コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

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寄稿 「賀川豊彦献身100年記念行事」

[岡本好廣]
「賀川豊彦とともに明日の日本と協同組合を考える」
                  講演とシンポジュームに参加して

12月28日に日比谷の東商ホールで標記の基調講演とパネルディスカッションが行われ、500人程の聴衆が集まった。顔見知りの生協関係者も何人か参加していたが、何度かコラボに寄稿してきたご縁があって私に依頼があったので、当時の内容や様子をお伝えしたい。
最初に特定非営利活動法人ジェン(JEN)の事務局長木山啓子さんが基調講演を行った。ニューヨーク州立大学大学院で社会学の修士課程を終了してJUNを設立し、旧ユーゴスラビア、スーダン、アフガニスタン、イラク、スリランカなどの紛争地帯で支援活動を行い、日本では中越地震の救援に参加している。講演のテーマは「自立を支えるということ~国際支援の現場から~」でJUNの若いメンバーがこれらの地域で活動して様子がスライドで紹介された。パネルディスカッションのコーディネーターをした池上彰氏もスーダンへ行って、若い女性が生き生きと働いているのを見てきたと話していた。木山さん自身も若い活動家であり、情熱の元になっている人びとへの深い愛情に感銘を受けた。

「自立を支える」というJUNの活動の原点は、国際支援はもとよりどんな場合にも重要であり、賀川先生の活動でもいえることである。20才の時に神戸の葺合新川のスラムで救貧活動を始められたが、与えるだけで自立を促さなければ“賽の河原の石積み”と同じで貧困から抜け出すことはできないと考え、アメリカ留学から帰国した後は<救貧活動>から<防貧活動>に転換した。貧しさと闘うために労働運動、農民運動を組織し、台所から協同で生活を支えるものとして生協運動を唱導したのである。1921年那須善治さんが一代でつくった財産で社会運動をしたいと相談した時に、「慈善事業では永続しないから消費組合活動を始めなさい」と云って灘購買組合を作らせたのはそのためである。
この後のパネルディスカッションでは「自立」ということが論点になった。パネリストは木山さんの他、共同通信社の伴武澄、世界連邦運動協会の木戸寛孝、徳島県生協連会長阿部和代の各氏であった。阿部さんは賀川先生の育った故郷の生協代表として心に響く発言をされた。「死線を越えて」のDVDの上映活動を県内の町々を巡回して行い、既に1万人の人びとが視たとのことである。

「賀川豊彦献身100年」行事の一環として全国の生協が県連を中心に記念講演会を開催している。私も幾つかの県連に招かれて講演しているが、この催しの2日前の26日は山口県連で講演した。テーマは「賀川豊彦の生涯と協同組合思想」で100人ほどの県内生協の役職員が熱心に聴いてくれた。私は<献身>という聞き慣れない言葉について語ることから始めた。<献身>というのはキリスト教の教えで「神がお命じになったことに従って人と社会のために一身を投げ打って奉仕する」ということである。賀川先生は葺合新川でのスラム街の救貧活動に従事してから今年で丁度100年になり、これを契機に生協運動を始め多くの社会運動へと発展していくのである。こうした活動の基本は「愛」であり、自分を愛すると同じように他人を愛するというキリスト教で云う「自他愛」である。そこから「奉仕」という行動が出てくる。私は講演のなかでこれまで取り上げられることのなかった賀川先生の国際秘書ミス・ヘレン・タッピングを例にして話をした。彼女は賀川先生の活動を援助していたアメリカの教会関係者の呼びかけに応じて1927年、コロンビア大学の大学院を終了すると同時に来日して賀川先生の活動を支えた。賀川先生が関東大震災後活動の拠点を東京に移し、救援活動に忙殺されていた時期である。ヘレンは国際活動の窓口を務めて海外から来る人を世話し、翻訳を手伝い、海外での伝導や講演旅行に付き添って身体の弱い先生を助けた。ヘレンの父母も日本でキリスト教の活動に献身していた。父ヘンリーは盛岡パプテスト教会の設立者で、宮沢賢治に聖書を講義し、英語を教えたという。岩手公園には賢治がヘレンを含むタッピング一家の人びとを称えた詩碑が建っている。後にヘンリー夫妻も上京してヘレンと共に賀川先生の活動を助けた。後に賀川先生は「タッピング一家の人びとは私の天使だ」と云っている。ヘレンは戦時中も帰国せず、軍部に圧迫されてフイリッピンへ逃れていたが、戦争が終わると日本へ戻って活動を再開し、1960年に賀川先生が亡くなられた後も10年余り日本に留まった。タッピング一家の墓は多磨墓地の中の外人墓地にある。賀川先生の献身はもとよりそれを助けたタッピング一家の献身、こういうことが重なり合って多くの活動が展開されてきたのである。キリスト教の<献身>とはこのように偉大なものである。一方キリスト教以外でもJUNの活動のように日本の若い男女が内戦の続く国々へ赴いて、自然体で国際支援活動に従事している。それも上から何かを施すということでなく、そこに生きる人びとの自立を助けるという立場で活動しているのである。こうした活動と賀川先生とタッピング一家の献身活動を重ね合わせてみて、木山啓子さんによる基調講演の意味が判り、JUNの活動の大切なことも理解できた次第である。

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