コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

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核兵器廃絶「平和と文化のつどい」に関わって

[晴3]
環境パートナーシプ機関誌に書いた原稿ですが  核廃絶の発展を願って載せます 高橋

核兵器廃絶「平和と文化のつどい」に関わって   

暮れも押し迫った12月21日「核兵器廃絶平和都市宣言記念25周年“平和と文化のつどい”」が四街道文化センターホールを舞台に行われた。入場者約1200名がホールを埋めた。主催は四街道核兵器廃絶平和都市宣言の精神を継承する市民「実行委員会」で自然、福祉、教育、文化、社会奉仕などに係わる市内83団体が後援団体に名を連ね、四街道市と教育委員会が共催した。このつどいの運営は企画起案、出演者等すべてが市民参加で組み立てられたことに特徴があり、8万人口の小都市にとっては画期的なことであった。今後の環境活動や街づくり活動にとっても参考になるものがあり取り上げることにした。

 従来、自然の活動であれ、教育や子どもの活動であれ、市民の中に広い関心があるものの、単独で広範な市民知らせ あるいは一堂に集める企画を組むことは困難があり、加えて“平和の活動”については、何か偏った少数の人たちが行っているといったイメージが勝手に作られていたように見える。しかし今回はそれを見事に打ち破るものであった。

 私は実行委員会事務局の責任者として5ヶ月間準備のため他の実行委員と共に市内を駆け回ったが、その過程は実に面白いものであった。

 まず何人かで市広報で呼びかけて、始まった実行委員会は回を重ねるごとに新しい委員が増え、13回目の最終実行委員会には31名になっていた。実行委員の多くはここではじめて知り合いになった。それぞれの実行委員はこれまでの自分の活動や生活で知り合いや繋がりを多く持つ人々であった事も幸いした。想いを「核兵器廃絶」「戦争反対」に集約し、その趣旨で“後援団体”を募ることにした。

7月に9団体だったが、8月に19団体、以後月をかえるごとに34,63、そして最終的には83団体になり、2度に亘る後援団体交流会が開かれた。31団体が当日展示参加することになった。こうした中で全市5万枚のチラシが手配りされた。

仲間が増えてくると隠れていた知恵や想いが湧出し重なりあって思わぬ企画が創られるものである。「核」となる「記念講演」は視覚障害者の1実行委員が日頃耳を澄ます“ラジオ”から琴線に触れる演者を提案した。アーサービナードであった。

盲学校に関わる実行委員からは視覚障害者の演ずる「タイコ」の演奏が、少年少女合唱団からは、幼少の子どもの「合唱」が加わった。被爆者であることを79歳まで明かさなかった市内在住者が、始めて公表する機会を「つどい」で持つことになった。

 千葉市で家を焼かれ四街道に疎開した経験を持つ女優の市原悦子さんが、当時の幼なじみ関係者の努力で戦争童話の朗読をして参加することになった。「この鉛筆で戦争はイヤだと書こう」という「美空ひばり」がヒロシマで歌った曲を四街道出身のオペラ歌手が歌うことになった。

後援団体の一つ小中学校校長会の協力によって17小中学校の生徒に 四街道が戦争に深く係わっていた事実等を記すチラシを、実行委員で先生経験者だった人たちが作成してクラス別に8千枚手渡しされた。オープニングには中学校生徒の吹奏楽団60人がビリーブなどを演奏することになった。

市及び教育委員会がついに申し入れから数ヶ月して共催団体になった。市のインフラが“つどい”での準備に大きな役割を発揮することになった。被爆を潜り抜けた「アオギリ二世苗木」が「広島市長」のメッセージとともに広島から送られ、市役所玄関脇に市長列席のもとに事前に植樹された。当日 そのメッセージは 知事、長崎市長のメッセージと共に中学生によって読み上げられた。また市内在住の歴史家が「四街道が戦争に深く係わっていたことを語り、その体験者を交えた四街道を知る、プレ企画も行われた。 さらに、当日千葉被爆者友愛会の全面協力で「原爆と人間展」を開く事が出来た。以上の諸企画は当日寄せられた300通の感想文を見る限り見事に行われた事を示しており 核兵器廃絶 戦争反対の問いかけが果たせたたことを示すものとなった。(つづく)
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 高橋 晴雄
 Tel&Fax 043-432-6231
 携帯  090-3082-5322
 e-mail dogcat@dp.u-netsurf.ne.jp

 あなたがいて 私がいる
 http://ha-rusan.cocolog-nifty.com/blog/

 昔があって今が 未来があって今が
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さてこの「つどい」を作ってきた人たちは  ほかでもない日頃 歌や書道やお芝居や花作りに打ち込む方々であり  メダカやホタルを追い自然を観賞し その保全などに熱心な市民であり、あるいは 介護のヘルパーさんや福祉のボランテアであり、子どもの森遊びや放課後の子どもの居場所づくりに情熱を傾ける市民であったり、年金者の生活擁護に  在日外国人との国際交流に、または、さらには障害者の人権に取り組む市民など多岐にわたっている。

そこでそんな方が何故そんなに一生懸命になるのか 突き詰めていくと大事なことが浮かび上がってくる。自然や環境に熱心な方は「生き物」の価値に、福祉や医療の方は文字通り「いのち」に向き合っている。音楽や芝居に熱心な方は「よりよく生きる」事を  教育の方は「子どもの笑顔―命の輝き」を喜びに向き合っている。それぞれを貫く本質は「生命への慈しみ」であるといって良いのではないか。今回のつどいを支えた根っこは実にこれではなかったか。核兵器は生命の対極の破壊であり、被爆者がそれを身をもって示しているが「命へ」「命の尊厳に」方向ずけられる問いかけがある限り どんな立場の人も垣根を越えて 一緒することが出来るし一歩を踏み出すことが出来る。それを示唆した「つどい」であったようにおもう。
もちろん社会の現実は人々の間、 各団体間に垣根があり 環境、生活、福祉医療、教育、自然、文化の相互関係で市民生活が成り立っているにもかかわらずそれが見えないまま並列的にバラバラに存在しているかに見える。加えて金融崩壊につながった新自由主義は 社会的きづなを裁ち切り格差排除 雇用不安をもたらした。100年に1度といわれる混迷を深めている。小手先ではない発想と行動の転換が求められるが それは自然に潜む生命、地球的生命を感じている環境活動に熱心な人たちか最もよくする事ではなかろうか。人々をわかつ垣根の上に「自然 生命」に関わる体験と対話の場をつくる役割であろう。FH010022s-.jpg




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