コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

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ビキニ死の灰犠牲者の手記(東大生協 協組ニュース 1954年8月)にちなんで

「晴3」
ビキニ死の灰犠牲者の手記(東大生協 協組ニュース 1954年8月)にちなんで
                     生きたい、死にたくない  

 
かって私がいた東大生協のニュース(1954年9月6日付 私の入協前)に第5福竜丸の船員から寄稿されたものが掲載されています。
コピーしてきました。記載されたニュースは1954年9月のものなので半世紀すぎてぼろぼろになっていました。55年ぶりに表に出す文です。私がたまたま責任者として東大生協の25年史編纂、記述にかかわっていたため手記の存在は覚えていました。重症の船員7人に当時の生協職員が支援し手記掲載と 退院時模型の福竜丸をいただいていました。
半ば報道管制に近い当時の状況の中でなぜ支援できたのか。不思議です。それは病院の医師も看護士も生協の組合員だったからです。生協職員は病院に日用品や惣菜を配達していました。彼彼女らは医師や看護士や生協の学生と一緒に死の不安と格闘中の船員を励まし 小康状態の時には 病院屋上や生協などに誘いました。それらを示す28枚の写真が当時の支援者広瀬なかさんの手元に出てきて6月27日東大生協職員のOB会20人と第5福竜丸記念資料館をたずね寄贈してきました。

「-悪夢なら早く霧散してくれー」  (寄稿文のごく1部タカハシ) 

 しかし、夢ではない。-----この病院の先生は 急性汎骨髄症なる難しい病名を私たちに告げた。自分の体の中でどんなことが起こっているのか知りたい。----・・・病気は治ったとしても、果たして妻帯は可能なのだろうか。もし結婚することができたとしても、子々孫々に及ぼす影響はないのだろうか?逃げることも隠れることもできない不安の日々が続いた。力づけてくれたものは先生方と看護婦さんたちの献身的な看護、そして送られてくる激励の便り、学生たちの心のこもった見舞いだった。―- 都築博士は欧州や米国を廻って帰られ、世界のどこにも放射能症の特効薬はない、そして患者たちに今日は無事、明日のことはなんとも申し上げられないといっておられる。暗い気持ちになる私たちの心のそこに、生きたい、死にたくない、と思う心はすべてをかなぐり捨てた願いである。 病院生活も百日を越し、ギラギラ照りつける陽光、黒いまでに緑を濃くした木々、そして、せみの鳴き声とともに聞こえてくる私たちの思いは黒潮のかなたへとぶ――」 1954年8月1日東大病院にて山本


s-東大病院 被爆者 故鈴木さんの手記 1954-12-1日ニュース 協組
この手記を書いた1ヶ月後に「犠牲者は私を最後にしてほしい」といって久保山愛吉さんが壮絶な死を迎えました。この報が世界を走り全世界的な核廃絶の運動が起こり日本でも原水爆禁止協議会ができ3000万署名を背景に世界大会が開かれ、日生協はICAに平和決議を提起することになりました。


存命の大石又七さん

山本


しかしこの手記を書いた山本さんはじめ23人の多くはその後さんざんな社会的差別や偏見のもとに辛酸をなめ、多くはがんなど肝臓障害ですでにこの世を去りました。手記寄稿者の山本さんも肝臓がん、多発性、肺ガン、結腸がんでなくでなっていると記録にあります。もう一人の寄稿者も肝臓病で既に他界しています。わたしは存命の大石又七さんにお会いし2人の文を見てもらいましたがそのとき知ったことでした。氏は私に控えめに語りました。 多くは悲惨で残酷な人生と死を強いられました。死の灰のもたらす放射能のおぞましさ。政治の冷酷さや社会的差別の諸事実、真実に胸をえぐられる思いでした。しばらくしてわたしの第5福竜丸についてのこれまでの皮相な理解も許せないものになりました。s-写真2009-7大石


放射能の被災を核軍事戦略上認めなかったアメリカとそれに追随する日本政府によって翻弄された人類の恩人としての23人の船員

放射能の被災を核戦略上認めなかったアメリカとそれに追随する日本政府によって翻弄され23人の船員を頂点に当時福竜丸とおなじ海域で被曝した船は八五六隻 二万人近い船員が検査打ち切りと日米政治決着によって無視されていったこと、打ち切りによって検査もされなかったこれらの船員から高い確率でがんが発生しているという。広島長崎の被爆者認定が 被爆者の1% に満たないのも同じ文脈の中にあります。しかし先に述べたようにビキニの尊い犠牲を機に 原水爆禁止協議会が生まれ 日生協はICAに平和決議を提起することになりました。50年を経て  核兵器廃絶が緊急性を持ってきました。かっての核兵器推進の為政者すらも不安から核兵器廃絶の緊急性を叫ぶようになりオバマ発言はそれを受けた現われといえます。 核はこんなにひどいということを(したがって核廃絶しか選択枝はないないということを)被爆国の道義として国内外に発信する1翼に協同組合がなっていくことをのぞむものです。三宅一生は被爆者であることを明らかにしオバマ大統領が広島にくるよう求めました。s-大石又七著 ビキニ事件の表と裏  表紙


年配の元協同組合関係者を含め福竜丸資料館をたずねるなどより深く知ることからはじめませんか。戦争や原爆に実感をもてない国民が多数になる中で生活と命にかかわる協同組織が覚悟を持って リーダーシップを発揮することが切に求められます。

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