コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

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沢内病院元院長の増田進さんを追っ掛けた話   寄稿 高木三男

 今年の2月28日のNHKで「アーカイブス 老人医療費の無料化から49年」をたまたま見ました。沢内村のことで、なんと1時間20分でした。過去2回のNHKの特集番組(とくに92年放送分が主)と直近の状況までを報告したもので、報道姿勢もしっかりしておりなかなかいい番組でした。この番組で、院長の増田進さんという方を初めて知り、人間的な魅力を感じました。この人はホンモノだという感想です。私は、『村長ありき~沢内村深沢晟雄の生涯』(新潮社、現在はれんが書房新社から復刊)を出版当時に読み、深沢、太田の2代の村長のことは知っておりましたが、増田さんはノーマークでした。このテレビは、92年当時の村長の太田さんと院長の増田さんが主役ですから、増田さんの露出度が高く、人柄、考え方がよく伝わりました。深沢村長の理念を医療現場で実現していく方というか、いや増田さんそれ自身が医療についての深い哲学、信念を持って、揺るぐことなく実践していく方という印象を持ちました。冷静沈着で、いつも笑みをたたえ、患者にやさしく接するその姿に感銘を受けました。もっとくわしく知りたいという思いを起こさせる人物です。しかし、92年当時の放送から17年経っていますからお元気でおられるのかどうか、いまどうしておられるのかわかりません。加藤善正さんのことが直ぐに頭に浮かびました。
 

 加藤さんは、映画「いのちの山河~日本の青空Ⅱ」について、この欄で数回に渡って紹介されており、「製作・上映運動を成功させる岩手の会」の事務局長として全力をあげて取り組んでおられます。1月末に鶴岡でお会いしたときにも、この映画について熱っぽく語っておりました。しかも岩手県では顔が広い加藤さんです。きっと増田さんのことも知っているのではないかと思い早速メールしました。折り返し返信があり、「増田元院長とは前から知り合いで、『岩手の会』のよびかけ人をお願いしたりして会っている。現在は沢内村に新居を構え、雫石で『緑陰診療所』を開設し、保険外診療をしている」とのこと。そして、3月7日に、「岩手の会」が主催する「沢内村の生命行政から学ぶ」というシンポジウムの基調講演を増田先生にお願いしているというのです。これは耳寄りな情報で、増田さんご本人に会える、お話を聞けるということで、「追っ掛け」よろしく盛岡まで出かけました。
 当日の盛岡は風が強く寒い日でしたが、会場いっぱいの参加者で、後ろの方は机なしの椅子だけになりました。増田さんは年令を感じさせない若々しさで、元気そのものでした。後期高齢者の仲間入りをしたということなので年令は75才。17年前のテレビのときと同じ白髪で、背筋が伸び、身のこなしはまったく年寄りじみたところがありません。増田さんは教授の命令で2年ぐらいの積りで29才のときに沢内病院にやってきたのですが、何と36年間も勤めることになりました。それは赴任当日の深沢村長との次のようなやり取りから始まりました。深沢村長はいきなり「医者は給料が高いね」と切り出します。そして、「給料は高いと思うが、村にとって必要なのですから払いますよ。しかしサラリーマン根性を出したら承知しません」と言われたそうです。増田さんは、これが大学に三拝九拝して派遣を要請してきた村長の言葉かとびっくりします。自分は招かれてきた客のつもりでいたからです。増田さんはムッとして「医療は人助けです。サラリーマン根性でできるわけがないでしょう」と抗弁します。こうして二人の出会いが始まり、その後深沢村長の理念と実践に共感した増田さんは住民本位を貫く医師として沢内村に根を張ることになります。増田さんは『沢内村奮戦記』(あけび書房)のなかで「深沢村長の、村の人たちの生命を守ろうとするあの情熱は、私のような極く平凡な医師をも、地域の人たちの健康を守る活動に走らせた」と書いています。また増田さんは、深沢村長の対話の政治から学び、対話を医療活動の基本方針に据えていきます。ここに沢内村、沢内病院の真髄があります。同書で、沢内病院に視察に来た社会保障審議会のある先生が、村の老人が、無料バスに乗ってきて、薬もなし、注射もなしで、医師と話を交わし、弁当を食べて帰ってゆく光景を見て、「これは医療ではなく、福祉ですね」と言った件がありますが、そのある先生とは大河内一男であることを明かし、「注射や薬を使わなくとも患者が元気になるのであれば、これは最高の医療だ」と反論します。増田さんは、92年のNHKテレビのなかでも、病院経営をめぐる村長(このときは太田祖電氏)との討論において、他の病院がやっているように、患者を不要な薬漬け、検査漬けにすれば経営は改善する、しかしそれは沢内病院の取るべき道ではないと語っています。増田さんの医療論を紹介すれば限がないのでここまでとします。
 さて、いま医療の崩壊が問題となっておりますが、岩手県では、医師不足への対応として、1つの県立病院と5つの地域診療センターから入院ベッドを全廃することとし、その関連条例や予算案の採決の県議会がこの集会の前日の3月6日におこなわれ、一旦否決されるのですが、県知事が議場で土下座をして「再議」を懇願するという異例の展開となっていました。私も盛岡に向かう朝の新聞で知事が土下座している写真を見ましたが、当日のシンポジウムでのパネラーのお一人が入院ベッド全廃反対の住民運動の代表者で、この県議会が当日の午前4時までかかったこと、最後まで見届けてから会場に来たことを報告されていました。そして、入院ベッドがなくなる地域の住民の不安と怒りを訴えていました。沢内病院も、県から診療所化するよう勧告されています。
 シンポ終了後、加藤さんに増田さんを紹介されました。「テレビをみて先生に感動をして盛岡まで追っ掛けてきました」と自己紹介をし、立ち話のわずかな時間でしたがお話ができました。地域医療に生涯をかけたすばらしい方と相対して話ができたということはなんとも幸せな気持ちでした。
 加藤さんのお誘いで、高速バスの始発駅の近くの寿司屋で、軽くいっぱいの積りが、だいぶご馳走になり、帰りのバスではすぐに眠ってしまい、目が覚めたら仙台着ということで、新幹線よりも早く着いたような感じでした。
(2009/04/20 高木三男)

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| | 2016年07月04日(Mon)09:33 [EDIT]


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