コラボ・コープOB

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ドキュメンタリー映画「こつなぎ」をみて

[加藤善正]
昨夜、「岩手近現代史研究会」が主催した映画「こつなぎ」を40名ぐらいの人々と鑑賞する機会があった。この映画については「リベラル21」のブログで、7月4日に岩垂弘氏が詳しく紹介している。したがって、私は主にこの映画のすばらしさや意義について、感じてことを記し皆さんが機会を見つけて是非鑑賞されることをお勧めしたい。
 最近日本映画界では優れた「ドキュメンタリー」がつくられ人気を集めているが、この映画も大変優れたドキュメンタリー映画であり、「小繋事件」を知らない人々でも登場人物の魅力や自然の厳しさと美しさ、歴史の重さや時代の厳粛な流れ、今日へ続く社会の基本的な矛盾など、大きな感銘を与えてくれる。その最大の力は、既に半世紀(1960年代)近く前に、ドキュメンタリーカメラマンの菊地周氏、写真家の川島浩氏、ドキュメンタリー作家の篠崎五六氏の優れた3人のジャーナリスト(いずれもすでに故人)がたびたび小繋を訪れて記録した膨大なフイルム・写真・テープなどが活かされている。加えて、この映画の企画・制作に当たった菊地文代さんは周氏の夫人であり、会場での挨拶にも周氏はじめ3人のこうした記録を長い間読み返して、映画完成への熱い思いを知ることが出来た。

 また、この映画のために、2003年から、監督の中村一夫氏とカメラマンの前島典彦氏が現在の小繋を繰り返して訪れ、新たに撮影した場面と先人3人の残した膨大な作品を結び合わせて、2時間にわたるドキュメンタリー映画の秀作を7年かかって完成させたという。

 この映画に「人間」として、すばらしい魅力を持つ人々が登場する。明治・大正・昭和・平成と何代にわたって闘う村人とそのリーダー、理不尽な地主や権力と闘う人々を支援する弁護士や学生・民主団体の人々。大学教授の職を投げ打って彼らのために弁護士なられた戒能通孝氏(故人)(私は学生の頃彼の小繋事件の講演会に参加して大きな感銘を受けた)、戒能先生の早稲田大学教授時代の教え子藤本正利(故人)(彼にも学生の頃多くの本を借りたり教わったことがある)は、大学院卒業後小繋に住みつき農民とともに被告人とし闘った。彼らの人間としての尊厳と誇り・生きるための最低限の権利・先祖から受け継がれた集落の歴史や連帯などを守る「凛とした生き方」は、現在の社会で軽視されややもすると忘れられている「人間として生きる」姿を私たちに強烈に迫っている。「上向き・内向き・後ろ向き」になりがちな現在の私たちへの強烈なメッセージをこの映画は語りかける。少なくても、私には大きな勇気と励ましを与えてくれた。そして、派遣切りやリストラで苦しむ人々の姿が当時の闘う農民と重なって仕方がなかった。さらに、かつての植民地時代の貧しい人々の叫びや、今日も飢餓や病気など生きることさえ出来ない後進国の貧しい人々の闘い、決して昔の物語ではなく今日のドキュメンタリーでもあることを痛感した。

 この映画では今日の高齢化・過疎化した小繋部落や村人や支援者が植えた1万本の杉林が荒れ果てている姿を描いている。今日の荒れ果てた農山魚村、とりわけこうした地域で働く人々が生きるための収入・生産を持続することさえ出来ない政策は、結局、小繋の農民の闘いを押しつぶした権力、財界や官僚、アメリカなどの政治がもたらしていることも明らかになっている。林学を学んだ私にとって、小繋の1万本の杉林の荒れた姿こそ、現在の林業政策の象徴であることに腹が立った。下草狩りや枝打ち・間伐をしないで、植えっぱなしにしている造林地が全国のいたるところに放置されている。山口の豪雨被害もこうした荒れた山の必然の姿なのかもしれない。

この映画を観て、「国家権力」とは何か、国民の基本的人権がいかに無視されているか、現在の民主主義の限界、闘わない症候群の広がり、「新自由主義」に洗脳されている社会風潮、などなど、まだまだ「老兵は退くのみ」などと言ってはならない思いを強くした。

あらためて、「憲法を活かす」運動の必要性を痛感した夜のひと時であった。

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