コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

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09夏ーヒロシマ

hirosima
「斎藤嘉璋」
10年ぶりに被爆の日を中心に広島を訪問した。
はじめて被爆地ヒロシマを訪れたのは、1958年、宮崎で開催された大学生協連の全国理事会の帰途に数人の全国理事の仲間と一緒に立ち寄った時だった。学生だった50年前、原水爆がみたび使われるのではないかという危機感で一杯だった。事実、その後の冷戦激化のなかでその危機が現実化しそうな状況もあった。そんななかで幸い、地域生協、東協連、日生協の幹部、役員として原水爆禁止、核兵器廃絶の活動に多くの仲間と参加を続けることができた。
しかし、毎年のように参加していたヒロシマ・ナガサキ行動から離れて10年。ひさしぶりの「虹のひろば」の会場の県立総合体育館も「グリーンアリーナ」として立派な施設になっていた。

”オバマジョリティ” として
 「虹のひろば」では冒頭、山下日生協会長が主催者挨拶。「冷戦は終わったが幾千もの核兵器は残り、北朝鮮などの危険な動きがある。その中でのオバマ大統領のプラハ演説は歴史的転換ともいうべきもの。核兵器の廃絶をめざすオバマ演説を受け、日本はいまこそ「非核3原則」を実現すべき。日生協会長として11月のICA総会では核廃絶にむけてのアピールをしたい。」と述べた。
 また、「秋葉広島市長は”オバマジョリティ”という言葉をつかっているが、私もオバマジョリティの一員として取り組みたい」と述べたのが印象てきであった。
 来賓の秋葉市長は「核兵器は廃絶することにのみ意味がある」と平和市長会議で提唱している2020ビジョン(2020年までに核兵器廃絶、2010年のNPDで採択、2015年までに核兵器禁止協定)を述べ、そのための50万人署名への生協の取り組みを訴えた。秋葉市長のこの訴えは昨年、東協連の講演会で聞いた内容であり、その時は「秋葉さんは楽天的だなー」といった印象をもったが、その後のオバマ演説で現実性が高まっており、秋葉市長の先見性に脱帽。
 秋葉市長も日本政府の「核の傘」政策を批判したが、その後の麻生首相の発言などでも明らかなように「核の傘」、「非核3原則」に関する日本政府の態度こそがオバマ路線に反する、現実の政治課題だと痛感した。
 「虹のひろば」では「はだしのゲン」の作者・中沢啓治さんの被爆証言が参加者に大きなショックと感銘をあたえた。私も改めて生の証言や現場を知ることの大切さを痛感した。
 9日のナガサキでの平和式典では田上市長が核保有国で危険な動きをしている諸国のトップこそ長崎に来てほしいと述べていたが、現地を知り被爆者の証言を聞くことはオバマ大統領よりも金主席にも要求したいものだと考えた。
 「虹のひろば」をふくめ「ピースアクションINヒロシマ」の3日間の企画はかってにくらべその企画は多様できめ細かいものになっており、日生協や広島県連の関係者のご苦労が察しられた。参加人数は自分が関わった80年代から90年にくらべ減少しているようだが、この「歴史的転換期」にあたり、全国の生協での運動の広がりを期待した。

<追記>
 今回は「虹のひろば」でかって(70年代)日生協役員で反核平和の活動を担当していた坪井俊二さんに会った。毎年、広島には来ているとのことだが、経済的にも大変なのに?と感心させられた。また、元日生協会長の竹本さんと同副会長の田辺さんとは「虹のひろば」でお会いし、翌日の式典と灯ろう流しなどをご一緒した。生協OBがこのような場で会って個人のことととあわせ世の中、人類の将来のことなどを語りあうのもいいなと思いました。
 このブログを読んだOBの方、いかがですか。

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