コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

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「沈まぬ太陽」の主人公  恩地こと小倉寛太郎のこと 

「晴3」
 「沈まぬ太陽」の本や映画をご覧になりましたか。主人公の恩地元さんは  本名は小倉寛太郎といいます。実は大学生協駒場の設立の中心でした。私もかって大学生協連を氏がたずねて見えられたときお会いしたことがあったのですが、つま先から頭のさきまで善良そのものの明るい印象の方でした。それが「沈まぬ太陽』が世に出る前だったので つい 出会いを大切を生かせなかったのが悔やまれます。大学生協駒場の設立の中心でしたことを現役の大学生協のかたは誰もそれを知らない。それは私に責任の一端があります。そうおもって思って小倉さんが本郷に移ってから駒場の生協従業員になった島根さんに話すと「自然に生きて 小倉寛太郎著 新日本出版社」ほかを持ってきて下さいました・

それによると「沈まぬ太陽」はほぼ事実そのもののようです。山崎豊子が8年かけて千数百時間ヒヤリングし  また関係者を徹底的に調べて書いたものです。はじめ小倉寛太郎は小説化を固辞しました。これに対し山崎豊子は『貴方は非常に珍しい経験をされ  自分の信じたことを曲げないで生きてきた」 と食い下がります。小倉寛太郎は「普通に生きて当たり前のことをきただけです。それが珍しいというのは社会のほうがおかしいからです」とまた辞退する。山崎「私はそのおかしい社会をどうしても書きたい。貴方はそれに協力してください」と。そういうことで始まりました。

山崎さんはまたこうももいっています。「わたしはこれをどうしても書きたい。日本の人たちが横車に屈し、泣き寝入りしたために戦争が起こった。その戦争でわたしは学徒動員で軍需工場に徴用されて、空襲で友達を何人も無くしている。わたしはこの日本がそういうことを繰り返さないために、正論が正論として通る世の中にするために、わたしはこの小説をどうしても書きます」  と。出版には 航空会社筋からの圧力が入り  広告収入や政治的圧力を気にした多くの出版社から断られ 山崎さんは自主出版を決意します。しかし出版社の心ある編集者のおかげで出版され大ベストセラーのなります。

前に全5巻を読んでいた連れ合いが黒柳悦子と映画主演の渡邊氏のテレビ対談を聞いていて口を挟みました。恩地に扮する「主演の渡邊氏は小倉の生き方に心からのなみだをこらえて演じ続けたたといっていましたよ」と。
今も根ずよく残る周りの空気をよんで同調していく日本の中にあって勇気をもって「正論が正論として通る世の中にするために戦っている」方がおられることに感銘を受けます。

この20年、特にこの10年 競争至上市場主義の新自由主義が謳歌し政治経済、企業の 集中が進みました。うえの顔色を伺って物言えない 言わせない力は一層大きくなっているのではないか。しかしこの道は『働く動機の喪失。働くいみの衰退」が進み、ひいてはイキイキ生きることが出来なくなり 鬱 、自殺がまんえんし いうところの経済も衰退に入るのではないか。社会的統計数字もそれを示しています。こうした中にあって『沈まぬ太陽」が読みつがれ映画化されました。

小倉寛太郎は、自分が生協設立にかかわって10年後「十年の歩み座談会」で「社会に出てみると組織というものは、末端に浸透すれば浸透するほど強くなることを身にしみて感ずるのです。話を聞いてみると、生協は大きくなりすぎて、みんなに定着していないんじゃないかと思うんですね。大変僭越なんですけどそう思います。」 。当時の生協が大きくなりすぎた という指摘は当を得た指摘ではないとおもうがが 「末端(先端)浸透すれば浸透するほど強くなることを身にしみて感じ」て生きてきた氏の軌跡はたやくものを決してone of themとしないない生き方だった。
彼は航空事故は必ずといってよいほど経済効率』優先政策からおきるるコトを正視して労働運動をしてきた。
その故に散々苛めつけられた。その彼が航空史上最大、520名の犠牲者を出した御巣鷹山事故にたちむかった。それを記した3巻は読むものの魂を揺さぶる。

2009-10月その航空会社は財政破綻に陥いった。いま連日マスコミをにぎわしている。経済優先と物言えぬ会社運営が破綻をつくり 一方 働くもの人権をつらぬいた小倉寛太郎の生きた軌跡が日本全国の多くの人々を勇気けている。果たしてどちらが希望であり未来につながるのか。小局のため大局を見失い 身の保身のためにたをぎせいにする航空会社のあり方は日本の今日を投影している

半世紀前当時駒場の主任だった(、後東京生協理事長)島根さんさんは当時を振り返り述懐している

創立記「その頃の学生、従業員は昼夜よく働いた、学生さんには頭が下がります。」
何のために 誰のために組織があるのか。働くのか。明確だった。

 目的に曇りない生協のあり方こそ今につながる生協をつくってきた。これからも。そう信じたい。




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