コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

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「生協の平和活動の歴史」2

斎藤 嘉璋
「協同組合塾」での話の最後に「最近気になること」として、安倍総理の「侵略戦争」に関する姿勢、橋下維新代表で問題になっている「従軍慰安婦問題」、憲法問題などについて触れた。麻生副総理のナチスに習いたいという発言をふくめ、政治家の歴史認識には恐ろしさを感じる。しかし、諸外国から見ればそんな政治家に政治を任している日本国民の歴史認識に問題があることになる。今回「平和活動の歴史」を語ったが、「戦争の歴史」をもっと語り合う必要があるのでは感じています。

「協同組合塾」講演要旨
「生協の平和活動の歴史」2

3、生協の反核・平和活動の歴史
            別紙「生協と平和歴史年表」、史料「反核・平和の活動」参照--不掲載。
1) 日本生協連中心の「反戦・平和」の取り組み(1945~1976年)
日協同盟は1949年に「平和擁護300万署名」に取り組みました。日本生協連は54年のビキニ水爆実験のあとICAのパリ大会に代表を送り原水爆禁止の決議を提起し、57年のストックホルム大会でも同様のアピールをしました。
60年の安保条約の改定問題ではそれが戦争につながると反対し、65年にはベトナム戦争反対の決議をしました。会員生協も日本生協連と同様に反戦・平和あるいは原水爆禁止で組合員に訴える等の取り組みを続けました。しかし、60年安保闘争を除けば他団体と共同して大衆的な行動をとるといったことはあまりしませんでした。原水禁運動も1963年に原水協から社会党・総評が脱退するなど盛り上がりを欠きました。

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「生協の平和活動の歴史」1

斎藤 嘉璋
ヒロシマ、ナガサキでの平和式典と原水爆禁止世界大会が間もなく開催されます。かっては10年あまり続けて参加していたのですが、3年前に久しぶりに参加してからは現地に行っていません。せめて生協の若い人達にその歴史を伝えるくらいのことはしたいと思っていたところ、7月にその機会を得ました。その折(日本生協連の「協同組合塾」での勉強会)の報告要旨をまとめましたので掲載します。

協同組合塾での講演要旨
                         2013年7月 斎藤 嘉璋
生協の平和活動の歴史

1、“平和“は日本の生協運動の理念
 1945年、終戦直後の11月に日本生協連の前身組織・日本協同組合同盟(日協同盟)が創立されます。創立総会で賀川豊彦はじめ戦前からの協同組合のリーダーたちは300万人をこえる犠牲者と国土の荒廃をもたらし、生協運動も壊滅させた大戦からの復興と再生への思いをこめて「本同盟は協同組合の普及発展を図り民衆生活の維持安定及文化の向上を期し以て民主主義的平和国家を確立し更に協同組合の国際的結合に依る世界平和の実現を目的とする」(規約第4条)ことをうたいます。
日協同盟は綱領や運動方針大綱で民主主義と平和な日本の建設、そのための協同組合運動の発展、統一と団結の大切さをうたいました。
 1951年、日協同盟は生協法に基づく生協の連合会として日本生活協同組合連合会(日本生協連)を創立、活動を継承します。日本生協連は綱領で「世界平和の確立」、創立宣言で「平和と、より良き生活こそ生活協同組合の理想であり」「最大の使命」であるとうたい、「平和宣言」を採択します。日協同盟の反戦・平和の理念を引き継いだものですが、ちょうど朝鮮戦争がはじまり、日本がその前線基地となるといった切迫した情勢がありました。
 創立宣言で使われた“平和とより良き生活のために”は、その後長らく日本生協連はじ
め全国の生協運動のスローガンとして使われます。そのスローガンは国際学連のスロー
ガン“平和とより良い未来のために”から転用して東大生協で初めて使われました。東大
生協の学生理事で日本生協連設立準備委員であった福田繁さん(のち日本生協連専務理事)
が提案したものですが、発祥の地である東大生協はじめ大学生協では「生協は生活が先の
方がいい」と「より良き生活と平和のために」をスローガンにしていました。私の学生の
頃の早大生協も「生活―」でしたが、日本生協連に就職すると「平和が先だから」と注意
されました。賀川さんや中林さんの強い想いもあったと思います。

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