コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

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田母神論文問題に思う

 [少老朋友]
 前航空自衛隊幕僚長田母神氏が、航空自衛隊の現役トップの立場にありながら応募した懸賞論文を巡って、さまざまな問題が明らかになっています。
 この機会に、私たち国民一人ひとりがよく考え、歴史も学びなおし、あらためて自らの見識を確たるものにすることが大事なのではないかと痛感しています。
 
 新聞等でも概要は紹介されていますが、原文を読んでみる必要があると考え、ブログで探してみました。
  (注) インターネットの検索欄で、「田母神論文 日本は侵略国家であったのか」と入力して検索すると、論文全文を掲載しているサイトが多数紹介されます。
  A4判5ページ分ほどの長さの文章ですが、紹介されている通りの内容で、戦前の日本軍がやったことを正当化する視点が貫かれており、自分の体験や自分なりにこれまで学んできた歴史認識とは全く違うものです。
 多数の歴史学者から、歴史の事実に反していると厳しい批判が寄せられていますが、戦前を経験していない世代には実感として理解できないことがあるものと考えられ、私たち高齢者が子や孫に自らの経験を語り伝えていくことが大事になっていると思います。

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続き   山口剛彦さんを悼む  殺害の報に接して

[晴3]
山口さん逝去に際し、共済認可へのあの素早い決断に思いをはせて思ったこと。
続き

追記 
 当時の大学生協内外の  共済制度に対する理解や認識は率直に言えば低いものだった。
 私が大学生協連選出で出ていたときの日生協理事会では共済をクチにするのは勇気が必要だった。 単協や連合会が独自共済を立ち上げるのは制止されかねなかった。全労済はかって中林会長らが音頭とって設立したものであった。私は全労済本部を訪ね専務に会い「できっこないのに云々するのはフェアでない」という意味を込め「全労済が学生の共済をつくり実行することが出来ますか」と迫った。私は厚生省の大学生協共済創設への消極性の陰に何となく陰の力があると感じていた。

また日生協理事会の会議の合間に他の理事から「もうかっていいな」と肩をたたかれていた。大学生協共済確立後のことだが。

儲かるという言い方に違和感を感じた。違う。組合員の助け合いなんだといいたかった。日生協が共済に取り組んだのは大学生協共済開始から10年後のことである。大学生協が切り開いた「先例」があってのこと打と思っている。


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山口剛彦さんを悼む  殺害の報に接して

[晴3]
山口剛彦さんを悼む
殺害の報に接して

 新聞一面の大きな記事が目に飛び込んだ。
 ア!この人は。約30年前に私に強烈な印象を与えた厚生省の生活課長ではないか。 なんたることか。 ひどい。ひどすぎる。 ぐっとくいいるように紙面に目を通すうちにある場面がクローズアップしてきた。

 確か30才代後半の細身の課長が口を開いたシーンであった。
 「これでいいじゃないか。何が問題なんだ」と私ではなく大学生協が共済をやるのに否定的な古参の課長補佐と係長と係に向かっていったときのことである。エーッ一瞬私は耳を疑った。大学生協共済制度の認可に道を開いた一瞬だった。認可までうまくいったとしてもあと1両年はかかると踏んでいた時だった。その時の課長の決断の早さがあってこそ今日の大学生協共済が生み出されたといって良い。その彼が30年後惨殺されたのである。私どもの感謝を受けることもなくその後の発展を知らされることもなく30年が過ぎ非情な殺戮で逝ってしまった。

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東協連のピースセミナーに参加

[斉藤嘉璋]
昨19日、中野サンプラザで開催された東協連のピースセミナー「みんなの力で核兵器をなくそう!」に参加した。
平和市長会議議長の秋葉広島市長が講演するということと、平和市長会議が提唱し、東京の生協が取組中の核廃絶をめざす署名運動に生協OBの組織・東協連友の会(斎藤が会長)も協力を要請されたからです。
 秋葉市長の話は平和市長会議が取り組んでいる「2020ビジョンー核兵器廃絶のための緊急行動」という世界的なキャンペーンの意義とその進捗状況、それを成功させるための署名運動への協力アピールであった。
 平和市長会議へは133カ国2468都市が参加しており(今も増えている)、全米市長会議の支持決議など「パラダイムの転換」があり、「2010年までに核兵器禁止条約、2020年までに全ての核兵器廃絶」は実現可能な目標だという主張。
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憲法学習会

[吉永紀明]
 今週17日(月)と18日(火)の2日間おかやまコープの地域2箇所で連続して憲法の話をした。
 「あいうえお憲法学習会」ということで組合員さん相手にやさしい憲法の話をしている。そして憲法の話だけでなく、今、日本の国がおかしくなっているのではないか。子どもたちが未来に明るい展望が持てるようにするには、私たち大人が子どもたちの規範になる行動をしなければならないのではないかといったことを話をしています。
 安倍政権のときに、憲法改正の動きが一気に高まり、3年後には改正が強行されるのではないかとさえ思われた。
 安倍首相はまず「教育基本法」を改正した。
 現憲法が制定された1947年(S22年)に「教育基本法」も同時に制定された。その教育基本法の前文には『新しい憲法が目指しているものを実現するには、この教育基本法にもとづいた新しい教育を受けた人たちが必要です』と書いてある。
 安倍首相もまた、改正された教育基本法の下で学んだ子どもたちに改正される憲法を実践させようと考えたのではないかと思う。
 
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長野県生協連が創立60周年を迎えました

[米原 俊夫]

長野県生協連は、日本協同組合同盟が設立された1945年11月より2年2ヶ月後の1948年1月に設立されました。全国的にも歴史をもつ県連だと思います。以来60年の歳月を積み重ねて、今日を迎えました。戦後の社会の混乱期、勤労者の協同するエネルギーの強さをあらためて感じます。
そして、さまざまにその協同する場を広げ、まさに消費者全体にその影響を与える社会的存在になりました。先日、祝う会が長野市のホテルで行われました。県内外の生協、行政関係、友誼団体などの方々が参集くださいました。また、ご存知のかたも多いと思いますが、「飯田生協の倒産」にあたり、その再建にご尽力いただいた方々にもご出席をいただくことができました。私も、あらためて感慨にふけることができました。
「事業体」であるとともに「人の協同組織」であることの重みをつくづく感じました。
紆余曲折を経てきましたが、この歴史から学びこれからに繋げて欲しいと思いました。
コラボに参加されておられる先輩諸氏にこの場を借りて、お世話になったお礼を申し上げます。

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ユニセフについて

[吉永紀明]
 暫くご無沙汰していました。文章を書こうとするとどうも構えてしまってだめですね。もっと肩の力を抜いて気軽にと思うのですが。
 私は今年の5月に(財)日本ユニセフ協会岡山県支部の代表に選出されました。
 おかやまコープの理事長に就任(1995年)して以来、毎年欠かさず、12月に県支部で取り組むハンド・イン・ハンドの街頭募金に参加していました。また、地震や津波などで被災した国への緊急街頭募金活動にも参加して、県支部の仲間の皆さんと顔見知りになっていました。さらに、県支部設立時からおかやまコープからも運営委員を出して協力していたこともあります。県支部の前代表が仕事が忙しくて1年間代表の席が空席になっていました。そんなこともあって、理事長を退任して少し時間に余裕が出来た私に大任の役が回ってきました。
 私も小学校時代、ユニセフから支給された脱脂粉乳とコッペパンと人造バターのお世話になりました。当時は本当に食べるものが無くて、かぼちゃの間にお米が少しあるカボチャご飯や、お昼はサツマイモだけという日もありました。学校に行くと、お昼が食べられるという楽しみで通学した記憶があります。ただ、脱脂粉乳はなかなかノドに通らなかったですね。
 日本は1949年(S24年)からユニセフの援助が始まり、東京オリンピックが開かれた1964年(S39年)までの15年間援助が行われました。
 15年間の援助額は当時のお金で65億円となっています。
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私的生協運動史

「斎藤嘉璋」
50年前の大学生協―長崎、広島へ生協設立オルグ?

<10月20日、東京品川のホテルで大学生協連主催の「大学生協連草創期のOB懇談会」が開催された。庄司会長も出席、当時の専務理事・杉本時哉さんはじめ10人ほどの方が往時の思い出の一端を語ったが、今後、地方ごとに懇談の場をもち、歴史の記録を残す作業をするとのことであった。>


 宮崎での全国理事会
 大学生協連は法人化して「全協」から脱皮したはずだが、私やその仲間の学生にはなにも変わることなく、学生主体の貧乏な運動体の「全協」だった。
 「全協」時代らしい思い出に宮崎で58年11月に開催された全国理事会がある。生協も学生も貧乏時代、当然、東京から宮崎まで夜行鈍行列車を乗り継いで行った。杉本専務も一緒に国鉄宮崎駅に降り立って驚いた。

 「歓迎大学生協全国理事会」の看板があり、降り立った我々に「専務さんや常務さんはこちらへ」と黒塗りのハイヤーに案内されたこと。大人の杉本さんは別にして、ジャンパー姿の私など逃げ出したい気持ちだった。
 どうやら宮崎大生協の宣伝が効きすぎ、県が「大学」と「全国理事会」に惑わされたための歓迎だったようだ。

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映画・日本の青空Ⅱいのち輝く里・制作ニュース2

[加藤善正]

盛岡はすっかり晩秋の佇まい。毎朝のウオーキングも寒さとの闘いになって来ました。「高松の池」公園には白鳥が10羽ほど姿を見せ、更なる南下へ向けて羽を休めています。滋賀県連での講演、コープ秋田の創立記念式典、長野県連60周年記念式典・レセプションなどが重なりましたが、多くの旧友、先輩の皆さんにお会いできて楽しいひと時でもありました。

投機マネーによる原油・穀物などの異常高騰に反対し、緊急対策を求める集会や緊急署名、議会請願などの活動を、県内の消費者・生産者・事業者の12団体が共同して展開する取り組みも、忙しい原因でした。ご存知のとおり、投機マネーに流れるヘッジファンドに対するアメリカ議会の調査の動きと、サブプライムローンに端を発した「金融危機」によって、これら商品先物市場から投機マネーが逃げ出し、深刻な世界的不況による需要低下を予測して、原油や穀物価格が急落しています。しかし、これまでの異常高騰による生産者・中小零細企業、あらゆる生活必需品の値上げによる消費者の家計への打撃は、いまだ何ら具体的な対策が撃たれておりません。近日、こうした緊急署名を携えて、こうした団体のトップが上京し官房長官への直訴を予定しています。

こうした日々の中で、先に書いた映画作りの取り組みも次第に具体化してきましたので、その続報を書きます。斉藤さんからのコメントもいただきましたので、少し長くなります。

この映画のタイトルは「日本の青空Ⅱいのち輝く里」とほぼ決まりました。11月中旬には主役などのキャストも決まり、正式な制作発表の記者会見が東京で行われます。

 

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今何故  蟹工船?

 [晴3]  
いま何故ブーム?
小林多喜二の蟹工船は80年も前に出版されるや直ちに発禁。著者は捕えられ、獄死し放り出された。文豪志賀直哉が作者の母親宛に「不自然な死去の様子を考えアンタンたる気持ちになりました。」という手紙を送っている。いやな時代だった。その後にどんな時代になっていくか戦争の悲惨な歴史が余すことなく示している。そんな作家の作品が80年後に50万部売れいま若者にブームだという。何故なの? 9月の9条の会学習例会に出てみた。Wさんがクチ火を切った。「みそらの外れにあった町工場が丸やけになった事があるね。中にいた外国人労働者たちが蒸し焼き同然でなくなった」。運輸に関わっているUさんは現場の有様を生々しくはなした。確かに80年前とどっかにている。
蟹工船映画観賞会に90人が
蟹工船の映写会が10月12日市内で開かれた。90人が受付を通った。非人道的であったたことが再認識出来た。抑圧と過酷な労働は極限まで描かれそれが戦争に直結していった歴史を思った。では現代は?今の社会で同じようなことを起こしてはならない。みんなの思いは一緒のように思えた。30代の女性が発言を求められた。
「私わからない。 何であんなひどいところで働かなければいけないの。若い人はいやがるのに」 会場から発言があった。「あの時代の背景は貧乏だった。妻子のためにやむなく過酷な蟹工船で働いた。労苦が積もり積もって蟹工船にたどり着いた。今は形が違っても貧コンが深刻になって来ている。 20代全体と女性の働き手の半分は 非正規だよ。収入が200万以下が圧倒的。今だって収入のめどがつかず結婚すら出来ない。中高年中心に毎年3万人の自殺者がいる 」。小泉構造改革が作り出した格差、排除の事実だった。説得的だった
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