コラボ・コープOB

生協のOB同士で、交流と意見交換を進める場とします。  自分のこと、お互いのこと、生協のこと、世の中のこと、―-協同・平和をめざして。

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「韓米FTA」の調査報告

[加藤善正]

3月18~21日、「韓米FTAとその反対運動を学ぶTPP反対岩手県民会議調査団」の団長としてソウルへ行ってきた。県内主要8JAの組合長ら農協関係者13名、生協・労連・農民連など消費者市民関係者7名、コーデネーターをやってくれた丸山茂樹氏、農業新聞記者など、22名の調査団であった。
TPPに関する情報が少ない中で、訪米した国会議員などに対して、アメリカ通商代表部(USTE)は、「TPPは韓米FTAがモデルになるがそれ以上の自由化をめざす」と言明している。TPPを推進している政府や財界、中央マスコミは「韓米FTAによりにより日本は韓国との競争に遅れをとる、早く参加してバスに乗り遅れるな!」といいながら、韓米FTAの内容や問題点については全く報道していない。3月15日に発動したといわれるこのFTAの実態を探り、TPP参加の問題点や我が国への影響を探り、これを帰県して報告し県内の反対世論を急速に盛り上げることを目的に企画した。
この報告書は岩手県生協連のHPで全文を掲載しているので、関心がある方はそれをご覧いただきたい。結論的な内容や感想、これからの運動に関して若干述べることにする。
TPP関してはほとんど情報公開がされずにいるが、参加に反対する陣営からの予想される問題点が明らかになっている。また、事前情報として交渉国からのヒアリングとして、21分野にわたる検討事項が25ページにわたり報道されたが、こうした懸念材料が韓米FTA協定の内容にすべてにわたり書き込まれていることが判明した。したがって、usteのいう韓米FTAがモデルである、ということが出来よう。そうした視点で今回の調査で明らかになったことや、教訓的なことを次に列挙する。

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行く年 来る年、 新年への思い

[加藤善正]
 今年もあと3日で終えようとしている。私は今日が御用納めで明日から新年4日まで休む予定である。とはいえ、明日は盛岡市民生協創立まもなく入協して、店長や初代労組専従になったかつての部下(享年73歳)の葬儀があり、正月気分にはなれそうもない。しかし、愚息も久しぶりに帰省するので楽しみは多い。今年は昨年とは大違いで12月にまとまった雪が降らず、元旦からのウオーキングも出来そうである。
 さて、行く年2001年は3月11日のM9の大地震により、岩手の美しい陸中国立公園地帯を襲った大津波は、文字通り1000年に1回ともいうべき猛烈で巨大な威力を見せ、市街地も小さな漁村もあらゆる家屋・施設も漁業・水産業施設も一瞬にして呑み込み、7千人近い人びとの尊い命を奪った。肉親を失った多くの住民の悲しさと無念さ、財産や職場を失い先行き不安に打ちのめされた人びと、避難所から仮設住宅に移ったものの辺鄙な場所で、寒さと隣家の声が筒抜けになる住環境は、「安全・安心」はもとより人間としての「尊厳」も揺らいでいる。
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『東日本大震災」報告ー1

[加藤善正]
「東日本大震災」に岩手における状況等をご報告します。
岩手県連・いわて生協本部は若干の施設的被害がありましたが、人員的な被害は皆無で震度6弱の割りには助かりました。横揺れが長い間続き、また、余震も現在でも震度3前後のゆれで続いていますが、被害という状況にはありません。私の部屋は書類や本が崩れ落ちましたが、普段の整理不足もあり反省しています。
 県内の会員生協では、釜石市役所生協(地下)、宮古市役所(2階)が津波の水が押し寄せ、店舗や事務所は水浸しの状況です。大船渡市役所生協は高台にあり被害はありません。労済生協釜石支部、信用生協釜石事務所は水浸しで使用ができ兄状況です。その他の生協は施設的な被害若干ありましたが、特に仕事に大きな影響はありませんでした。
 いわて生協は、共同購入釜石支部(デポ)が津波の被害をまともに受け、まだ近寄れない状況です。4ヶ月前に新しく開設したばかりで、その時点では市役所の開発物件でもあり「100年来の津波でも大丈夫」ということで設置したようですが、4ヶ月目が100年目だったようです?。大船渡支部は津波で水浸しになり、灯油の地下タンクも浮き上がり、ほぼ再起不能でしょう。釜石支部は配達中が多く職員の自家用車は全部流され、大船渡支部は配達車10数台が流失したようです。釜石の灯油配達ローリー車がパート配達員もろとも流され行方不明です。
 
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50年間の朝日新聞の購読をやめました

[加藤善正]
 大学入学と同時に購読始めた朝日新聞を最近止めた。私は仕事柄業界紙やローカル紙も含めて毎日12紙ほどを読んでいるが、自宅では長い間朝日新聞を読み続けてきた。朝日新聞出身の岩垂弘氏やむのたけじ氏、本多勝一氏、伊藤千尋氏など尊敬する方々も多いし、実は大学一年のとき朝日新聞の「世論調査」のバイトで、「大槌町吉里吉里」へ行ったことがあり井上ひさしさんへのつながりも強かった。また、長い間「朝日ジャーナル」も愛読し、朝日新聞のリベラルなジャーナリズムを評価してきた。かつての朝日新聞は「産経・読売・日経・毎日」などとは格段に異なる報道姿勢が目立ち、「産経ザンコク、読売ヨタモノ、朝日ニセシンシ」といわれていたころから、確かに偽紳士的なこともあったが中立・進歩的な社説が多かった。
 しかし、最近の朝日新聞は大きな変節を続けたのではないか。最初に頭にきたのは「小泉・竹中路線礼賛」であり、彼らに「売国奴」という批判が多く寄せられ、アメリカの市場原理主義・新自由主義をモデルとして、国際金融資本の利益を代弁するような「聖域なき規制緩和」によって、それまでの日本型資本主義ともいうべきシステムを破壊した。福田・麻生内閣などの「小泉改革の修正」を厳しく批判し、100年に一度という経済危機に入ってさえも、小泉改革を支持して市場原理主義的経済路線を推進すべきという主張を変えていない。
  
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「いのちの山河・日本の青空Ⅱ」全国上映快調に進む

[加藤善正]
 「いのちの山河・日本の青空Ⅱ」の自主上映が全国的に順調に進んでいる。詳しくは「いのちの山河・上映情報」を検索して、皆さんのご協力と鑑賞を心からお願いしたい。岩手県内ではすでに1万8千人の方々が鑑賞し、3月末には目標の2万人を超えそうだ。どの会場も計画数を上回る入場者が入り、50年前の沢内村の人々の「命を守った闘い」と深澤村長の政治理念・ロマンに心を打たれ、涙を拭き拭き見入っている姿が目立っている。
 2月20日の「東北ブロック九条の会交流会」においても、9条と25条の関係性や一体的運動の大切さが強調されたが、九条を守る運動を活性化する上でも、この映画の上映会が力になることが報告されていた。
 この会の終了後開かれた「首長九条の会懇親会」で、すでに結成されている宮城県や秋田県の参加した元市町村長は「地方自治体の本来の使命は住民のいのちと暮らしを守ることであり、首長のコアミッションもそこにあり、憲法九条と二十五条の確立にこそ大いに力を注ぎたい」と確信を持って語っていた。

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同志・戦友、故山中洋さんを悼む

[加藤善正]
 2月5・6日の新潟・庄内地方は風雪警報通りの天候で、鶴岡市も地吹雪に荒れる狂っていた。この天候とはまったく逆な人物、誠実で温厚で優しい故山中洋さんの通夜・葬儀に出かけた。山中さんは一昨年春ごろから肺がんを患い、懸命な闘病生活を続けていたが、悪質ながん細胞は手術を拒み転移の末、1月30日ご家族の見守る中静かに68年の生涯を閉じられた。
 私とは1歳違いで50年もの生協人生の大半を「同志・戦友」として、何でも相談でき信頼出来る友人であっただけに、彼の死を悼みつつ心からの弔辞を読ませていただいた。山中さんは1941年、鶴岡市の元庄内藩の士族の家に生まれ、60年、創立5年後の鶴岡生協にアルバイターとして入協、大学受験をめざすが超過重労働と組合員とのふれあいに魅せられて、正式に生協で働く決意をし佐藤日出夫専務の下、創業期の鶴岡生協の鮮魚部門を確立させた。
47歳で常勤役員になり、88年には専務理事に就任し佐藤理事長の下、第1次・第2次共立社構想を推進し、とりわけ山形市の「くらしのセンター桜田」開設の全力を挙げた。その後、鶴岡での「こぴあ」開設など共立社の店舗事業の確立に尽力された。佐藤日出夫さんをはじめ、多くの先輩たちと組合員がの築いた家庭班を中心とした組合員組織を基盤とした「鶴岡生協路線」を忠実に実践した。
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続き  8月15日だから

「晴3」 敗戦直後の自宅付近

○程なく米軍が進駐してきました。先頭に機関銃をすえたジープが走り十数台のジープ、トラックが家の前を過ぎていきました。走りながら空砲も撃ったと後で聞きました。占領開始の威嚇を狙ったのだと思います。
○近くの仙台駅の半分はペンキが塗られたのか瀟洒な米兵専用駅になり、金網越しに覗き見ることができました。列車は冷暖房つき。日本の列車は窓から体を出すほどの込み具合。その差は歴然、敗戦国の姿でした。米占領軍兵舎が置かれた榴ヶ岡(旧陸軍四連隊。ここには2等兵の兄がいて母と慰問に行ったことがある。殴られて顔が無残に膨れていた。ここからガタルカナルやアリューウシャンや北支さらにビルマなどに派遣され転戦し多くが死んだ)向かう道路はMP憲兵が厳重な警護、交通整理に当たっていました。駅は戦災孤児や、家を焼け出された人たちの住処になっていました。線路下のガードも家を焼け出された人たちの住処になり、その状態がしばらく続いていました。

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県知事表彰を受けました

[吉永紀明]
 先日、5月29日の「第4回岡山県消費者被害撲滅県民大会」の席上、岡山県知事から表彰を受けました。
 内容は「永年の消費者への支援活動に貢献した・・・」ことに対してでした。
 県生協連会長在任中に「消団連代表幹事」「消費者ネットおかやま設立準備委員」「環境ネット評議委員」などの活動と、県の「消費生活懇談会委員」「食の安全推進委員」などに就いていて、消費生活条例の制定にも携わったことが評価されたものと思います。
 会長とおかやまコープ理事長を退任して3年経ってからの受賞で、現実感がありません。
 ただ、今までは消費生活センターの相談員とか行政の関係する活動に携わっていた人の受賞が中心でしたので、生協関係者として初めての受賞で、これから生協関係者の受賞に道を拓くものとして多少意味のあるものではないかと思っています。
 先日の県連理事会でもこのことが報告され、出席者からお祝いの言葉をいただきました。
 幾才になっても、褒められることはうれしいものですね。
 これも、全国の諸先輩が範を示してくれたことを真似てきたおかげと感謝しています。
 ありがとうございました。

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中国の大学生との交流ウオーキングに参加して

[大友弘巳] 
4月11日から15日まで、4泊5日の短期間でしたが、中国の上海に近い浙江省の杭州市と、その西の安徽省の黄山へ旅してきました。
 杭州市では、日本人観光客と杭州市の大学生合わせて約1,000人が、おしゃべりしながら市の西部にある西湖を一周する「ふれあいウオーキング」のイベントに参加し、安徽省黄山市では、7人の知人友人仲間で、世界自然遺産となっている黄山をハイキングし、さらに、宏村鎮、及び、西逓鎮という世界文化遺産に登録されている古い村を散策するオプショナルツアーに参加しました。歩くという点では共通していますが、ちょっと変わった組み合わせの旅でした。
 旅の様子や写真は、私の個人のブログ「第三期の人生を元気に」で紹介していますので、
もし興味がありましたらそれをご覧いただければ幸いです。
 (http://blog.otomo.daa.jp/ このURLをクリックしていただくと画面に表示されます)

 ここでは、日本語を学んでいる中国人大学生たちとおしゃべりしながら、13kmを一緒に歩いた中で聞いたことや感じたことを記したいと思います。
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いのちの山河 日本の青空Ⅱ 吹雪の中、現地ロケ撮影快調!

[加藤善正]
暖冬気味の中、2月に入って寒さや降雪が戻っておりますが、映画「いのちの山河・日本の青空Ⅱ」の現地ロケが2月15日から2週間の予定で岩手県内で行われています。この映画のタイトルも「いのち輝く里」から「いのちの山河」に変更になり、キャストも決まりました。
深澤晟雄役は長谷川初範(彼は私の高校・北海道立紋別高校の15年後輩です)、妻ミキ役はとよた真帆、父親晟訓役は加藤剛、教育長太田祖電役は大鶴義丹、助役佐々木吉男役は宍戸開、ジャーナリスト中野美代子役は小林綾子など、重厚な適役が配置されています。
2月19日には現地エキストラ70名が参加し、豪雪により陸の孤島と言われた沢内村で、深沢村長就任の翌年(1958年)、初めてブルトーザーでの除雪がはじまり、盛岡までのバスの開通式のロケが行われました。当日は盛岡のテレビ・新聞などのマスコミを案内し、私も見学しましたが零下4度の猛吹雪の中3時間ほどの撮影が行われました。

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「変」の一年を省みて

[大友弘巳]
 今年の漢字として「変」が選ばれたことには、まことにごもっともと思いました。
 「変」にも、①かわる。あらたまる。うつりかわる。②かわった出来事。事故。事件。③ふつうでない。おかしい。など幅広い意味がありますが、どの意味においてもいろんなことがありました。
 
 世界的な出来事としては、北京オリンピックが開催されて中国が大国として存在感を高めたこと、アメリカのサブプライムローンの破綻を契機として世界同時恐慌に陥り今後さらに深刻化しそうなこと、アメリカの大統領選挙で「変化」を訴えた黒人のオバマ氏が当選したこと、などが印象に残っているのは多くの人々に共通していることでしょう。
 初めて「9条世界会議」が日本で開かれ、世界中から平和運動のリーダーが多数参加し、武力で平和は守れない、武器をなくし戦争のない世界をつくろう、9条を世界に広げよう、という点で一致して運動を進めることを確認しあったことも、大きな変化への出発点だったと私は思っています。
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2008年を振り返って

[吉永紀明]
今年も早いもので残り僅かとなった。60歳を過ぎてから1年の経つのが本当に早く感じる。
 それも年代によって1年の感じ方が違うように思う。
 20代、30代の頃は、1ヶ月が遅かった。給料日から給料日までやりくりしなければならない苦労が多かった。
 40代になると、ボーナスからボーナスまでの間が長かった。子育てでお金がかかるので、まとまったお金が入るボーナスはありがたかった。50代になると1年が短く感じるようになった。
 子育ても一段落したあと、何かやらなければと思ったが、仕事の忙しさを理由に全て後回しにしてきた。ある人から「退任したら何かをやろうと思っても、現役中に出来なかったことは、退任してからも結局出来ないよ」と言われた。
 確かに引退してからやろうと思っていたことが、未だに実現できない自分が本当に情けないと思う。
 来年は覚悟を決めてチャレンジしたいと思う。
 今年のまとめを3つだけ。

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早めの賀状

[晴3]
夢 ウッシシ世の曙光が見え始めたぞ、 しかし目が覚めたら 金融崩壊が目のあたりで猛威を振るい暮らしの中に土足で入り込んできそうだ競争社会のツケがおし寄せ暴れ回る
    弱いものに犠牲をおっかぶせる混迷の時代は底なしに長期化するのではないか 。見通せない未来。高度成長からバブル崩壊を経て資本擁護にのたうち回る為政者。こんな中 人々は 資本の利益のために あくせくさせられ 仲間との絆を軽んじ 協同を見失わせるものに嫌気がさしていないか。 ウシなってきたものの大きさ(例えば農業 緑 子ども 健康など)に気付き初めるのではないか。小手先では何も解決しない時代到来している。こんな時こそ 仕事仲間  家族  地域  生き物 文化にであえば  希望や喜びも生まれるというもの。人が先。命が先だと言うことが見失わない限り。 

    なんちゃって まじめくさっていってしまったが、実はこの1年  地域の仲間といろんな事をやってきたが  みんないい人だった。9条の会や核兵器廃絶を求める運動しかり コミニティー喫茶 福祉の活動しかり  ホタルやメダカやとんぼを追う楽しみしかり、2つの小学での自然体験授業 毎週日曜日欠かさず続いた近郊農家との朝市、月1回各地に出没してのゴミ拾い。生協同窓会の面々。家族の病との遭遇  孫トマゴマゴ 。いろんな出会いは なるほど 取るに足らない個人的なことだが  マクロへの視点と結びつくものだった。私はそんな仲間に救われている。生かされている。出来るだけ多くのひとが生かしてもらっている人と共に行動すれば世の曙光と結びついていくのではないか。

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ユニセフについて

[吉永紀明]
 暫くご無沙汰していました。文章を書こうとするとどうも構えてしまってだめですね。もっと肩の力を抜いて気軽にと思うのですが。
 私は今年の5月に(財)日本ユニセフ協会岡山県支部の代表に選出されました。
 おかやまコープの理事長に就任(1995年)して以来、毎年欠かさず、12月に県支部で取り組むハンド・イン・ハンドの街頭募金に参加していました。また、地震や津波などで被災した国への緊急街頭募金活動にも参加して、県支部の仲間の皆さんと顔見知りになっていました。さらに、県支部設立時からおかやまコープからも運営委員を出して協力していたこともあります。県支部の前代表が仕事が忙しくて1年間代表の席が空席になっていました。そんなこともあって、理事長を退任して少し時間に余裕が出来た私に大任の役が回ってきました。
 私も小学校時代、ユニセフから支給された脱脂粉乳とコッペパンと人造バターのお世話になりました。当時は本当に食べるものが無くて、かぼちゃの間にお米が少しあるカボチャご飯や、お昼はサツマイモだけという日もありました。学校に行くと、お昼が食べられるという楽しみで通学した記憶があります。ただ、脱脂粉乳はなかなかノドに通らなかったですね。
 日本は1949年(S24年)からユニセフの援助が始まり、東京オリンピックが開かれた1964年(S39年)までの15年間援助が行われました。
 15年間の援助額は当時のお金で65億円となっています。
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映画・日本の青空Ⅱいのち輝く里・制作ニュース2

[加藤善正]

盛岡はすっかり晩秋の佇まい。毎朝のウオーキングも寒さとの闘いになって来ました。「高松の池」公園には白鳥が10羽ほど姿を見せ、更なる南下へ向けて羽を休めています。滋賀県連での講演、コープ秋田の創立記念式典、長野県連60周年記念式典・レセプションなどが重なりましたが、多くの旧友、先輩の皆さんにお会いできて楽しいひと時でもありました。

投機マネーによる原油・穀物などの異常高騰に反対し、緊急対策を求める集会や緊急署名、議会請願などの活動を、県内の消費者・生産者・事業者の12団体が共同して展開する取り組みも、忙しい原因でした。ご存知のとおり、投機マネーに流れるヘッジファンドに対するアメリカ議会の調査の動きと、サブプライムローンに端を発した「金融危機」によって、これら商品先物市場から投機マネーが逃げ出し、深刻な世界的不況による需要低下を予測して、原油や穀物価格が急落しています。しかし、これまでの異常高騰による生産者・中小零細企業、あらゆる生活必需品の値上げによる消費者の家計への打撃は、いまだ何ら具体的な対策が撃たれておりません。近日、こうした緊急署名を携えて、こうした団体のトップが上京し官房長官への直訴を予定しています。

こうした日々の中で、先に書いた映画作りの取り組みも次第に具体化してきましたので、その続報を書きます。斉藤さんからのコメントもいただきましたので、少し長くなります。

この映画のタイトルは「日本の青空Ⅱいのち輝く里」とほぼ決まりました。11月中旬には主役などのキャストも決まり、正式な制作発表の記者会見が東京で行われます。

 

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妻の母の死

[吉永紀明]
 9日の夜、妻から「母が10時43分に亡くなった」と電話があった。
 その2日前、同居している福島県郡山市の義兄から「食欲がなくなったので、近いかもしれない」と連絡が入っていた。
 11日に山陽新幹線と東北新幹線を乗り継いで郡山に向かった。
 葬儀場の控え室に安置されていた義母の顔は安らかで、今にも目を開きそうだった。
 義母は明治42年(1909年)生まれで、今年99歳になる。白寿のお祝いをしたばかりだった。
 昭和38年に夫を亡くし、その間、男5人女2人の7人の子どもを育ててきた。戦前戦後の大変な時代に、食べ盛りの子どもたちを抱えて苦労してきたことを妻からも聞いていた。
 私の母は大正4年生まれで93歳になる。今も北海道札幌市の施設で元気に暮らしているが、認知症で子どもたちが行っても、誰の顔も思い出せないでいる。私の母は、私の弟が38歳で亡くなったので、自分より先に子どもを亡くした悲しみを味わっている。
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生協労連40周年

[吉永紀明]
 過日9月12日(金)に千葉県内のホテルで生協労連40周年の記念レセプションがあった。そのレセプションの前に「中央役員OBの集い」が開かれて、歴代の中央執行役員約50人が参加した。
 労協の谷川さん、2代目委員長の笠原さん、2代目書記長の鈴木さん、3代目委員長の南向さん、中執の上田さん、後藤さん、山下さんなど懐かしい顔と久しぶりに再会した。また、本部事務局員の吉田千代子さんも出席していた。
 生協労連は1968年に結成されたが、私は1971年に日本生協連労組の委員長をしていて、その時の第4期の生協労連の中央執行委員だった。
 当時私は事業部の総務係長をしていて、前任の渡辺金次委員長から引き継ぐときに、上司から「吉永君、仕事と兼務で両立できるのか?」と注意された。
 「両方ともしっかりと取り組みます」と答えたが、1971年前後は、日生協の供給高が初めて100億円を突破したり、管理価格打破を目指した「CO-OPカラー20サンセブン」の発売で記者会見をしたり世間にCOーOP商品が注目を集め始めていた。また、商品検査室の開設準備などのために各地の検査センターを調査するなど大変忙しい時代だった。
 しかし、上司と約束した手前、仕事の手を抜くことは出来なかった。
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映画「いのちの里(仮題)」制作運動―第1報

[加藤善正]

史上最短内閣と予想される「麻生内閣」が誕生しました。与党の総選挙対策としての「後期高齢者医療制度の見直し」が報道されていますが、こうしたまやかしの「宣伝」に75歳以上の当事者は勿論、多くの国民(主権者)が騙される危険性はあまりないと思います。この制度の決定的な弱点はその理念・思想にあり、「人間の尊厳の大本は命である」、「その命はすべて平等である」という哲学を失い、「国家財政再生のために増加する社会保障費の削減」を最優先する哲学に貫かれていることが、益々明らかになってきました。
こうした社会状況の中で、「人間の命こそすべてに優先する政治・行政を!」を高く掲げて「生命行政」を実践した「沢内村・深澤晟雄村長」を主人公とした「劇映画・命の里(仮題)」の制作運動が動き出し、プロデューサー・監督・脚本を担当する方々からの依頼で、岩手県における現地情報や全国的な運動・組織論などに関して私も関わってきており、微力ながらここ2~3年全力投球する決意です。

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「生協OB九条の会・埼玉」について

[大友弘巳]
「生協OB九条の会・埼玉」は、昨年5月に改憲手続法(国民投票法)が強行採決で決定されたことに危機感を感じたOBたちが、6月4日に呼びかけ人会を持ち、7月12日には「発足の集い」を開催して活動を始めました。
当初は常勤役職員OBでスタートしましたが、すぐに組合員理事や学識経験者理事のOBにも広がって、現在会員数は100人ちょっとですが、学習会や交流会は毎月のように開催しており、9月3日には第8回の学習会を「9条世界会議報告会」として催したところです。
全国では、多くの生協で、もっと早くから、役職員と組合員の有志による「9条の会」や、「9条を考える会」などが作られ、その自主的な交流が重ねられていたことを聞いていたものの、埼玉県ではなかなかそうした取り組みが進まず、残念に思っていたわけですが、改憲の情勢が緊迫してきた下で、ともかくできるところから動き始めようということで、まずOB有志による活動を遅ればせながらスタートした次第です。
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清々しさを味わったひと時でした

[米原俊夫]

昨日、私の住む松本で「平和コンサート」が催されました。
今年でまだ3回目とのことでしたが、300人近くの人で会場は一杯でした。
地元にいて音楽活動をしている人たちの演奏やコーラスに続いて、ナターシャ・グジーというメインゲストが登場しました。
彼女は、ウクライナに生まれ、1986年のチェルノブイリ原発事故で被曝しました。父親が原発に勤めており僅か3,5㌔のところに住んでいたと言います。以来古里はなくなり廃墟となったとのことです。
ウクライナの民族楽器のバンドウーラを奏でながら、その音色に勝るような歌声は、澄み切った青空を思わせるようでした。
病に冒されてなくなっていった友人たちを偲びながら歌った、”コスモス”が印象的でした。
日々世界中で起きている争い、平和の尊さをあらためて感じた貴重な時間でした。

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被爆63年、長崎での思い

[加藤善正]
被爆63年、長崎での思い
8月7~9日、被爆63年を迎えた長崎へ向かった。「08ピークアクション長崎」終了後、「平和憲法を考える全国組合員ネットワーク」主催の「活動交流集会」で、世話人を代表しての挨拶を頼まれたからである。この活動交流集会は、昨年のひろしま(今年は23生協136名の参加で成功)に次いで今年から長崎でも開くことにし、7生協29名の参加で、各生協の平和憲法九条に関する熱心な活動を、短い時間であはあったが和やかに交流した。ピースアクション長崎も、地元ララコープや沖縄・九州・中四国地方の組合員、とくに医療生協の参加が多い感じがした。7日は平和公園・原爆平和記念館などを視察し、9日は「08原水爆禁止世界大会・長崎」にも参加したが、今回の長崎訪問の最大の収穫は、NPO法人「岡まさはる記念、長崎平和資料館」の存在を知り、その展示物・主張の素晴らしさ、このような資料館を作り維持している人々の「志の高さ」に衝撃を受けた。
7月に元エフコープ専務・元福岡県連専務をされていた「南嘉久」氏から、彼の被爆2世としての思いや平和に関する「文書」を送ってもらっていたので、長崎訪問をメールしていた所、わざわざ北九州から長崎に来られ、この資料館を案内しくれた。
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