コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

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「異端派生協の逆襲」を読んで(その3)

[大友弘巳]
班(グループ)について~組合員同士の助け合いは不要か?
 (その2)から随分間が空いてしまいましたが、班・共同購入を全面的に否定する下山さんの論旨についての疑問が残っているのに、何も言わずにいると是認しているようで気にかかっていますので、やはり私見を述べておきたいと思います。
 氏は、「(90年代に入って)共同購入という事業形態は限界に近づいて」いたのも関らず、「成功があまりにも大きく、基礎組織としての班があまりにも有効だったので、それを崩すような、あるいは壊すような供給形態を採ることは、生協の運動も事業も否定するものだとして見向きもされなかった」、と述べ、さらに、多くの生協が共同購入にこだわって個配を否定したのは班組織に細胞(共産党の昔の基礎組織名)に類似しているという幻想をもってしがみついていたからだ、としています。
 今は共産党でも使われていない「細胞」という昔の組織名を持ち出してまで、「班」に対して古めかしい特殊なものというイメージを被せ、過去の遺物と片付けてしまおうとするのはなぜなのか、そこまで班を否定する意図が理解できませんし、妥当なこととは到底思えません。

 個配で新たな組合員が沢山増えたり、班での共同荷受をやめて個配利用に切り替えた組合員が多くいたことにより、組合員全員が班に所属していたことを前提に班を基礎組織としていたことは改めなければならなくなったことは確かですし、「班」という呼称を「グループ」に変更したりしていることも止むを得ないとは思いますが、それでも班(又はグループ)は、今でも二つの点で大事な役割を果たしていると思っています。

 班の役割の一つは、毎週1回、荷受け・荷分けのために集まることを通して、近隣の組合員同士のお付き合い、交流、助け合いの場となっていることです。永年にわたり、挨拶を交わしたり、おしゃべりをしたり、留守にしている人の分を一時預かったりなどを繰り返してきた組合員同士にとって、大事なご近所付き合いの一つであり、生活の一部となっているわけで、それは生協への理解を深めていただく上でもプラスになっているはずと思います。
 全国の地域生協を事業連合単位にグループ分けして、無店舗供給事業の08年度の概況を集計している日本生協連の資料によると、 無店舗事業全体のうちの個配の構成比の前年に比べての高まり方が、2~3年前に比べると随分ゆるやかになっています。
 東海や九州は1%台ですし、その他のところも2~3%台がほとんどとなっています。
 08年度は、ギョーザ事故があったことにより、07年度までに比べて個配の新規組合員の増加が少なかったことがその原因になっているという要素もあるようですが、班の組合員の個配への切り替えが少なかったことも要因となっているではないかと思われます。
 班での荷受が困難になっていたところから順次個配への切り替えが進んで、最初は急速に進んだのが、最近は一段落してきて、残ったところは、活力のある班、利用人数も比較的多い班、高齢化が進んで在宅組合員が多い班など、班での荷受が定着していて、個配に切り替えることを必要としていないという状況にあると考えられます。
 以前に比べて生協の班への援助や対応が弱まっている中でも、組合員が班での荷受で頑張っていることは貴重なことであり、もっと班を尊重し、むしろ、生協として、再度、援助や対応を強めるように努力することが大事ではないかと思っています。

 班が果たしているもう一つの役割は、コストの節約です。個配には配達手数料又はカタログ配布料などの形でほとんどの生協が1回200円前後の費用を組合員に負担してもらっています。
 このコストは当初はもっと高く設定していたのを各生協とも下げてきたわけで、班配達の場合とのコストとの差の金額として正確なものかどうかは議論の余地があるかもしれませんが、コストに差があることは確かなはずです。
 手数料を無料にしたといっている生協もありますが、それはその分のコストがかからなくなっているわけではなく、一時的に生協の経営に無理をかけることで凌ぐとしても、長い目では商品代金の中にそのコストの分を上乗せして価格を設定することにせざるを得ないわけで、コストを価格に転嫁するだけに過ぎないと考えます。
 70年代初頭、各地で共同購入が始まったころは、班を作って組合員が注文書の回覧や集計、代金の集計、生協への注文、荷受と荷分けなどを分担して協力共同し合うことなしには、事業として組み立てることもできなかったわけで、班での作業は必要不可欠でした。
同時に、初期の共同購入では、新班作りや加入も多かった反面、班での組合員の作業負担の重さかから、班の解散や脱退も多く、組織としても事業としても安定的持続性という面では弱点があったことが悩みの種でした。
 そうした中で70年代末から、誰でも参加しやすい利用しやすい共同購入にしようと、組合員の作業分担を減らせるようにさまざまなシステムを順次構築し、最後に班に残った作業が荷受と荷分けという段階に到達したのが80年代半ばのことでした。
当然のことですが、このように、利用しやすい便利な共同購入へと改革を進めてきた過程は、同時に班での作業負担をコストに置き換えていくことでもありました。
70年代GP率15%前後でスタートしたのが、80年代半ばにはGP率は20%を少し超えるところまで高まっていたのでした。

 80年代後半に入ると、班人数の減少と、一人当たり利用高の低下が同時に表れ、それが経費率の上昇につながり、経営的上の大きな問題となってきました。
 90年代に入って、パートタイマーに配達もやってもらうことにしたことによる人件費率引き下げや、事業連合を結成して仕入れ条件を改善することでGP率のアップを図ることなどで経営改善を進めましたが、多くの生協ではGP率が25%前後、経費率が20%を超えるところまで高まっていました。
そうした状況の下で個配の検討が始まったわけで、個配への期待に積極的に応えるためには、当然、そのサービスに見合ったコストを別途手数料として負担していただくことが必要でした。
 今では、 個配の主力はパートタイマーや提携業者という体制の下で、多くの生協の無店舗事業のGP率は28%前後(会員生協と事業連合の連結決算ベースで)に達しており、個配手数料1回200円前後という額は平均的利用高対比で3%前後に相当しますので、合わせると組合員は30%を超える費用+マージンを負担することになってきています。
 この経営構造・体質で組合員の暮らしを守ることがどこまでできるのか、暮らしが厳しい層の人々に本当にお役に立てるのか、支持を広げることができるのかを問われることに直面していると考えなければならないのが現状ではないでしょうか。
 個配手数料の3%前後というのは大きいわけで、班での荷受・荷分けによってこれを節減できているとも言え、 個配に全面的に切り替えようとすることは、このコスト節約を止めてもらうことでもあるということを真摯に見詰めるべきと思います。

 個配を希望する組合員には個配で積極的に応えると共に、班での荷受を希望する組合員には班配達(共同購入)を積極的に進めていくことが必要だと思いますし、少なくとも個配を押し付けることなく、班配でも個配でも選択できるようにすることが生協の対応として必要なのではないかと考えます。

 班の組合員同士は、思想信条は違うことが当たり前で、班は「より良い品をより安く」手に入れたいという願いの一致のもと近隣同士で協力し合おうとする場(つながり)ですから、思想信条の一致をもとに結束する政党の組織と類似の組織と考えることはありえないことです。
 だから氏も、「(生協運動の指導者が)両組織を同一視していた」とは言わず、「幻想を持ってしがみついていた」という表現を用いているのでしょうが、そういう言い方は、班を大切に考えている生協幹部に対してばかりではなく、現在も班(またはグループ)での荷分けを続けている多くの組合員に対しても大変失礼なことと感じます。
 下山さんが、著書の最後のほうで述べているように、“2000万人を超えている全国の組合員の多様性を認め合う連帯”を本当に真剣に考えておられるのなら、このような失礼な言い方は撤回されてしかるべきではないでしょうか。

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