コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

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生協間の連帯について学んだこと     ~ ベルリンの壁崩壊の年に

[大友弘巳]

 11月9日がベルリンの壁崩壊から20年目の日だったことで、先日、吉永さんから思い出話が披露されましたが、私も、壁の崩壊からまだ1ヶ月もたっていなかった12月2日~13日にドイツも含めて4カ国の生協の視察団の一員として訪れており、そのときの思い出を紹介したいと思います。
 まず、ベルリンの壁が崩壊してできた瓦礫についてです。
 吉永さんたちは、翌年ドイツから迎えた代表団からお土産に「ベルリンの壁」をもらったとのことですが、ドイツの人たちは多分、大変喜ばれると考えて、一生懸命に重いものを運んでこられたのだと思います。
 というのは、私たちが訪れた時の旅行ガイドから、ベルリンの壁の崩壊直後瓦礫を拾い集めていた人々の中に日本人の姿が目立っていたと聞かされたからです。
 ドイツの人々や、世界の人々から、そうした日本人の行動が冷ややかな目で見詰められている感じを受けて、私たちは気恥ずかしい思いをしたことを思い出します。
 ドイツで私たちを迎えてくれたドルトムント生協の方々は、石ころをお土産にと下さるようなことはありませんでした。

 1989年の年末になって、ドイツ、フランス、イギリス、スペインと4カ国の生協の視察に訪れたのは、当時日本生協連会長であり、灘神戸生協(現コープこうべ)の組合長でもあった高村さんが自ら団長としてリーダーシップを発揮された視察団でした。
 メンバーは、当時各地方毎に県域を越えて連帯活動を進める中心となることが期待される拠点的な生協の実務トップで編成するということで、東関東5生協の交流を進めていたさいたまコープの当時専務理事だった私にも参加呼びかけをいただいたのでした。
 その目的は、ヨーロッパの生協の失敗の経験から学ぶということであり、特に生協間の連帯のあり方を深く学ぶことにありました。
 というのは、1996年にフランスの生協の大半と全国連合会が崩壊したのに続いて、1989年、西ドイツ(当時)の圧倒的多数の生協が統合されていたコープAGが崩壊していたからです。イギリスとスペインへも訪れましたが、中心的にはこの二つの国の生協のことが私たちの関心の的でありました。
 最初に訪れたドイツでは、全国連合組織が崩壊し、長い歴史を誇っていた各地の巨大な生協組織(AGの傘下に統合されていた)がほとんど崩壊してまっていたにも関わらず、灘神戸生協と交流があったドルトムント生協はしっかり生き残っていたのでした。
 ドルトムントも含めて10の生協はAG傘下には入らず、生き残ったとのことで、生き残った生協同士で連帯を始めようとしていました。
 二つ目に訪れたフランスでも、1986年に大方の生協が連合会共々崩壊してしまっていた中で、私たちが訪れたノルマンディー生協は、生き残った4つの大手生協の中の一つでした。
 そしてそこでも生き残った生協同士の連帯を再構築しつつあるとのことでした。
 この二つの国の生協のほとんどが何故崩壊してしまったのか、生き残った生協は何故生き残れたのかは、簡単に究明しきれるものではありませんが、生き残った生協の指導者の方々が私たちに語ってくださったことが要点を突いていることは間違いないことだろうと思っています。
 当時私がさいたまコープの役職員に報告したレポートでは、視察で学んだこととして、以下の5つの点を報告しています。
 1、変化への対応に遅れてはならない。 
 2、組合員との結びつき、信頼関係を大切に。
 3、リージョナルな単位で、地域に根ざした活力ある大規模生協を築くこと。
 4、事業連帯活動は、請負やもたれあいを排して。
 5、経営トップの革新。
 これら5点は、今でも貴重な教訓であろうと思われます。
 中でも、とりわけ、「事業連帯活動は、請負やもたれあいを排して」は本当に大事な点だと視察団員一同が肝に銘じたものでした。
 西ドイツのコープAGに統合した生協の半分以上が赤字生協だったということで、そうした状況にもかかわらず連合組織への統合を進めたということは、連合本部組織の請負いに他ならず、各地域の組織は本部にお任せし依存する関係に陥ったということで、そんなことで赤字の克服は進むはずもなく、崩壊の根本的な原因となったとドルトムント生協の方は語っておられました。
 フランスでも、20の大規模生協で全国の生協の事業高の90%を占めるところまで、生協の統合が進んでいたものの、それぞれが多くの赤字生協、不採算の小型店舗を抱え込んだ請負型であったうえ、無担保で共同保証をし合ったり、会員生協への国からの融資を連合会が連帯保証をしていた中で、大きな生協の倒産が連合会の連鎖倒産に繋がったとのことで、まさに請負ともたれあいが蔓延していたようです。
 西ドイツでもフランスでも、さまざまな事情や思惑があって請負ともたれあいの道へ突き進み、結果として崩壊を迎えたようですが、日本の生協は、事情や思惑に流されることなく「自立と協同」を原則として貫くことを戒めとしなければならないと思いました。 
 当時、日生協理事会は「21世紀ビジョン」を検討中でしたが、90年5月の総会では「21世紀を展望する生協の90年代構想」として採択され、その中で、90年代に掲げる理念として「人間らしい豊かなくらしの創造」を、そして90年代に重視すべきキーワードとして、①自立と協同、②健康と福祉、③環境と平和の3点を掲げることとなりました。
 視察団は、帰国後議論を重ね、日本生協連とは別に拠点的生協同士の連帯共同の組織として90年にCOMOジャパンを設立すると共に、その会員生協が各地で県域を越えたリージョナル単位での事業連合を作ることに全力をあげることになり、同年、先行してユーコープ事業連合が設立され、東関東では、まず任意組織として東関東コープネットワークを設立して事業連合法人設立の準備を開始しました。
 先行したユーコープ事業連合のご苦労を教訓としながら、東関東コープネットワークでは、「自立と協同」の連帯を掲げ、92年にコープネット事業連合を設立するに至りました。
 任意団体でスタートした時から数えると来年は20年になります。 99年からコープとうきょう、以後、ながのやにいがたも加わって今日のコープネットに至っているわけですが、今年は赤字に陥る生協が出てきそうと聞いており、連帯のあり方にも遡って議論が必要になっていると思われます。
 私には、最近のコープネットの連帯は、「自立と協同」から、事業連合の請負と会員生協の依存傾向が深まる関係の連帯へと変化しつつあるように感じられ、このまま突き進んでよいものかと懸念しています。
 他方、とうきょう、さいたま、ちばの3生協では、「組織統合も選択肢のひとつとして新たなレベルの協同のありかたを検討」すると聞いていますので、ドイツやフランスの生協の失敗の経験からもう一度しっかり学んで、慎重に検討してほしいものと願っているところです。

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