コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

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「東日本大震災」による被災状況と取り組み報告

[加藤善正]
今度の震災にあたり、皆様から多くのご支援やお見舞い、励ましの言葉を賜り有り難う御座いました。日本生協連からの依頼もあり、被災状況や復興へ向けての取り組みの報告書をまとめました。それを添付的に記事にしますのでご覧ください。

「東日本大震災」による被災状況と復興へ向けての取り組み(報告書)
(緊急支援に対するお礼と今後のご支援のお願いを兼ねて)

4月30日  岩手県生協連合会 会長理事 加藤善正

1. はじめに
①  3月11日の「東日本大震災」は岩手県では地震による直接的な被害はあまり大きくなく、三陸海岸の6市町村を中心とした未曾有の「大津波」による被災が中心であった。この点では宮城県は地震と津波、福島県は津波と原発および地震の被災が中心であり、三県の被災状況には相違がある。
 いわて生協は14時46分の地震発生直後15時20分には「災害対策本部」を立ち上げ、マニュアルに基づく対策に入り、県連も会員生協の被害などの状況調査を開始しつつ、いわて生協の対策本部に参加して日本生協連や岩手県との窓口機能を果たした。

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東日本大震災の復興とは、都市から地方への第3次列島改造を!

[加藤善正]
 東日本大震災・津波・原発事故から50日を数え、被災地にも例年より遅く桜が咲きましたが、依然、避難所暮らしの被災者が願う「仮設住宅」の建設すら遅々として進んでいない状況です。
 何度か被災地へ出かける中で、この地域の復興など出来るのか、どんな暮らしや地域社会がつくられるのか、まったく想像ができません。
 経産省が2005年12月に、「地域経済研究会」(学者・研究者・当時の岩手県知事・増田寛也氏など15名の委員を委嘱した)のレポート、「人口減少下における地域経営~2030年の地域経済のシュミレーション」を発表しましたが、その内容を見ると今回の被災地は、震災が無くても人口減や産業活動、地方財政の疲弊により崩壊的様相に陥ることをシュミレーションしています。
 例えば、釜石市は人口が30・6%、域内総生産は25・7%減少するという。以下同じように、宮古市は24・9%、16・5%、気仙沼市は24・9%、14・0%、石巻市は18・2%、6・9%と激しく減少する見通しです。各自治体財政も人口減と産業衰退により益々逼迫し、住民サービスの大幅後退、公共インフラの遊休化その維持・補修コストの継続的発生が更に財政を圧迫するという。

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追悼    陸前高田 震災犠牲者の方々の御霊に  20日、26日

[晴3]

 20日 早朝 8時に 出会った事を語りたい。
 場所は千葉市斎場。千葉市緑区平山町。
 この日 36人の方が荼毘にふされた。陸前高田の震災犠牲者であった。
 私は たまたま知りあいからの知らせでたち会わせていただいた。

         その日、朝の荼毘
 火葬入り口回廊に横付けの大きな車2台が遠くに見えた。
 その車からご遺体の御棺が一体 一体と降ろされ台車に載せられて廊下を横切り、私たちの視界から消えていく。 
 ご遺体が廊下に見えるたびに10人に満たない人たちがご遺体にむかって手を合わせた。そこは立ち入り禁止の簡易柵の外側であった。ご遺体から60~70mもはなれていただろうか。花が3束手向けのために用意されていた。

 前に荼毘に付されていたお骨がおなじ台車で 再び車の中に安置された。終了を待って車2台が私たちの横をとおって視界から遠ざかっていった。後を岩手ナンバーの乗用車1台、目礼してすぎていった。そのとき斎場から離れたところには自発的に立ち会った10人の和尚さんの読経が静かに流れていた。 早く岩手にかえってなつかしい陸前高田にめぐり合ってほしい、そんな思いで手を合わせた。御骨は400キロ以上離れた陸前高田にむかっていった。

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震災に思う

[吉永紀明]
 東日本大震災に対し、生協OBの皆さんが募金活動や炊き出し、被災地でのボランティア活動などで頑張って
おられることに勇気をもらっています。
 私も募金活動のほかに、先日学校の始業式に間に合わせるために、学用品のセット作業をしました。
 日本ユニセフ協会の依頼で、岩手県の小学1年生から中学3年生までの13000人分の学用品を1人分づつセットする作業でした。
 岡山ユニセフ協会のメンバーを中心に、広島、香川、愛媛のユニセフの仲間、延べ107人で4月7日から13日までかかりました。これには文房具メーカーとキョクトウ・アソシエイツが協力してくれました。「ノート、鉛筆、鉛筆削り、定規、分度器、色鉛筆」などを学年別にセットしました。
 ランドセルをはじめ、学用品を津波で流された子どもたちの、学用品を受け取ったときの笑顔を思い浮かべながら頑張りました。生後5ヶ月の赤ちゃんを背負ったお母さんも参加してくれました。
 現地に行ってボランティアをしたいと思っても、今の体力ではかえって足手まといになると思い、復興までには長い時間がかかると思うので、その時々にあった支援活動を行っていけたらと思っています。

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皆さんのメッセージを拝見して、大震災に思うこと

[田辺準也]

 地震発生直後の、加藤善正さんの悲鳴のような状況報告を受けながら、加藤さんはじめ、現地の皆さんへお見舞いの一言さえさし上げないまま一ヶ月余、今日を迎えてしまいました。何をどうしていいのか全く分からなかった、では弁解にもなりません。今も心境全く変わりませんが、ともかく、このブログをお借りして、一言お見舞いの気持ちと私の思いを伝えさせていただきます。
 加藤さん、その後どのように対処されておられますか。想像を絶する奮闘をされていることと思いますが、体調にはくれぐれもお気をつけください。
 一昨日、高橋晴雄さんの現地へ行かれての、心のこもった感想読ませていただきました。加藤さんの生々しい報告、みやぎからの報告と合わせて、生協運動の仲間ならではの思いを持って読ませていただきました。
 然し、どんなに具体的な情報に接しても、想像をたくましくしても、現地の実情、被災者の皆さんの気持ち、決して本当には理解出来ないと思います。高橋さんの最初の感想にも、斉藤さん、大友さん、吉永さんのメッセージもそんな思い,心情が吐露されていたと思います。ただ、皆さんが私と違うのは、街頭募金など、即行動を起されていることです。学ばなければと思いつつ、何もしていない、出来ない自分を情けなく思います。阪神淡路大震災に際しても、結局何も役立つこと出来ずなかった,ことが思い起されます。しかも、今回、あの時以上に何も出来そうにない、なんとも歯がゆいことです。
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大震災による二つの重大事故に思う

[大友弘巳]

1、 福島第一原発の重大事故
<事故の収束の工程表を見て> 
福島第一原発の重大事故が発生から5週間余が過ぎた4月17日、東京電力は事故収束に向けての工程表を発表しました。ステップ1に3ヵ月、ステップ2に3~6ヵ月、合計6~9ヵ月かかるとされており、やはり最低でもそのくらいはかかるのかと思うと共に、ぜひそのくらいの期間内に収束してほしいとも切に願うものですが、大きな余震が続いているもとで本当にその通りできるのだろうかとの疑問は打ち消せません。
 既に、4月4日には放射能汚染水を大量に海へ放出して世界の人々から批判を受け、12日にはついに、事故評価尺度をチェルノブイリ原発事故と同じ「レベル7」へと引き上げることを発表するに至りました。
 原発から30km以上離れている飯舘村などでも、放射能汚染が高濃度化しているため避難しなければならなくなってきており、収束の見通しが立つまでの間に、今後もさらに広がっていくことが懸念されます。
 夏場の電力不足が予測されていること、自粛ムードが日本経済の不況・低迷をさらに深めるといわれていること、被災地の復興のための財源として消費税率アップが検討されていること、食料品の放射能汚染や風評被害にどう対処すればよいか、などなど、国民一人ひとりが情報を正確に理解して、的確に判断し、行動していくことが大事になっていることを感じますが、そのことの難しさも痛感しています。
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追悼  2人称の死

「晴3」
追悼 二人称の死



この世で二人称の死ほどつらいものは無い。

この春 どんないに多くの”貴方”が奪われたことか。東北の太平洋ぞい200キロにわたる海岸では人々の生死は紙一重だった。おばあちゃんと孫が、子供と母親が、夫と妻が、先生と子供が、兄弟姉妹が、お友達同士が、隣近所同士が 仕事仲間が、一瞬で生死を分けた。


3週間後、私は海岸近くの瓦礫の中に立った。ここで、まさにここで、子供の名を叫びながら波に流されていった親、しっかり赤ちゃんを抱いて消えていった親子、妻と夫が引き裂かれていったであろうこの地。想像をはるかにこえ、人間の言葉では表現できない。。どんなに無念だっただろうか。どんなに悔しかっただろうか。もしかして最後に許されるその想いすら奪ってしまったのではないか。




 
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生協OB達のささやかな震災支援活動

募金活動
斎藤嘉璋
 東日本大震災の未曽有の被害は福島原発の放射能問題など、今だに現地はもちろん全国の皆さんに苦難と不安を与えています。阪神淡路震災では数日後には現地に行き全国の生協の仲間と支援に携わったものとして「何かやれないか」と考えました。しかし、現地の生協はじめ日生協などには具体的に役立つ提案も力もなく電話することも迷惑をかけるだけと思いとどまり、同じ思いのOB仲間に生協のホームページやメール連絡で知った情報を交換するといったことだけで、テレビの情報にイライラ落ち着かない日々でした。
 そんななかで埼玉の生協OB仲間が被災者支援の活動に取り組み始めたことを知り、東京都生協連のコープボランティアネットワークの皆さんが3月末から始めたJR中野駅での支援募金と応援メッセージの活動に協力することにしました。東協連友の会の会長として独断でしたが、会員の皆さんに協力を呼びかけ、そのような行動が無理な方には切手による募金協力をお願いしまた。
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「こうべからのメッセージ」に学ぶ 

「寄稿」

[西村一郎]

 
  災害時の生協の役割
 2011年3月11日午後2時46分に、東北地方の太平洋沖でマグニチュード9.0という巨大な地震が発生した。いわゆる東日本大震災である。
 茨城県南部の我が家では、震度6弱で初体験の激しい揺れとなった。真っすぐに立っていることができず、本棚が倒れ食器が飛び散る中で心底恐怖を感じた。家族に怪我はなく家屋の破損もなかったが、近所では屋根の瓦がはがれ、塀の倒れた家が何軒かあった。地域ではすぐに停電となったので、夜はローソクのもとでラジオから地震情報を集めた。やっと翌朝になって電気が通じ、テレビの画面を見て息を飲んだ。NHKだけでなく全てのテレビ局は一般の放送を中止し、現地の生々しい被災状況を放映していた。
 強い地震による家屋や山の崩壊だけでなく、10mをこえる高さにもなったという巨大な津波によって、全滅した集落がいくつもある。襲い掛かる津波に、家屋や車が次々と押し流され、さらには逃げ惑う人々の映像の前で、ただ呆然と見つめるだけであった。
 日を追うに連れて死者と行方不明者の数が増え、宮城県だけでその数は万単位になるとのことだから、いったいどれくらいの被害なのだろうか。全壊した役場もいくつかあるそうなので、正確な被害状況を把握するにはかなりの時間を要することになりそうだ。さらには強い余震が続き、他方で福島原発の拡大する事故は新たな不安を投げかけている。
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みやぎ生協大震災対策本部ニュース   No19のご紹介

[管理人 少老朋友]

みやぎ生協大震災対策本部ニュースNo19の抜粋をご紹介します。
対策本部ニュースとしてはこれが最終号となり、今後は随時「対策ニュース」が発行されるそうです。
店舗は随分復旧が進んだとのことですが、石巻市内の店舗がまだ大変な状況のようです。

みやぎ生協大震災対策本部ニュース№192011年4月1日 災害対策本部発行

職員の皆さんへ

アクアクララみやぎ生協は、地震の翌朝に避難所へ約800本のボトル水をお届けしました。工場は、断水により製造が出来ないことから、山形から毎日運ぶことで、震災後も休業することなくボトル水を届け続けました。
水事業の職員の中には帰る自宅が無い中でも「命の水を届けるんだ」という強い使命感を持って勤務し、そんな積み重ねがあって、たくさんの利用者から感謝の声をいただくことができています。未だに水道が出ない地域も多数あります。今後も一軒一軒大切に「命の水」を届けることで、今できる安心を精一杯届けています。少しずつですが、確実に前進していることが実感できる毎日に感謝し、ともに頑張りましょう
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みやぎ生協震災対策本部ニュース    第18号のご紹介

[管理人 少老朋友]

みやぎ生協震災対策本部ニュースNo18の抜粋をご紹介します。
店舗の復旧が進んできています。
組合員(メンバー)さんからの感謝のメッセージが増えていることがうかがえます。
いわてやふくしま、いばらきの生協への支援活動情報については、日本生協連 震災支援活動ブログをご覧ください。

みやぎ生協大震災対策本部ニュース№18 2011年3月31日災害対策本部発行

職員の皆さんへ
今回の大震災では、安否確認が必要な「こ~ぷくらしの助け合いの会」の会員や「こ~ぷふれあい便」メンバーへの電話が通じませんでした。そんな焦燥感が募る中、各地域では、くらしの助け合いの会コーディネーターや、活動会員、ふれあい便スタッフが、たくさんの方々の安否確認に動いていました。
この訪問活動から、ふれあい便ご利用の高齢の母親と障がいを持った息子さん親子が、ライフラインが止まった自宅で過ごされていることが分かり、水と当面の食料を支援することができました。また、無事は確認できたものの自宅が流された方もいる地域代表理事やエリアリーダーも、店舗応援や職員への炊き出し、地域の方が避難してきた集会室での支援活動など、各地域で職員・理事・メンバーみんなが奮闘しています!
この震災からの復興に立ち向っている我々生協関係者は、みやぎ生協のスローガン「一人は万人のために、万人は一人のために」を、まさに実践しています。これからも試練が続きますが、へこたれることなく全員の力を合わせて前進していきましょう。

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