コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

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上甲伊利一さんの父・上甲米太郎企画展のこと

上甲まち子公演  [斎藤嘉璋]

 上甲伊利一さんは2年前に亡くなられたが、1965年設立の東京西部市民生協の創立時からのリーダーで、東都生協の専務を務められので、生協関係者はご存じと思う。その上甲さんは生協の仕事をはなれると「朝鮮での教師時代に治安維持法でつかまり、朝鮮人労働者とともに釧路や三池の炭鉱に送られた父のことを調べている」と、私に当時くしろ市民生協に行っていた故金子君の紹介をもとめ、旧炭鉱の関係者につてを求めて調査活動をしていた。
 父米太郎は若いクリスチャンとして朝鮮の小学校教師となるが、その真面目さゆえに日本の植民地政策に批判的な教師となり、1930年、伊利一が生まれた年に逮捕、入獄。2年後出獄、その後、戦争激化のなかで朝鮮人労働者の強制連行にともない、釧路そして三池へ。 戦後、今度は労働運動のレットパージで三池を解雇され、大牟田の朝鮮人集落で紙芝居屋として生活、活動を続けた。1987年東京八王子で逝去、享年86歳。

 賀川の展示 その上甲米太郎の展示会が新宿の高麗博物館http://www.40net.jp/~kourai/2event/kourai%20204.htmlで開催中であり、6日(土曜)は伊利一さんの妹・まち子さんが「朝鮮人の子供たちとともに歩んだ父・上甲米太郎」を語るのを聞きに行った。


 劇団青年劇場の俳優である上甲まち子さんは「父のことは兄伊利一が父の教え子など朝鮮の方とともに調べており、ここでは兄が語るべきだったのだがーー」と断りながら思い出を率直に語った。私も伊利一さんを思い浮かべながら、その父のこと、その暗い時代のことを思った。 伊利一さんと付き合い始めるとすぐにまち子さんとも知り合い、今回もまち子さんから連絡を受けての参加だった。

 展示会は米太郎の日記をもとに、多くの朝鮮と日本の関係者の努力で貴重な資料、写真を分かりやすく展示している。そのなかにクリスチャン米太郎が賀川豊彦の影響を強く受け、有名な賀川服を求め着ていたとの展示もあった(ふだんは朝鮮服を愛用したという)。また、かって日生協の戦跡めぐりの一環で組合員の皆さんと一緒に行った韓国にある日本の戦跡の展示もあった。
 もし、関心があれば、この展示会は10月26日までやっているのでどうぞ。

(写真の上にマウスポインターを当ててクリックしていただくと、写真を拡大して見ることが出来ますのでお試し下さい。元に戻したい時は、上部のJPEG画タグの右の白抜き×の赤いボタンをクリックして下さい)

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