コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

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生協の反核平和活動の歴史ー断片1

「斎藤嘉璋」

<平和とよりよい生活のために>
 オバマ大統領の「核を使用した唯一の保有国として行動する道義的責任がある」としたプラハでの軍縮講演は被爆国日本の我々はじめ世界の人々に大きく歓迎された。ニューヨークで開催されていた核不拡散条約(NPT)再検討会議の準備委員会にもオバマ大統領は「アメリカはNPTの約束をはたす」とメッセージを送った。来年のNPT再検討会議は日本の反核平和運動にとって長い間の悲願だった核兵器廃絶にとって大きな意味をもってきた。
 昨年11月、東京都生協連では秋葉広島市長を呼んで「平和市長会議」の「2020年までに核兵器廃絶」構想の学習をし、今回のNPTの準備委員会にむけての署名運動に取り組んでいた。秋葉市長は同会議に出席し(その署名簿も一緒に国連に届いたと思うが)「私は被爆者が生きているうちに核兵器廃絶を達成できると考える」、「そのことこそ亡くなった被爆者に敬意を表することだ」と述べている。
 オバマ大統領の「核兵器のない世界」を追求するという姿勢を本物にするために、来年のNTP再検討会議を大きく前進させるために、生協の反核平和の取り組みがこれまで以上に広がることが期待される。
 ということで、生協の反核平和の歴史について、ちょっと翻ってみたい。

<平和とよりよい未来のために>が変身?
 日本の生協運動はようやく国民各層に広がり発展を見せ始めた運動が戦時体制のもとで壊滅的な打撃をうけたことから、戦後すぐに結成される日協同盟は「真の民主主義的恒久平和国家体制の確立と民衆生活協同組合の安定確保及び文化の向上を期し」(創立方針大綱)た。その日協同盟が解散し、1951年日本生協連が創立された時は、朝鮮戦争が勃発し警察予備隊(自衛隊の前身)が設置されるといった情勢を反映し、さらに平和を希求する立場が強調された。
 生協の平和運動の歴史について述べる場合、欠かせないのは日本生協連の創立宣言で謳われた「平和とよりよい生活のために」というスローガンである。当時、東大生協の学生理事(経営i委員会議長―専務格)だった福田繁さん(元日本生協連専務)の証言では「これは国際学生連盟のスローガンを言い換えたもの」だという。
 日本生協連創立のための準備委員会のメンバーだった福田さんは、金がなくて苦労していた設立総会の会場探しに東大経済学部の教室を確保し、創立総会決議の起草にもかかわった。そこでスローガンとして「平和とよりよき生活のために」を提案したという。元になった国際学連のスローガンは「平和とよりよき未来のために」であったが、この提案は賀川豊彦会長はじめ全員の賛成で創立宣言に採用された。

国際学連については私はほとんど知らないが、「国際学連の歌」は懐かしい。
学生の歌声に若き友よ 手をのべよ
 輝く太陽青空を 再び戦火で乱すな
 我らの友情は 原爆あるもたたれず
 闘志は火と燃え 平和のために闘わん
 団結かたく 我が行く手を守れ」
 
国際学連は1946年に結成され(本部プラハ、36カ国150万人)、48年に結成された全学連がこれに加入。この歌は朝鮮戦争反対に取り組む学生の反戦歌となり、我々は砂川闘争以降60年安保闘争で歌うこととなった。この歌には「原爆」と「平和」があり、当時の日本の運動にはぴったりで、学生だけでなく多くの若者に歌われた。
 「平和とよりよき生活のために」は、その後長い間、日本生協連だけでなく全国の生協の運動理念として、スローガンとして掲げられ、生協が取り組む反核平和の活動の支えとなった。
 ところが1950年代から60年代の大学生協の資料などを見ると、福田さんの出身の東大生協をふく め「よりよい生活と平和のために」のスローガンを使っている例が少なくない。私も大学生協の先輩から「生協だから生活が先だということになったんだ」という説明を聞いた覚えがある。(以下、次回)

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“未来”を“生活”に置き換えたスローガン?!

この話題に関連する『現代日本生協運動史』発行後に編まれた『生協運動 想いで集』への福田繁氏の寄稿文章を、本日拙ブログでもご紹介させていただいています。↓
http://jccu2010.blog130.fc2.com/blog-entry-93.html
私が注目したのは、やはり「国際学連」のスローガンとの関係です。東大の学生さんというのは、国際学連に加盟している全学連(全日本学生自治会総連合)の全国執行部の担い手でもあり、当時の東大の学生で自治会や生協の活動家の中では「国際学連」のスローガンというのはすぐにピンとくるものだったと思います。
実は3月に私たちの勉強会に福田繁氏に講演にきていただいたのですが、その時も福田さんは「学友が国際学連のスローガンの一部の言葉を差し替えたのだ」とお話されていました。それを話し合った現場にいたのだから間違いないということでした。
昔昔、元気のいい学生を自治会と生協がとりあったという話も聞いていますが、日本の社会全体が熱かった時代に青春期を過ごされた方が羨ましいです。
生協運動の諸先輩方の熱い想いはしっかり継承していきたいと思っている一人です。
(こちらからのトラックバックは、歴史断片2の記事の方につけてしまいました。ややこしくてすみませんm(_ _)m)

JCCU協同組合塾のMより | URL | 2010年07月22日(Thu)09:08 [EDIT]


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