コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

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仙台  仙台弁  せんでー弁

「晴3」

仙台  仙台弁  せんでー弁



3,11を境に仙台弁が面に出てきた。

仙台弁では「恥ずかしい」ことを「おしょすい」とか「おしょすいこった」(このイントネーションが私にはえにいえない響きがある)とか言って裏に隠れていたものだ。


ところが大震災から日がたつにつれ、「悲惨」さの中にあって耐えに耐え、ひたすら家族と隣人を支えあっていた「ががさん(母、妻の意味)」たちがテレビ画面に堂々と出て仙台弁で語るようになった。そのたびに何かほっとする。

彼女らは「俺(おら)やんだ」(嫌いだの意)といってもう隠れない。福島原発に抗議する女性たちのあの「強さ」も見た。福島べんもいい。


ともいえる。子供の命を守る戦いはつずく。生協もがんばってほしい。私もがんばる。交流を望む。





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折づる  クリスマスの日に

[晴3]
クリスマスの日
  被爆者のうめきをつづった 『父と暮らせば」はたしかに聖書だった。

  この会場では 上映に先立って 「つるのいのり」 身延山高校佐治麻希作(高校生新聞コンクール・グランプリ受賞作品)が当市の高校生によって朗読され、会場と壇上は当日の参加者が家から持ち寄った多くの『折鶴』で飾られた(写真参照)。実は 「つるのいのり」佐治麻希作の絵本は、昨年のビキニデーで焼津に行った折、居合わせた静岡の生協の上田克己さんから作者の佐治麻希さんを紹介されそのときいただいたものだった。

 その絵本が『実行委員長』の目にとまり 回し読みされ当日の『折ずるフェスタ』をかざるひとつになった。
 ここで作者の佐治麻希さん、上田さん、Hさんはじめ企画実行委員、何よりも、折づるをおってくださった多くの市民が、サダコでつながることになった。
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「ベルリンの壁」

[吉永紀明]
 東西冷戦の象徴だった「ベルリンの壁崩壊」から20年が経ち、11月9日にブランデンブルグ門の前で、欧米の要人やゴルバチョフ元大統領も出席して記念式典が開かれた。
 20年前の11月10日に、ベルリンの壁の上に立った若者がハンマーで壁を打ち砕く様子を見て感動したものだ。
 実は壁崩壊の前年に、関西の生協のメンバーと一緒に「ソ連」「東ドイツ」の生協を訪問した。
 ソ連はゴルバチョフ書記長が経済立て直しのために改革を進めている時期だった。
 私たちが訪問した国営市場と言っても名前ばかりで、肉が並ぶべき冷蔵ショーケースは空っぽで何も入っていなかった。酒屋さんの前ではウオッカを買い求める長い列が出来ていた。ホテルで食べた夕食にボルシチが出てきた。ソ連にきたらぜひ食べたいと思って期待をしていた料理だが、野菜が少しで、肉はいくらかき回しても見つからなかった。
 ビールは1本目は冷えた缶ビールだったが、2本目からは冷えていない暖かな缶ビールだった。電力事情だという。冷えたビールは2ドルで、温かなビールは1ドルでいいと言われた。
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四街道の魅力 水の恩恵

「晴3」
四街道の魅力 水の恩恵 と 乱開発

瑞穂の国に生まれた幸せをもつ私たちは普段はあまり水を意識しないで過ごしてきました。蛇口回せばいつもじゃー。風呂水も シャワー水もボタン一つで、シャー。幼いころバケツで運んだお風呂の水汲みはもはや遠い忘却の彼方へいってしまいました。

印旛沼

こうして便利だけを享受した結果 水の後先、つまり水源地の川上の森と川下の河川、湖沼や海の大切さをさほど気にしなくなってしまいました。その結果「とてつもない仕返し」が始まりました。例えば千葉県民の3分の1の水道水源印旛沼、その汚れは全国ワーストワン、もといワーストツウです。国を挙げてのGNP第1主義の時代の中で変りはてました。何年か前印旛漁協の船を借り環境学者の説明で印旛沼を一周したとき見た光景やヘドロや水質はそれはそれはひどいものでした。いま印旛沼の浄化の緊急行動が発せられています。 
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中国旅行で印象に残ったこと

[大友弘巳]
 急なことでしたが8月末になってから決めて、9月25日から10月2日まで、中国へ旅行に出かけてきました。
 訪問先は、雲南省の麗江市とその周辺、四川省の成都市、四川省の観光地九寨溝、上海市と蘇州市で、移動の多い忙しい旅でしたが、充実した快適な8日間でした。
 旅の様子や写真などは、私の個人のブログ「第三期の人生を元気に」に掲載していますので、そちらをご覧いただければ幸いです。
 ここでは、旅の中での感想として、印象に残ったことを5点ほど記したものを掲載させていただきます。

1、 少数民族に対する配慮
 麗江も九寨溝も、少数民族が多数派の地域だからかもしれませんが、少数民族の人々の暮らしの変化が進んでいるという感じを受けました。
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枯れ葉じーさんのひとこと

[晴3」
枯れ葉じーさんの一こと

 もみじマークを車につけた。世では枯れ葉マークといわれている。(写真)

人に枯葉を冠”すればそれこそ失礼な”という響きになる。でも僕にはあまりそうは感じない鈍感さがある。若いころから “紅葉”が好きだったせいかもしれない。

紅葉がやがて枯れ葉そして朽ちた葉になっていく。枯葉もいろいろに変貌する。大小、中小、形も形態も種類も様々だ。茶褐色からくろずんで行く移ろいもいろいろだ。落ち葉を拾って並べてみればよくわかる。

やがて葉っぱは地面一面をおおい、落葉樹から木漏れ日が射し込み、緑に隠れていた小鳥たちも見えるようになる。枯葉もいいではないか。

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老朋友

[吉永紀明]
 大友さんのペンネーム「少老朋友」を見て思い出したことがあった。
 中国の文化大革命で、日本と中国の生協間の交流が長いこと途絶えていた。ようやく文革も終わり、中国商業省から日本生協連に招待状が届いた。代表団は中林会長を団長に、秋田の富樫さん、東京の森定さん、灘神戸の長川さんが団員で、私が事務局の5人だった。4人とも今は鬼籍に入っている。
 北京、蘇州、杭州、廬山、南京、上海を巡る旅だった。
 杭州に到着して、代表団が出迎えの杭州の人たちに向かって歩き始めたとき、真ん中にいたツルりとした頭の人民服を着た小柄な男性が、私のほうに駆け寄ってきて両腕で私を抱きしめました。
 私はびっくりして「団長はこちらの人!」と言って、その腕を振りほどこうとしたが、その男性は「老朋友(ラオ ポンユウ)」と言って手を離しませんでした。

 

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