コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

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「子どもの貧困についてのショッキングなデータ」

[少老朋友] 
10月25日、「増える不登校、引きこもり、広がる格差・貧困・将来不安」をテーマとするシンポジウムに参加する機会がありました。
 「生協OB九条の会・埼玉」で「子どもの貧困」をテーマに学習会を28日に開催する予定があったこととの関連で関心を持ち、このシンポジウムに参加することにしたのですが、埼玉県内で起きている事例を具体的に知る良い機会となりました。

 シンポジスト3人のうち、2人は高校の教諭OBと、高校の現職教諭でしたので、高校生の中途退学が近年急増していることに心を痛め、子どもたちの相談相手になって悪戦苦闘してきた体験に基づくリアルな報告と、独自に調べた実態調査の結果の報告は、普通にはなかなか得られない情報であり、参加者に衝撃を与える内容でした。

 私が特に驚いたのは、高校生の中途退学率と授業料の減免を受けている生徒の比率の傾向がほぼ同じであるばかりではなく、入学試験の成績によって埼玉の県立高校のグループ分けをしてみた結果では、成績のレベルの格差に比例して、グループ間の授業料免除率並びに中途退学の発生率に大きな格差ができていることが明瞭に表れていることでした。

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「反貧困」(湯浅誠)を読んで

「齋藤嘉璋」 
たまたま先輩に誘われて参加している大学の同窓生の集まりで、2か月ほどまえに雇用・労働問題を勉強した。その時「雇用融解」(風間直樹)などを読んで、日本の若者等をめぐる現状の厳しさとそこまで追い込んだ構造改革路線のすごさを考えさせられた。
今回は「反貧困」(湯浅誠-岩波新書)を読んで、「ではどうするか」について考えさせられた。
27日の朝日新聞の「秋の読書特集」で森永卓郎氏が「貧困と格差社会を生き抜くための全集」として10冊の本を取り上げていた。経済アナリストの森永氏は「格差社会は構造改革の副産物ではなく、構造改革の目的そのものだったと考えている」と立場を明確にしながら、10冊の本を紹介している。
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「ブログ論壇の誕生」 (佐々木俊尚著  文春新書)を読んで

[少老朋友] 
「書評」というカテゴリーを設定してありましたが、どなたからも投稿が出てきません。
  考えてみれば、書評というと偉そうに構えた感じになりますので、気軽に、こんなことが書いてあったと情報提供をしたり、感想を記すというイメージに切り替えようと考え、管理人の独断でカテゴリーの呼称を「本・情報」へと変更することにいたしました。
 書籍に限らず雑誌や新聞の記事に関してでも良いわけですし、IT時代ですから、さまざまなメディア、インターネットやもちろんテレビも含めての情報などを取り上げて交流する場になればと思っています。
 そんなわけで前置きが長くなりましたが、新カテゴリーの初の投稿を、私がさせていただきます。 

 タイトルの本の著者は、元毎日新聞記者、「月刊アスキー」編集者などを経て、現在はフリージャーナリストとしてIT,ネット分野について取材、執筆活動を精力的に進めている人ですので、広く論点を整理し、分かりやすく問題提起をしていると感じました。
 冒頭に、「いまや論壇は、雪崩を打つような激しい勢いで、インターネットの世界へと移行しはじめている。」とした上で、ブログ論壇の特徴を次のように紹介しています。
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私的生協運動史

「斎藤嘉璋」
50年前の大学生協ー「全協」時代の先輩と仲間

第12回大会と嶋田先生第12回大会で挨拶される嶋田会長。

大学生協連の25年史「大学生協の歩み」は1956年~60年を「運動課題3つの柱を確立してー基本路線推進の時代」としており、そのまえの冊子「15年のあゆみ」は「大学生協の歴史においてもっとも充実した時期」とうたっている。学生の私にとっても「もっとも充実した時期」であった。
大学生協連が法人化した58年度の役員名簿をみると、会長の嶋田啓一郎(同志社大)、副会長の平田富太郎(早大)、近藤英男(学徒援護会)の諸先生、専務理事の杉本さん、常務理事の情報宣伝担当の山田、東京地連担当の斎藤に続き、北大河村征治、東北大小室満男、岐阜大安江隆夫、同志社大増田誓冶、宮崎大中野義之の名前がある。それぞれ各地連代表であり、なつかしい名前である。学生常務理事以外では東北大の相馬健二君(大学生協連、全労済)、専従者では事業委員長の島根さん(東大駒場)と石田静雄さん(鹿児島大)の名前がある。
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行ってきました

s-2008-10-14日地裁 066
「晴3」   行ってきました
14日  千葉地裁   全員勝訴の判決  
政府の原爆症認定却下処分は違法と断罪

裁判長は2時過ぎ原告被爆者の原告田爪さんの心筋梗塞および脳梗塞後遺症、原告高田さんの肝硬変、食道静脈瘤、血小板減少病について原爆放射線に起因し要治療性があるとして (政府厚労省)による原爆症認定却下処分は違法とする明確な判決を下しました。
特に肝硬変と脳梗塞後遺症は今全国で一人も認められていないもので画期的でした。原告朝比奈さんの膀胱がん、原告三瓶さんの胃ガンにについては 4月の新認定基準で認定されていました。

裁判は5年半に及びました。千葉の医師の被爆者を診ての具体的証言、弁護士の弁論、原告の血を吐くような証言(病状悪くたびたび出廷出来なかったが)、そして最近の札幌地裁勝利までの11回連続勝利 、さらに四街道の署名を含む千葉地裁への58000の署名    さらには 四街道市を含む千葉県下20の議会の原爆症認定基準の抜本改正要請の運動がありました。(つづく)
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吉永さん ご愁傷さまでした

[米原俊夫]

大往生とはいえ、親をなくされた悲しみは、大きいと思います。
さて、家族の問題が、様々な形で大きな社会問題になっています。
吉永さんの問題意識に同感です。と同時に、家族間も含めてコミュニケーションの欠如が根底にあるのではないかと感じています。
この間の痛ましい事件の加害者にも共通していえる現象ではないかと思います。
「文字だけで会話する世の中」がますます広がる中で、顔をあわせて息遣いを感じながら対話することの大切さをあらためて強く感じます。

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妻の母の死

[吉永紀明]
 9日の夜、妻から「母が10時43分に亡くなった」と電話があった。
 その2日前、同居している福島県郡山市の義兄から「食欲がなくなったので、近いかもしれない」と連絡が入っていた。
 11日に山陽新幹線と東北新幹線を乗り継いで郡山に向かった。
 葬儀場の控え室に安置されていた義母の顔は安らかで、今にも目を開きそうだった。
 義母は明治42年(1909年)生まれで、今年99歳になる。白寿のお祝いをしたばかりだった。
 昭和38年に夫を亡くし、その間、男5人女2人の7人の子どもを育ててきた。戦前戦後の大変な時代に、食べ盛りの子どもたちを抱えて苦労してきたことを妻からも聞いていた。
 私の母は大正4年生まれで93歳になる。今も北海道札幌市の施設で元気に暮らしているが、認知症で子どもたちが行っても、誰の顔も思い出せないでいる。私の母は、私の弟が38歳で亡くなったので、自分より先に子どもを亡くした悲しみを味わっている。
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私的生協運動史

 「斎藤嘉璋」

50年前の大学生協4-早大生協の近代化
早大生協ニュース57年早大生協ニュース57年6月号。法人化問題の記事と賀川豊彦日生協会長の挨拶(要クリック)

 50年前、大学生協連が法人化した当時、法人格をもつ大学生協は東大、中大、法政、北大、東北大、京大、神戸大など少数であった。当時、人格なき社団への課税が問題になっており、一方、独禁法では生協は再販価格維持契約適用除外であったが、未法人ではそれにも問題があった。
 後者では、大学生協では書籍の再販契約にからむ荷止めなどが問題になっており、とくに早大生協では教材の取引が制約されるなど問題が深刻だった。早大では早くから法人化問題に取り組んだが、すでに教職員生協が存在したことなどから難航した。東京都は両者の合併を指導し、59年6月、大学の総長は合併を前提に総代会や理事会の構成などについて「覚書き」を提出した。

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中国旅行で印象に残ったこと

[大友弘巳]
 急なことでしたが8月末になってから決めて、9月25日から10月2日まで、中国へ旅行に出かけてきました。
 訪問先は、雲南省の麗江市とその周辺、四川省の成都市、四川省の観光地九寨溝、上海市と蘇州市で、移動の多い忙しい旅でしたが、充実した快適な8日間でした。
 旅の様子や写真などは、私の個人のブログ「第三期の人生を元気に」に掲載していますので、そちらをご覧いただければ幸いです。
 ここでは、旅の中での感想として、印象に残ったことを5点ほど記したものを掲載させていただきます。

1、 少数民族に対する配慮
 麗江も九寨溝も、少数民族が多数派の地域だからかもしれませんが、少数民族の人々の暮らしの変化が進んでいるという感じを受けました。
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私的生協運動史

「斎藤嘉璋」
50年前の大学生協ー3   盛んだった生協設立運動

 
対談ー設立運動新聞「大学生協」58年11月号紙上の設立運動に関する山田誠と斎藤の対談。ー要クリック

田中報告 「学協運動」誌、59年6月号,お茶大生協設立支援報告ー田中尚四


 大学生協連が第10回大会で消費者運動や教環運動などを柱に学生運動一般とはちがう路線を打ち出したことは、生協の学生活動家に自信をもたせ「すべての大学に生協を」と生協設立支援活動を盛んにさせる一因となった。
 58年、59年に使っていた私の小さな手帳には「全協」とあわせ明治大、お茶の水大、明治学院、東京学芸大などの名前がたびたび書かれている。東京経済大、女子美術大、芝浦工業大などとあわせ、これらの大学に58~59年度に生協が設立された。
 東京地連担当として関わったいくつかの思い出を述べてみたい。その一つは皮肉なことに最近、悲劇的な形で姿を消した明大生協である。1958年、明大学生会が中心に準備活動をすすめ大学当局や教職員の理解もあり、設立運動は順調に進んだ。学園祭には私も早大生協の職員とともに生協牛乳の宣伝供給などを手伝った。


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枯れ葉じーさんのひとこと

[晴3」
枯れ葉じーさんの一こと

 もみじマークを車につけた。世では枯れ葉マークといわれている。(写真)

人に枯葉を冠”すればそれこそ失礼な”という響きになる。でも僕にはあまりそうは感じない鈍感さがある。若いころから “紅葉”が好きだったせいかもしれない。

紅葉がやがて枯れ葉そして朽ちた葉になっていく。枯葉もいろいろに変貌する。大小、中小、形も形態も種類も様々だ。茶褐色からくろずんで行く移ろいもいろいろだ。落ち葉を拾って並べてみればよくわかる。

やがて葉っぱは地面一面をおおい、落葉樹から木漏れ日が射し込み、緑に隠れていた小鳥たちも見えるようになる。枯葉もいいではないか。

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生協労連40周年

[吉永紀明]
 過日9月12日(金)に千葉県内のホテルで生協労連40周年の記念レセプションがあった。そのレセプションの前に「中央役員OBの集い」が開かれて、歴代の中央執行役員約50人が参加した。
 労協の谷川さん、2代目委員長の笠原さん、2代目書記長の鈴木さん、3代目委員長の南向さん、中執の上田さん、後藤さん、山下さんなど懐かしい顔と久しぶりに再会した。また、本部事務局員の吉田千代子さんも出席していた。
 生協労連は1968年に結成されたが、私は1971年に日本生協連労組の委員長をしていて、その時の第4期の生協労連の中央執行委員だった。
 当時私は事業部の総務係長をしていて、前任の渡辺金次委員長から引き継ぐときに、上司から「吉永君、仕事と兼務で両立できるのか?」と注意された。
 「両方ともしっかりと取り組みます」と答えたが、1971年前後は、日生協の供給高が初めて100億円を突破したり、管理価格打破を目指した「CO-OPカラー20サンセブン」の発売で記者会見をしたり世間にCOーOP商品が注目を集め始めていた。また、商品検査室の開設準備などのために各地の検査センターを調査するなど大変忙しい時代だった。
 しかし、上司と約束した手前、仕事の手を抜くことは出来なかった。
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