後に行われた忘年会にも参加させてもらった。
 その席上「吉永さん、これお土産です。ぜひ読んで見てください」と一冊の本を渡された。
 本のタイトルは「新説 邪馬台国山陰説」となっていた。渡してくれた人は、その本の著者の田中文也さんだ。
 田中さんは、米子医療生協の現役の専務理事をしている。
 「ありがとうございます。以前話を聞いたことがありましたが、本を出版されたんですね」と答えた。しかし、これが始めてではなく、すでに1998年から4冊も出版していることを後で知った。
 世の中では、邪馬台国は「九州説」と「畿内説」のどちらかというのが主流になっていて、「山陰説」という説があることすら知られていない。
 折角本をもらったのに、岡山に帰ってから忙しさにまぎれて本を読む時間が取れなかった。正月明けに、本をもらったことを思い出して読んでみた。
 読み終わって、邪馬台国が「九州」か「畿内」かということより、もっと広い視野で古代をとらえることが必要なのではないかと感じた。

 いくつか田中さんの本の記述から、その理由を述べてみる。
 第1に、「九州説」と「畿内説」を根拠にしている「魏志倭人伝」の正当性が疑わしいということ。
 中国の正史書もしくは国書は24~28ほどあると言われていて、倭の国あるいは日本について記載されているのは18ほどある。
 しかし、中国の記録の殆どに「始皇帝と徐福」のことが書かれているのに、なぜか魏志倭人伝にはそれが書かれていない。その魏志倭人伝をもとに「九州」も「畿内」も自分の都合の良いように強引に解釈して、邪馬台国は自分のところと主張している。
 もっと幅広く、中国の文献を総合的に考察すべきではないか。
 第2に、今までの古代史研究の二大分野は「考古学」と「歴史学」の分野だが、数学、物理学、生物学、医学、心理学、宗教、哲学、民俗学、気象、気候、地球環境の変動など全ての自然科学の分野を古代史研究に投入しなければならないのではないか。
 神話や古事記、日本書紀などからも考察する必要があること。
 第3に、1983年に島根県神庭で発掘された荒神谷遺跡から、それまでに全国から出土した銅剣の総数300本余りをはるかに越える358本が見つかったこと。また近くから銅矛16本と銅鐸6個も発見された。
 九州を中心に分布する銅矛と近畿を中心に分布する銅鐸が同じところから見つかったのは初めてのこと。さらに1996年加茂岩倉で、39個の銅鐸が見つかったことなどについて、その理由がいまだに解明されていないこと。
 第4に、古代史を研究するなら、古事記や日本書紀、風土記や神賀詞、さらに民俗学的伝承や神話についても、その整合性を客観的に検証すべきこと。ということで、記紀の中の話が、ほぼ100%山陰の三つの旧国などで占められていることを明らかにしている。
 第5に、卑弥呼の墓とされる箸墓古墳については、畿内には箸墓古墳と同じ大きさと形の古墳が11個程度存在し、全国にも相似形の古墳が分布していて、その調査や分析が充分行われているとは言えないこと。
 などです。

 田中文也さんは、本の冒頭で「2000年の時を超え、ようやく『山陰地方』の重要性が顧みられることになった点は、大いに喜びたい。国内外から沢山の研究者や古代フアンがこぞって山陰地方を訪れ、今も凛として存在する記紀や風土記の世界に触れ、貴重な遺跡や神社を巡ることを心から歓迎したい」と述べている。
 また「当時の『古代国家の首都の位置』を特定することと、その当時の『文明のメカニズム』を解明することとはまったく違った次元の事柄なのです。この大いなる誤解が日本古代史の謎を解く作業を延々と数百年間も迷走させ続けてきた原因の1つとなったのです。」
 「邪馬台国山陰説は、神話をフイクションとして切り捨てずに、史実が含まれている可能性があると考え、誠実な検証の対象としている点で、これまでの古代研究とは決定的な違いを持っている。つまり、過去の古代史研究が、神話=記紀の神代の記録を絵空事として科学的検証の対象からはずしてしまった「定説」が致命的な誤りだったわけです」としてその分析を試みて、山陰説の根拠の一つとしている。
 「九州説」「畿内説」とも、決定的な根拠を持てずにいる。その中で「山陰説」が新たな古代史研究のフイールドで静かに浮上してきているように感じる。
 ただ「山陰説」がマイナーからメジャーになるためには、田中文也さんだけでなく、もっと幅広い古代史研究者の応援が必要になっていると思う。
 それにしても、同じ生協人のなかに、邪馬台国についてこれほど説得力のある本を出版されたことは驚きであり、敬意を表したいと思う。
(本は、梓書院発行 1524円+税 「新設 邪馬台国山陰説」

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コメント


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邪馬台国は岡山県北部

高天原=蒜山、天孫降臨の地=伯耆国説http://plaza.rakuten.co.jp/kodaisi
九州説の前提が天孫降臨の地が宮崎県ということであるが、
それに対する異説がほとんどないことが問題です。
邪馬台国は岡山県にあり、卑弥呼は鳥取県と奈良県(纏向遺跡)を行ったり来たりしていたのだと思う。

古代史が好き | URL | 2012年06月21日(Thu)13:57 [EDIT]


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